魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
この現象は「社会新聞」一派の満足を得たようで、
第3巻21号(6月3日)の「文化秘聞」欄に、下記あり――
「自由談」の態度変転
「申報・自由談」 は黎烈文が主編になった後、
左翼作家の魯迅・沈雁冰及び烏鴉主義者曹聚仁等を
基本メンバーとして、一時論調は六でもないものばかりで、
読者は大いに不満であった。
且つ「礼拝六派」を罵ったので、張若谷等の怒りをかった:
「取消式」(トロツキー派)の社会主義理論を攻撃し、
厳魂峰等の怨みを買い:
「時代と愛の岐路」の連載を中止して、
(作者の)張資平派の反感を招き、黎が「自由談」を主編後、
数か月の結果、障壁が増えたため、
これが営業主義の「申報」の最も忌むところとなった。
また史老板は外部からの種々の不満の論調を耳にし、
特に警告を発し、改めなければ解雇する他ない、と。
最終結果は、番頭は老板に屈するしかなく、
それで「昔の物語」や「若女形が場を収める」等の文章は、
最近はもう目にすることはなくなった。
{聞}
先に5月14日、午後1時、丁玲と潘梓年の失踪について、
多くの人は殺されたと思った。
この推測は日増しに本当らしくなり、デマもとても多くなった。
某も同じく殺されたとか、警告され、恐喝も受けた。
私は受けなかったが、5.6日続けて内山書店の支店に、
私の住所を電話で聞いてきた。
こうした手紙や電話は、暗殺実行犯の仕業ではなく、
所謂文人等の嫌がらせの手口で、「文壇」にはもちろん、
こうした輩がいると思う。
ただ煩わしいと感じたら、このいたずらは功を奏した訳で、
6月9日「自由談」の「蘧蘆絮語」の後に、次の文章あり、
編者は附告する:昨日、子展氏の来状あり、目下全力で、
某作品に取り組んでおり、「蘧蘆絮語」を続ける暇なく、
これにて終了とします。
一か月余り静観後、「大晩報」もついに、6月11日夕刻、
文芸副刊の「火炬(たいまつ)」に小さな火で憤慨していう――
要するに自由が欲しいのか否か。 法魯
しばらく「自由」の問題が提起されなかったが、
近頃、これを大いに論じだす者が現れた。
国事は常にホット過ぎて、語り難いからあっさりと止め、
心を殺して「風月」を談じようとするが、それも意に沿わない。
喉からぶつぶつ「自由」が欲しいと漏らし、問題の重さを感じ、
ぶつぶつ言うのは良いが、明言しては具合が悪いので、
表立っては直接触れず、大刀を振りかざすのもできず、
湾曲して、堂々巡りするだけで、肝心の所はぼやかし、
正面に触れても、逆に裏側のように見させる。
これは元々「ユーモア」を読む方法だ。
心は自由を求めながら、口に出せず、口が心を表せぬは、
口そのものが自由でないためだ。
不自由だから、諷刺で「自由が欲しい」と言いながら、
「自由も要らぬ」といい、暫くすると「不自由の自由を求める」と、
「自由の不自由を求め」すったもんだの挙句、
頭の単純な人は「神経衰弱」になり、問題の核心を見失う。
要するに、自由が欲しいのか否か?
はっきり言うと、皆は風の吹くに任せて舵を切り、袋小路の中で、
悶々としているだけで、納得ゆく自由を失わないことだ。
私のような「雅人」でもない人間の考えを率直に言えば:
「我々は自由を求め、不自由なら懸命にそれを勝ち取るべし!」
本来「自由」は特別な問題では無いのに、皆が話しだすと、
重大問題になる。――結局は自分でそうしているので、
もう一度、大刀を振りかざさないと、どの様に漆黒の一団を、
打倒することができるだろうか?
細い針や短い刺では畢竟、虫を彫る小技に過ぎず、
大問題を解く助けにはならない。
諷刺や嘲笑は一代前の老人のたわごとだ。
我々の聡明な知識分子は、こんな諷刺が今この時代に、
すでに効力を失していることを知らぬことがあろうか?
ただ、刀斧を使おうとすれば、左右から掣肘される。
今の時代は、科学の発明で刀斧は銃砲に及ばない:
身は蟻より賤しくとも、惜しむに足りない。
なぜ我々無能の知識分子は命を惜しむのか!
以上要するに、自由は元来そんな珍しいものでもなく、
君たちが談じだすと、とても貴重なものになってしまう。
時局についても本来は持って回った諷刺をすべきではない。
現在、彼は諷刺者に対し「率直に」死ねと要求している。
筆者は心の真っすぐな口の軽快な人で、今他の人に、
「自由が欲しいか否か」で疲れ、頭も混乱してしまった。
然るに、6月18日朝8時15分、中国民権保障同盟の、
副会長・楊杏佛(銓)が暗殺された。
これは「生死をかけた」結果で、法魯氏はもう二度と「火炬」
に投稿しないだろう。
「社会新聞」だけは4巻1号(7月3日)で、左翼作家の怯懦を
まだ取りあげている。
左翼作家紛々と上海を離れる
5月、上海の左翼作家はいっとき大騒ぎし、全てを赤く、
染めようとし、文芸界をすべて左翼に帰属させようとした。
だが6月下旬、情勢ははっきり変わって来た。
非左翼作家の反抗の布陣が完成し、左翼内部も分裂した。
最近上海で暗殺が頻繁になり、文人の脳は最も敏感で、
肝も小さく、逃げ足は最も早い。彼らは避暑と称して、
上海を離れた。確かな情報では、魯迅は青島へ行き、
沈雁冰は浦東の田舎に居り、郁達夫は杭州、陳望道は、
故郷へ帰り、蓬子や白薇の類すら跡形も無くなった。
{道}
西湖は詩人の避暑地で、牯嶺は金持ちが夏を過ごす所だ。
そうしたいのは山々だが、なかなか実際にはできない。
楊杏佛が殺されたら、他の人達が突然暑さを怖がり始めた。
青島は良い所だそうだが、梁実秋教授の伝道の聖地で、
私には遥か遠くから望む眼福すら無い。
「道」先生には道があり、私に代わって恐怖を感じてくれるが、
実はそれは確かなことではない。
でないと、拳銃を持ったゴロツキが、治国平天下できる訳だ。
但し、嗅覚に超鋭敏な「微言」の9号(9月15日)に別の記事あり。
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