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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書26 追加

訳者雑感で「連中が壁紙を」云々と書いたが、先輩の話では、この本社あての文章が開封されて
検閲で「文化大革命に懸命に活動している学生たちを (連中)と呼ぶのは見下している」と
判断されて、それが軟禁の理由の一つだったから、君たちも今後(連中)という漢字は使わないように、と注意された。
   2016.9.16記

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両地書26

両地書26
 広平兄:
 開封の件は、連中は冤罪かもしれません。実は31日分は私が開封したかもしれません。あの時すでに夜遅く、手紙を沢山書いたので、記憶が不確かですが、一つは(下の方を)開いて、1枚目に細かい注を入れたのです。君の受け取った1枚目に注があれば、私が開いたものです。
 他の手紙については連中の弁護はできません。実は郵便を開くのは、中国の慣習的技で、早くから私も気付いていました。但し、この種技量は苦心しても徒労に終わります。明の方孝孺は永楽帝に十族を滅ぼされたが、(九族の次)の一つは「師」だった由。とはいっても余りあてにはなりません。この件の真偽のほどは調べていません。しかし西瀅の文からすると、こういう輩は一度志を得たら、滅族だけでなく「系(学部)も滅し」「籍も滅す」だろう。
 明明白白に学生を除籍しておきながら、布告には「出校」と書くとは、私はその時、中国文字の巧妙さをとても嘆かわしいと思った。今上海で学生を逮捕し、殺し始めたが、ロイター電では「華人は人事不省」となったとあるのを見て、異曲同工というべく、ただしこれは中国紙の訳文で、原文はどうなっているか知らない。
 実は私は余り酒を飲まぬし、飲酒の害もよく知っています。今は飲まない時の方が多い。人が勧めぬ限り。しばらく待ってみるのも悪くは無いし、短刀も持ってはいるが、夜間の賊を防ぐためで、偶に目にした人は、ちょっと見ただけで怪しむので、「流言」は皆信ずるに足りません。
 汪懋祖氏の宣言が発表され、「某女士」の言を引いて重要だとしたのはおかしい。連中はよく「某」の字を愛用するが、何のためか分からない。その意をみると、どうやら「某籍某系」は学校を解体しようとのことで、一種の奇談である。黒幕の男がようやく出てきたのは見ものだが、残念ながら彼自身また「南に帰る」と言っている。隠れたり現れたり、隠れたり現れたり、というもの黒幕なる故か。ははは!
   迅    6月2日

訳者雑感:九族に累が及ぶ、というのは中国の古くからの「厳罰」で、21世紀の今日もこの数年、腐敗幹部が逮捕されると、その罪九族に及び、膨大な数の親族が牢に送られている。
 明の方氏の場合は永楽帝にその「師」まで殺され、罪は十族に及んだという説もある。親族でもない師(ここでは許の罪が魯迅に及ぶという意)
 開封は常にあるということで、今回から魯迅とは署名せず、迅の1字としている。北京駐在時、どうも開封された形跡があり、これは、国外郵便はすべてスパイの恐れありとして、開封されているということを先輩たちから聞いたことを思い出した。先輩たちは文革中に、本社への報告に、「連中は至る所で壁新聞を張り始めた、云々」と記述し、新僑飯店に長いこと軟禁された。明らかに開封されていたからとしか考えられない。80年代に入って、公安当局から「お詫びしたい」と北京に招かれたが、一部の人は当時のことを思い出したくないから、と断った由。当時から飯店で働いていた服務員は、「おおー、驚き、あの人はよく知っている」と感激しながら私に告げた。
   2016/09/15記

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両地書25

両地書25
 31日来信拝受し、開封の前に不愉快になりました。連中が何と検閲しているのです!以前もありましたが、今回2通とも背面下で開かれてから閉じていて原状の痕跡が無くなっています。当然クレームすべきですが、何の益もありません!誰かに託せばこれは免れると思いますが、連中を避けることもない。どうせなら手紙の中に連中をがんと一発罵って読ませてやろうとも思いますが、我が師が何の罪でこんな目に逢わねばならぬか。以前なら九族誅滅、妻子にもおよび、今回それを復活させようとしているから、その責めが師にも及ぶとは、何と憎むべきことでしょう。
 昨日(日曜)西瀅の「閑語」を見、「6人の学生は怪しからん」を書き、元々怪しからん連中をコテンパテンに批判しようと書いた後、頭痛がして横になってしまいました。今朝これを「婦週」の評梅の求めに応じようとしたのですが、彼女は来ません。それで先生に見てもらい伏園旦那にも問題なく、原稿がよければ、「京副」に投稿できますか。只、中身の多くは前人が何回か触れたものもあり、これもそれだけのことです。
 思いますに、世界はこんなものだと知り、だから苦悶し自らを廃物とみて、それを使おうとするものがいれば、屍を医学解剖に供し、この世のささやかな役に立とうと願いました。光明については実のところ私はそんな年寄りになるまで生きたいと望んだこともありません。私個人としては、誰かに買収される方が、外で「人の患い」となるより気楽でしょう。反抗しないのは反抗するより危険は少ないが、他の人のことを考えると、私は絶対そうできません。だから私は仏者が苦海に沈むのを悲しみ、先儒が月日が迅速に過ぎるのを恐れ、「死」に安んじず、急に立って追うのは俗を免れないと思うからです。小鬼も俗な鬼で旧観念を打破できず、偶々考えが先生と合致し、偶然転じて卦を変じ、廃物利用も又なんぞ「生命消磨」の術でないということがありましょうか。しかし多分、「酒びたり」になるよりはやや勝るかと。当然、先生の見解は私より高度で、したがって多くの面で「違い」ますが、たとえ「もみ合っても」やはり何とか方法を講じて待ってみてもよい。綿入れの中にキラっとする鋼刀をかくし、それで敵に勝ち、身を守るのは妙と言えます。しかし…で以て…をというのは小鬼としては心配です。
 小鬼 許広平 6月1日

訳者雑感:許広平も魯迅との書簡往復を通して、徐々に「反抗」すること、もみ合うことへ傾斜してゆくようだ。というか、元来彼女もそういう性格を持ち合わせていたのだというのが、この文章から見てとれる。
   2016/09/13記


 

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両地書24

両地書24
 広平兄:
 昼に戻り置手紙拝見。現在の現象はどこも暗黒で、この状況は根本から治すにはどこから始めるべきかのみならず、応急手当の方法も無く、只時局と共に移りゆくしかありません。「京報」は、話では秦さんだけでなく、たくさんの人が運動したが、結果2紙とも載せぬと決めたが、時間が経ったら、連中もあの人たちを支援するかもしれない。新聞をやっている連中はこの程度です。その実、新聞の宣伝も実際は大した影響は無いですが。
 今日「現代評論」に所謂西瀅(魯迅の論敵:出版社注)が、我々の宣言に対しコメントを出し、部外の人間を装い茶番を打ってきた。私も「京副」に寄稿し、彼らに釘をさした。伏園の飯椀の安危がどうなるかわからない。連中は為さざるなしでなんでもやるから。口を開けば仁義と言いながら、実際の行動は犬畜生にも劣る。筆が何の役にも立たぬ事は、承知しているが、今はこれしかない。これすらも魑魅魍魎に妨害されています。だが発表する場所さえあれば、私は筆を放さず:或いは「莽原」を独立させるかもまだわからない。独立するなら独立、完結なら完結で構わない。要は、筆舌のある限りこれを使い、東瀅も西瀅も構いはしない。
西瀅の文章は「流言」に託し、今回の騒動は「某学科の某籍の教員が鼓動」したとし、それは明らかに「国文科の浙江籍の教員」を意味し、人は知らず、私が楊蔭楡を罵倒し、騒動の後になんと「楊家将」が現れて真逆のでたらめを飛ばし、卑劣極まりないことだ。しかし浙籍でも夷籍でも既に罵倒した以上、罵倒し続け、楊蔭楡は舌を抜く力は無いから、あと数回は罵倒されよう。
 さて真面目な話、本当に「世界はかくあるにすぎぬか?」については、確かに「小鬼に対して言った」ものです。私の話は常に考えていることと異なり、どうしてそうなるのか、私はすでに「吶喊」の序に書いたが:自分の思っていることを他の人に伝染させたくないのです。なぜか?私の考えは暗すぎるからだし、自分の考えが正しいかどうか分からないからです。「さらに反抗しよう」というのは本当だが、私はこれが「反抗の所以のため」であり、小鬼の反抗とは明確に違います。君の反抗は光明の到来を望むためでしょうか?私の反抗は暗黒ともみあうに過ぎません。私の考えに小鬼はどこか釈然としないでしょう。これは年齢や経歴、環境などが違うからで、奇とするに足りません。例えば私は「人間社会の苦」を呪詛しますが、「死」を嫌悪せず、「苦」は何とか方法を講じて減らせるが、「死」は必然のことで、「終焉」も、悲哀することはないのです。君はこういう話を聞きたくない――でしょうが、なぜけなげに生きている人を「廃物」と思うのですか?これは「痛哭流涕の文」を書くより「けしからん」!のです。来信のように、凡そ自分に関係ある人が死んだとき、自分に関係ない人が生きているのを憎む…」という点は私と反対で、私と関係ある人が生きている間は、私は安心できず、死ぬと安心します。この意味は「過客」でも書いたが、小鬼と違います。確かに私の考えは、すぐ理解はできないでしょう。実は多くの矛盾を抱えているからで、私自身に言わせれば、或いは、人道主義と個人主義の2種の思想の消長が起伏しているからでしょう。だから私は忽然人を愛し、また憎みます:物事をするとき、時には人のため、時には自分の楽しみのため、時には今を早く消磨することを望んでです。それゆえ故意に一生懸命にやるのです。この外に、或いは何か道理があるのでしょうが、私にも余りはっきり分かりません。但し人に話すときは、光明の方を選びますが、偶に気をつけないで、閻魔大王には反対されないが、「小鬼」には耳障りな話をしてしまう。要は自分と人のために考えていることは違うのです。だから私の考えはとても暗く、しかし畢竟は正しいかどうか分かりません。したがって、只自ら試すのみで、他の人を呼び込まないのです。その実、小鬼は父兄の長命を望み、自らを「廃物」とみなす。かたくなに「大衆のために命を請う」ことの大半はこのためです。
 「莾原」は些か綿靴を履いて何も騒ぎ立てもせず、しかたありません。自分はというと晦渋な文を書きなれて、容易には改められない。書くときは志を立て、明瞭にと思いながら、後には往々にして晦渋な始末で、実に腹が立ちます!今回「京報」を郵送分以外に1,500部販売し、読んだ人は少なくありません。
「騒動」が一段落ついたら、君も「害群の馬」として議論を沢山寄稿下さい。
    魯迅  5月30日

訳者雑感:魯迅は本文で彼が反抗するのは、暗黒(の社会・連中)ともみ合うためで、許のように光明を求めてという明るさは無い。見いだせていないのだ。
ただ、暗黒(旧社会・旧制度・礼教など)ともみあい、抗うことそのものが彼の反抗の原点なのだ。
 別居している母や婚礼をあげた妻など家族への仕送りのために「お金」は稼がねばならぬが、金儲けのために出版などの事業を大きくしたり、役人として出世して(教育部の役人ではあったが)云々の前に、もみ合うことが先であった。
    2016/09/11記


 

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両地書23

両地書23
 魯迅師:
 5月19日発信早くに拝受したのですが、お会いした時にそのことを申し上げて、今までそのまま返事が出せずにいましたが、やっと整理がつきましたので何句か書きます。
 今日(27日)の新聞発表の宣言を拝見し、「立ち上がって声を出した人がいる:のを知り、それも7人の多さです。力限りの声を出した時に、軍火で加勢していただいて、気力を増大できました。ただ、戦線はますます拡大し――「辰報」はこう見ています――先は長いから、熱心な先生方に面倒をおかけすることになり、うれしい反面、恐ろしくも感じます。
 今日7時間目の文字学の時、沈兼士先生が出席確認時、私の名前が墨刑(黒塗り)を受けていることが分かり、同級生たちはとても不満を持ちましたが、多くの楊党の女学生たちはこれに満足していた様です。3年間の同級の感情は、一筆で取り消し、態度も一変、知らんふり。何と言ったらよいでしょうか!週番の2人が薛のところに行って詰問したら、答えは校長事務室からの通達を奉じたものだ、と。事務室はすでに久しい前から封鎖され、この紙切れがどこから出されたか、問わずとも分かります。臨時事務所からの通達で、太湖飯店から出したもの。きっと姑然として自居している楊氏は、何名かの学生が校内にいるのが我慢できず、双方が共に傷つかねば満足できず、多分このために数日内にひと騒動起こるでしょう。
 先生の「世界は本当にこんなものにすぎないのか…?」を読み、私の血気はすぐ小鬼のごとき青年を起伏させ、即座に氷のように冷たいストーブに石炭をくべて真っ赤に燃え上がらせました。しかしこの句は小鬼に対して言われたものでしょうか?ご自身も同じように思われたのでしょう。しかし別の面からどうも何か「自分が見えなくなってしまう」とか「畳の上で死ぬ」とか念じて死を迎える話はよく耳にします。小鬼はこういう話を聞くのが嫌いです。私の経験から言うのですが、子供のころ30歳くらいの兄が死んだ時、街中で同年代の人を見ると憎んだりしました。なぜ彼は死なないで私の兄だけ死ぬのか、と。60歳近い慈父が亡くなった時、どうして父だけが早く死に、街で白髪白ひげの人が乞食をしながら生きているのか、と憎らしく思いました。この他、自分の関係する人が死ぬたびに、私と関係のない人が生きているのが憎かった。彼らの死で私は死の寂しさを深く感じ、一切すべてを無何有郷(何もない所)に付しました。女師大入学1年目、私は猩紅熱で殆ど死にかけました。しかし自分の身の危険と死の空虚が鞭を打つようにある考えを形作らせました。それは:人は老幼に拘わらず、いつかは死ぬ機会に出会う。しかしまだそれに合わぬ限り、何であれ自身を廃物とみなして、利用できる限り利用する。目に見えるかどうかに拘わりなく、大往生するか否かなど構わない。考えるとしたら、根本から治す方法で、医者の言う通りにし:1.大酒を控え:2.煙草を減らすことです。
 「莾原」がより多くの慷慨激昂の文を載せるのを望みます。読んだ人を「腹いっぱい飲んで」満足させる文です。近来どうもやや綿入りの靴に厚いレンズのメガネをかけているようです。これも私の切に望む点ですが、ついつい要求が厳しくなるのでしょう。私もなんら痛哭流涕の文を書けず、今期は何とか出そうと思っており、ご飯を食べる暇もない師の時間を作りだそうとしているのです。でも自私の気持ちが抜け切れず、他の用事も出てきて、なかなか筆がとれません。けしからぬ奴だとお思いでしょうか?
   5月27晩     (この後、1通の置手紙欠如)

訳者雑感:兄と父を早くに亡くして、街で二人の年齢に近い人たちが暮らしているのを見て、憎いと感じるほど、というのは許広平の特別な感情の起伏の表れだろうか。それにしても根本から治すという箇所で、魯迅の酒とたばこについての忠告は「女房気取り」というか、もうこの頃から魯迅の煙草は体に悪いと本人も自覚してはいたのだろう。
    2016/09/04記

 

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両地書22

両地書22
 広平兄:
 手紙2通共に拝受。一通中に原稿あり、当然例の通り「感激涕零」して拝読。小鬼の「中途半端な話が嫌い」だそうですが、私はどうやら中途半端な話を好む癖があり、本来詳細明解な「朱老夫子論」を送り、指正を仰ごうと思っていましたが、心が乱れ時間もありませんでした。手短に言えば即ち:彼が歴来歩んだ道は最も穏健な道で、小さな冒険もせず、だから彼の偶然の話も責任を負わぬもので、他の人がそのために禍に逢っても、何も声を発しないのです。
 群衆はこんなものなのは昔からのことで、将来もきっとこんなものに過ぎないでしょう。公理と事の成敗は関係ありません。だが女師大の教員は大変かわいそうです。ただ、暗中に活動するのを見、立ち上がって話をする者はいない。近来私は□先生が西山に赴かれたのも些か懐疑的でしたが、丁度タイミングだったのでしょうから、それを疑った私は神経過敏なのでしょう。
 私は今、話す人とものを書く人は役立たずの人だと一層確信するようになり、貴方の話が、如何に理があり、文が人を動かそうともみなうつろに思います。彼らはたとえなんの理がなくとも、事実上は勝利を得る。しかるに世界は本当にこんなことに過ぎないのだろうか?私はあらがい、試してみたい。
 犠牲については、2―3年前の北京大から除籍された馮省三を思いださせる。彼は講義プリント騒動(有料化)を起こした一人で、後にプリント代は撤回され、もう誰も彼のことを提起しなくなった。あの時「晨報副刊」に雑感を書いた意味は:犠牲とは衆の福を祈って、紙に祀られた後、衆は彼の肉を分け、お下がりとして食べてしまう、ということです。
 学校当局は学生の家族に電報で通知したというが、大変悪辣な事だと思う。教員たちは事件の真相を説明するように宣言すべきで、何人かはそれができるのです。だが誰もこの責任を(署名して)取らないなら、たとえ校長が追放され、学生が回復しても、学校を去るに如かずで、全校に人がいなくなったら何を学ぶというのだ。
   魯迅5月18日
訳者雑感:魯迅も最後には覚悟を決めたような強烈な文章で終わっている。
犠牲とは、という段は、私もシンガポールの下宿先の一家の法事(宗家の祀り)に参加させてもらって、神棚の前に供えられた丸ごとの羊を祀りの終了後、祭司が刀を入れ、皆に分け与えて、家に持ち帰って食べたのを覚えている。生贄、犠牲、日本では、尾頭付きの大きな鯛をお供えして、祀りの終了後包丁できれいにさばいて、皆が活き造りの刺身として喜んで食べる。羊と鯛はいずれも同じような意味を持つのだろう。日本人にはびっくりする点が多いが。
   2016/08/31記

 

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両地書21

両地書21
 お腹いっぱいに溜まった懐疑はどこへも訴えるすべがありません:「編集後記」を読んで、覚えず何か申し上げたくなり、忙中閑を偸んで書き始めました。我が師が「感激涕零」してお読みいただけるかわかりませんが。
 群衆は浮躁かつ性急で待つことができません。忍耐もできず、衆寡敵せず、おのずと日が経つにつれ変化は免れません。激発するともう収拾できなくなり、かつ又孤立無援で、考えの単純な学生は確かにお金を持っている相手に対抗できません。後ろ盾を持つ「凶獣のような羊(楊氏を指す)」にはかないません。6人の退学は惜しんでもしょうがありません。学校は今後どうなるのでしょう? 
 今日の教訓は衆の頼むに足りぬこと、利口な人ばかりが多くて、公理はついに強権にかなわず、「手を緩めぬ」秘訣が「凶獣のような羊」に重用されたこと。
 犠牲はどんな人にも勧められません。「凶獣のような羊」を放ったままで駆逐しないのは、血気のある人々には耐えられません。
 果たして本当に駆逐できるでしょうか?無益な犠牲しか残らないのを恐れます。
 呪うべき自分自身!
 呪うべき万悪の環境!
    小鬼 許広平   十七・五。

編集後記:衆は頼むに足らず。この当時も考えの単純な学生は、お金(ポスト)を持った強権に対して、何の反抗もできぬくらい、体制派に取り込まれてきたのだろう。
   2016/08/29記

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両地書20

両地書20
 魯迅師:
 5月3日、8日付貴信と「莾原」3号拝受。今やっと返事を書き始めたのですが、この数日大小さまざまなことがあり、寂悶の気分に火花を添えました。
 薪の山にマッチを放れば、燃え上がるに決まっています。5・7の日、章宅
の事情は、我が校とはるか離れてはいますが、やはり呼応しているのです。同じように、この「学風整頓」の下で、命の犠牲、学業放棄は、まことにこれ以上小さくしようのない小事です。これが何だというのでしょう!どうしたって高圧時代の必然の結果です。
 教育当局も大変なお笑い草です。いろいろな新奇な省令は、章宅への攻撃を刺激し、死ぬものは死に、逮捕されるものは逮捕され、失踪者は失踪し、恐れるものはとうに身をかくし、意趣に迎合し学生圧迫を歓迎するものは、喜びながらこれを鼓舞し始めました!今日(5・9)学校は6人の退学を公示しましたが、私はこうなるだろうと思っていました。5・7の日、講堂に楊氏が警察を呼んだ時、私は心中で思いました。捕まったらそれはみんなの命を請うた罪とされたのだ、と。個人としては終始なんら威に屈せず、利に惑わされず、私の不屈な気性は持って生まれた態度を保持できているので、これで私は師長や親友に合わす顔を持つことができるのです。師長親友が私を喜んで受け入れてくれるところです。この一枚の空虚な公示、退学除籍はあの地面いっぱいの漆黒の染料甕だと悟らせ、それを打ち壊す運動を緩めてはならぬと悟らせました。現在の教育部の要人のいる所と、本校はみな次々に発火し、きっと焚焼し始めるが、消防隊の力が大きいと、消されてしまうだろう。だが、こういう芝居は常に演じられてきたが、今後はどうなるだろう。
 「莽原」に非心の名が出ました。この仮名は以前なら少し意味もあったようですが、今は時代が違い、「心」という文字のある文学家の旗の下で、私はみだりに竿を差すに値しませんし、また本物に見せかけようとか、流行に乗るような恐れもあり、前回先生に「ご自由に」とお任せしたのですから、勿論黙認ですが、以後は改めるかもしれません。この意志薄弱、すぐ動揺するのは実におかしいと思われるでしょうね。
「莽原」は確かに勃勃と生気がありますが、やはりまだ激烈に深くは浸透しておらず――とりわけ第2号はさらに穏重な感じがします。平明なのは意味深長とは思われず、含蓄も観衆はなかなか十分理解するのは難しい。一つの刊行物をいろんな人の口に合わせるのは容易なことじゃないですね。
原稿を募り「感激涕零」更には「……に堪えない」とおっしゃるのはハハハ。元来殿方たちの涕泗滂沱というのは、娘たちの「さめざめ」と泣くより何万倍も甚だしいのですね。「即ち、この涙有りても進化はない」、「…を泣いても…一切無用」と認められながら、なぜまた「涕零」されるのですか?まさか「涕零」は傷風の一種じゃないでしょうし、「涙」と「泣く」は無関係ですか?先生私はほんとに分かりません。
「髭の長い」は「哀れむ」べきですか?これは人を殺しても瞬き一つせぬ精神と相反しませんか?敬老とはそもそも老いを憐れむことですか?私には欠点があり、中途半端な話を聞くのが嫌いで、気がふさぎます。だから「もっと長くきっぱり罵倒する」のを聞きたく、どうか「顧忌」せずに私に一杯のアイスクリームを飲ませてください!
 小鬼 許広平  5.9晩

訳者雑感:この書簡の往復された時期に、教育省のトップ章士釗の家に北京の各校の学生たちが国恥記念と孫文哀悼のデモに集結した。それが学生たちの愛国運動と軍閥政府の弾圧が激しさを増していった。それが5・7女師大事件となってゆくのだ。五四運動といい、この5・7、それに最近の6・4とか、北京ではこのころに学生運動が活発化するのは、気候にも関係するのだろうか。
 2016/08/28記

 

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両地書19

両地書19
 広平兄
 4月30日付貴信拝受。なにはともあれ、まず朱老夫子の「匿名論」を攻めましょう。
 さて朱老夫子は私の古い同級生で、彼の骨身を惜しまぬ研究と、長期間にわたるたゆまぬ態度は真に敬服しますが、それは只古学の一端だけで、世事を論評するのはすこぶる迂遠だと思います。仮名に対する非難はその最たる偏見の一部です。これで人を貶め傷つけるのは、それこそ「無責任で、人のせいにするものです」人権がまだ確実に保証されていない時、両方の力関係の衆寡強弱が極めて大きくかけ離れているときは、別途論ずべきです。例えば、子房が韓の仇を討つ如く、君子の目から見れば、蓋し秦の始皇帝に手紙を書き、両人が素手で決闘するよう求めるべきで、それこそ理にかなうとするが、博浪の一撃で、その後十日探しても見つからず、後世に亦「無責任」だと思われないのは、公私が異なることを知っており、強弱の勢いもまた異なり、一匹夫では如何ともしがたいのを理解しているからです。況や、今の権力者はいかなる輩か?彼らは責任の何たるかを知っておりましょうや?「民国日報」の件も故意に一カ月以上引き延ばし、やっと裁判でこんなに思い罰を下し、何日も大声で叫んだ人は、一方的に責任を取らされ、子供を裸で虎穴に放り込むようなとんでもないことじゃありませんか?朱老夫子は平安に暮らしているのは「蕭梁旧史考」で責任を負うかは問題じゃなく、なんら関係も無いからです。彼の侃侃の談は、将来、共和が実現した後の参考に供すまでに過ぎない。今言うならば私は目的が正しければ――ここでいう正しいか否かは当人の判断によるが――どんな手を用いてもよく、細かな仮名か本名かは小事です。これが私の窓の下(書斎)を指し、そこで生きている人の墳墓だと呼ぶ所以で、人々に中国の本は多く読む必要はないと言う所以です!
 元々もっと長く、はっきりと罵倒の文句を考えていましたが、些か顧忌する所あり、またあの長い髭を哀れみ、ここらでやめましょう。それで話は一転し、「小鬼の仮名問題」。あの2つの「魚と熊掌」は貴方の好物とはいえ、論述に使うのは宜しくないと思う。本名は無聊な煩わしさを招くので、固よりダメだが、滑稽に近すぎるのも論文の重さを減じるから良くない。貴方の多くの候補の中から「非心」はまだ使ったことないということで、「編集」兼「教師」の権威でこれにしましょう。もし不満なら、急いで抗議してください。まだ間に合いますので火曜夜までに連絡ください。痛哭流涙の抗議が無ければ、即黙認とみなしますので、そうなったら速馬を跳ばしても追い付きがたいでしょう。そして今後の文章には細心の署名をしてください。「忙しいので」」一任しますは許しません!
 試験問題がやさし過ぎたのは固より、私の失策ですが、まだそれを救う手が無いわけじゃない。その方法は即ち「若旦那」と呼び、「細心」に風刺することで、その効き目の大きさは罰点2回に相当します。現在果たして慷慨激昂して「全力で争う」ということで、七行の文を書き、それに費やした力は大変だったでしょう。私の報復計画もどうやら一部は達成できたとし、「若旦那」の呼称は暫くひっこめましょう。
 歴来の「婦週」は殆ど一種の文芸雑誌で、議論が少なく、偶々あっても大して良いものではなく、前回の一篇もお笑いです。彼ら諸公に「他と比べてみては」というのも悪くないでしょう。が、我らの「莾原」もとても貧弱で、寄稿の多くは小説と詩で、評論は大変少なく、注意しないとすぐ文芸雑誌になってしまいます。私は「編集者」と呼ばれていい気になっていますが、毎週文章を書かねばならず、大変苦痛です。これは昔の学生時代の週間試験みたいです。もし論文ができたらどしどし投稿してくれたら大変幸いで、感謝感涙します。
 裁縫先生は来なくなったそうです。裁縫のうまい人を探すなら、北京にはたくさんいますから、電報で招かなくとも、波のごとく押し寄せるでしょうが。今回の人は聡明なのでしょう。後任者は今のところやはり奥さん方の類でしょう。でもそれは大した問題ではなく、モーゼル銃を使うまでもないでしょう。「女性が女学校の長になる」のは社会の通念で、章士釗も社会と争うなどあり得ないことだし、でないと章士釗が章士釗でなくなってしまうでしょう。旦那衆たちには適任者はいないし、有名人も来ないし、来ても必ずしもうまくやれるとは限りません。思うに:校長というのは、余り有名でなく、本当に仕事ができる人に任せるべきですが、目下のところ誰もいません。私も「打たれる前に白状」できます:東の架上の箱には確か本があります。だが私はもう廃止された試験方法は使いません。報復しなければならぬ時は、「若旦那」の尊称をつければ十分です。  魯迅 5月3日  (5月8日分、欠如)

訳者雑感:原文に「此我所以指窓下為活人之墳墓、而勧人們不必多読中国之書者也!」とあり、この窓の下で生きている人の墳墓だとして、そんな人たちのあれこれ言うことを気にするな、とペンネームを非難する老人を罵倒している。
 窓の下で生きている人、というのは古い本ばかり読んでいる所謂「読書人」なのだろう。それで、「これが私の窓の下(書斎)を指し、そこで生きている人の墳墓だと呼ぶ所以で、人々に中国の本は多く読む必要はないと言う所以です!」となるわけ。しかし魯迅も子供のころから大量の古書を読み、読まされてきて彼の文章には大量の古典からの引用があるのも事実だ。違いは何か?やはり古典を読んでなければ、人を納得させるだけの力量は生まれないだろう。
   2016/08/25記

 

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両地書18

両地書18
 魯迅師:
 忙しくて原稿に名前を「捏造」する間もなかった為、3つの「且また」を頂戴し、最後に「なお且つ」「許さぬ」の一句まで添えられて誠に、「師厳然とし、道尊し」の句の通りとなりました。
 先に「晨報副刊」で「愛情の法則」を討論した時、私は「非心」の名を付けましたが、編集者は「維心」と訂正してくれました。こうした先生方の「細心」を知り、本当に小さなことではないと悟りました。今先生は署名を忘れた結果、このように「細心」に注意してくださり、編者というのは本当に大変な仕事ですね。これ以外に「帰真」「寒潭」「君平」…などの名も使った後、多くはすぐ棄ててしまいました。多分投稿で売名する人の心理の可笑しさに鑑み、それを矯正しようなどとした、迂遠で陳腐なことをしました。今週火曜に朱希祖先生の文学史で、人が仮名を使うのは責任を取らずに人のせいにする為だという説を聞きました。これも一理あるでしょう。思い切って事に当たるというのも不可欠の心構えです。それだと発表するなら許広平の3字でしょう。なぜか分かりませんが、この3字を好きではありませんから、たくさんの名を「捏造」する癖もあり(以後はこれを改めようとも思っていますが)今回は「西瓜の皮」とします。(クラスメートたちは略皆あだ名があり)この3字はとても滑稽です、「小鬼」も斬新で、これは今とても気に入っています。魚にするか熊の掌にするか、取捨が難しく、やはり「先生の御随意にお願い」します。「スマートに収める」というのは、用途も広く、特に「網に穴をあける」とき、先生はなんら制限する必要はありません。
 前段は確かに意味がなく、現在正式に「この一段の削除」を求めます。それに、他に良い原稿があれば、どうか拙作を「差し押さえ」たら読者の佳作を読む機会が減るのは、私の良心としては遺憾ですから。
 現在確かに「力で争う」時です!「兄」と尊称され、年も「耳順」のいい年で、何はともあれ、奇妙なロジックで、「授業をサボろうとする少年」に唐突に「若旦那」という2字をつけたのでしょう?「お嬢さん」と呼ぶのは固よりその清潔さを汚し辱めますし、「若旦那」と尊称するのも光栄とは思われません。こういう文字は消すのが良いのです。赤い靴、緑の靴下、顔中にクリームをつけたモボの服を着た「若旦那」など、私は「大嫌い」ですから、どうぞもう人を困惑させないでください。人をそういう連中のなかに入れないでください!
 司空蕙は「婦女週刊」の権利を放棄し、陸晶清に交代を要請したのは明らかです。ただ、晶清は数日前に雲南から「父死す、すぐ帰れ」の電報を受け取っていたのです。彼女の実家は13歳の若い弟と継母だけなので、帰郷して生死の問題を処理せねばならず、何と不幸なことでしょう!こんな時にこんなことになろうとは。我々は彼女に速く戻って来るように勧めたが、「明日のことは誰も分からぬ」で「婦週」本体にも何らかの影響が及ぶのは必至です。晶清は本人もまだ身の丈ほど多くの著作は無いが、新詩のほかは、論述や抒情小説は性格的にあわないようだが、交遊は広く、いろんな所に材料を提供してくれる人も多いから、「婦週」は、この後何号かは支持されるでしょう。今は彼女がいなくなり、多分純陽性な作品が(波微一人を除き)「婦週」を占領するでしょう。
これは北京の女性界としては感慨深いことです――といっても、実は何も感慨すべき点もないのですが。
 裁縫の先生が来て校長になるから、我々は女紅(女子工)専攻になれる!!!これからは、龍や鳳を描き刺繍し、それはまた別の美術教育、徳育でしょう。しかし、この夢が実現するかどうか知りません。どうなろうとも女性が女学校の長となるという成見は、モーゼル銃で一発くらわすべきです。にっくき限り!
「何たる老嫗、これを生みしは…」!
 試験の問題は間違えました。もし「書架の上の小箱は何ですか」なら多分白紙答案でしょう。幸い試験期は過ぎたのでもう「打たれる前に自白する」のを防げません。回答するなら私は劉伯温が焼餅で占うような聡明さは無いので、書籍だと答えるしかありません。これでは零点ですか?
   小鬼 許広平  4月30晩

訳者雑感:魯迅は大変多くのペンネームを使った。これは官憲に逮捕されるような危険から身を守るためでもあったが、一つ一つ心をこめた意味を持っている。魯迅というペンネームが最終的なものになったが、辞書には、4つの項目があり、①粗野、細心でない②遅鈍、魯鈍 ③旧国名(山東)④姓 (彼の母方)
があり、迅には迅速など機敏な意味がある。この魯と迅を合成したのだ。この辺は漱石など日本の作家のペンネームを参考にした可能性もある。
 許がペンネームについていささか「いい加減」なのをたしなめているのは、やはり名は体を表すから、心をこめて自分でペンネームを考えなさいと諭している。
     2016/08/21記


 

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