忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

新しい「女将」

上海の図版製作は他所より優れているようで、新聞の日曜版の付録画報や書店の月報何とか画報も他より生彩がある。これらの画報に並んだ大人諸先生方の何とか会の開会式や閉会の記念写真の他に、必ず「女士」のも載せないといけないようだ。
「女士」の尊顔をなにゆえ社会に紹介する必要があるのか?説明を見れば明らかで、例:
 「A女士、B女学校のQueen,趣味は音楽」
 「C女士、D女学校の優等生、狆を飼うのが好き」
 「E女士、F大学卒、G氏の五女」
 衣装をみると:春はすべて流行のファッションをぴたっと着こなし、細い袖:夏は裾と袖をくつろげて、海浜に座り「海水浴」と称し、天気が暑いからそれも当然:秋立つと、涼しくなってきたが、はからずも日本兵が東三省に侵入してきて、画報も白いワンピースの看護服或いは捧げ銃の軍装した女性兵士たち。
 これらは戯劇性があり、読者を喜ばせる。中国は元来戯劇性を好み、田舎の舞台でも往往、対聯に片や「戯場は小天地」もう片方は「天地は大戯場」と掲げられている。戯を演じ出すと、田舎のため「乾隆帝の江南行き」などの類は演じられず、往往「双陽公主、狄を追う」や「薛仁貴、親(しん)を招く」などで、登場する女戦士を観客は女将と呼ぶ。彼女は雉の尾を挿し、双刀を執り、(或いは両端に剣先のある長い槍)舞台に登場するや、
観客は身を乗り出す。明らかに戯にすぎぬと分かっていても、見るほどに興奮してくる。
 長年訓練を重ねた軍人も鼓響一声、突然無抵抗主義者に変ず。(満州事変での蒋介石が対日無抵抗主義に変わったことを指す:訳者)そこで遠路の文人学者は「乞食が敵を殺す」や「屠殺者が仁と成る」「奇女士の救国」などの伝奇の古典を大いに談じ、銅鑼を一発鳴らして、思いもよらなかった人間に「国の為に栄光を取り戻させ」ようとする。同時に画報に、これらの伝奇の挿絵を載せる。だが、まだ剣仙の一本の白光を提起するには至っていないのは、やはり切実に考えているからだ。
 ただ誤解しないで欲しいが、私は「女士」たちが皆部屋のなかにいるべきだとは言っていない。私は単に雄兵がかぶとを解き、Missが銃を執るのは戯劇性に富むと言っているに過ぎない。事実が証明する。
1.誰も日本が「中国軍を膺懲」している看護兵部隊の写真を見ていない。
2.日本軍に女将はいない。それにもかかわらず、確かに戦を始めた。それは日本人は物事を行うものは行い、戯を演じるものは演じ、けっしてそれをまぜこぜにはしないから。

訳者雑感:1931年9月18日に日本軍が満州事変を仕掛けた時、張学良はすぐ不抵抗を宣言し、これを蒋介石の発言のように扱った。どちらが先に言いだしたか、論議の的だが、今やそれよりも、魯迅の指摘するように「雄兵はさっさとかぶとを解き、女将が救世主の如く現れる」などの戯劇性を専らはやし立ててうやむやの内に「9.18事変」後の情勢を受け入れてしまう「国民性」を新しい「女将」ととらえている。 2011/10/07訳

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R