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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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内外

内外
 
(いにしえ)の人は内外の別をわきまえていて、道理も夫々違うと言った。
夫を「
外子(ワイズ)」と呼び、妻を「賤内(ジエンネイ)」と呼んだ。
傷病兵は病院内におり、慰労品は病院の外にあり、検査を通らねば受け取れない。
外国とは妥協し、国内では排除するか、わめき散らさねばならぬ。
 何香凝さん(
廖承志(リョウショウシ)の母)は嘆息し:
「当時は立ち上がらぬ人だけを怖れたが、今はそれが死なないのだけを怖れる」
しかし、死の道理も内外で異なる。
 荘子曰く:「哀は心が死ぬより大なるはなく、体の死はこれに次ぐ」
これに次ぐものは、両の害の中から軽いのをとる。それ故、外面的な体を死なせ、
内なる心は活かそうとする:或いは正にその心を活かす為、体は死を治める。
これを指して心を治めるという。
 治心の道理はたいへん玄妙で:心は活きるのだが、活き過ぎてはいけない。
 心が死ねば、もう抵抗はしないから、その結果、人々の心は落ち着かない。
心が活き活きしすぎると、色々考え、真剣に抵抗しようと思う:
こう言う人は「絶対抗日とは言えない」(先ずは匪を倒してからとなる)
 人々を落ち着かせるため、心が死んだ人は外遊すべきで、留学は外国に行って、
心を治める方法である。
 だが心が活き活きしすぎると、罪を得て厳罰に処すべしとなり、これこそが国内で
心を治める方法である。
何香凝さんは「誰が罪を犯したかが大問題」と思った――
これは彼女が内外に別ありという道理を知らぬ為である。   4月11日
 
訳者雑感:これは当時の国民党と張学良や共産党との三つ巴の関係を認識しないと、
理解困難な文章である。出版社注では、心が死んだ者は張学良を指すとの由。
 蒋介石は、国内の匪を平らげるのが先で、それから外(日本)に抵抗すると唱えた。
これは当時の国民党の武力から考えて、日本の軍官学校卒業生たる蒋介石が採った、
最も現実的な方法だったかもしれない。毛沢東が「持久戦」を唱えたが、
敵が味方より強大な武力を持っていると考えたら、敵が苦しくなるまで、
忍の一字で、持久戦に持ち込むしかないだろう。
毛沢東は蒋介石軍に対して、そして蒋介石は日本軍に対して。
その当時、張学良は心が死んでしまっていた。が忽然、西安で蒋介石を捕えた。
世に言う1936年12月の西安事件である。ここから変化が始まった。
しかし魯迅はその年10月に他界した。これを目にしたら何を書いただろう。
     2012/12/21記 (マヤ暦で末日とされた日に)
 
 
 
 

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