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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書17

両地書17
 広平兄:
 貴信受領。今日原稿も入手拝読、後の3段は良いと思います。冒頭の1段はちょっと厄介で、紙面がどうなるかにより、この1段は削除となるかも。只、第2号にはもう間に合いません。「小鬼」がどういう意図で署名をしていないのか分かりません。何か一つひねって連絡ください。且つまた来週水曜午前までに連絡のこと。但し、「先生一つ自由に付けてください」というずるいのはダメです。
 現在小週刊誌の目次は必ず角にあるのは、合冊後、読者が検索するときの便宜のためで、それだと全てを見る必要もなく、毎号の細目が分かります。だが確かに読者の注意をそぐ弊があり、私は他の方式を考え、第一版の上段を下図のようにするのです: (図 略)
 目次は辺に来て、検索も容易で、本文を中断することもありません。残念ながら「莽原」第1号は印刷終わり、すぐの変更は無理で、第20号から「試したい」と思う。末尾に記すのは書籍なら可能だが、定期刊行物にはあいません。1版の中央に置くのは不便で、こういう「心理」を抱くのは大きい間違い2回分と覚えておいてください。
 「莽原」第1号の作者と性質は来信の言われる通りです:長虹は確かに私じゃなく、私が今年新たに知った人で、意見は私と一部会うところもあるが、アナーキストの様です。文はうまいが、多分にニーチェの作品の影響のためか、晦渋で難解な所も多く、第2号のCHの名のも彼のです。「綿入れの世界」の中の「略奪」については、余計な心配不要です。私は貴校に教えに行っており、
確かに毎月定額の「給料13元5角正をもらっており」13元5角」それも「正」とある以上、何の「略奪」がありましょうか!
 舌を抜く罪は早くから私の考えにありましたが、それほど感じてはいませんでした。近来、終日人と話していると、苦しく感じるようになり、舌を抜かれたら、一つは授業を免れ、二つ目は客の相手を免れ、三つ目は役人であることから免れ、四つ目はおあいそを免れ、五つ目は演説を免れ、以後は文章や文字を書くのに専心できる。何と気分の良いことか。だから君たちは私が舌を抜かれる前に「苦悶の象徴」を聞き終わらねばなりません。前回聴講をサボって、午門に上るように迫ったのは、大きな過ち数回分と記すべきです。私が60点なら、きっと疑いないでしょう。「限界を明確に区分」しているからです。私は
どの学生に対しても「包囲を突破」するような方法はとらないからです。それに、仄聞するところでは、お嬢さんたちはすぐ涙をこぼすので、私が拳を振り上げて打って出たら、諸君は後で泣きながら、見送ることになりましょう。そうなると、この一篇の文の点数は零点になるでしょう。現在は違います。きっと60点は取れるでしょう。それも遠慮しての点数です。
 しかし今回の試験は失敗と認めます。私は余りに粗雑で、広平若旦那がこんなに「細心」だとは思わず、出題が容易過ぎました。今はただ八卦とおみくじに任せるほかなく、再抗弁することはせず、舌はもう抜かれてしまったかっこうをするしかありません。ただ、お返しの問題にも時間的に間に合わないから答えません。あの手紙は月曜午前に入手、午後は授業に出ねばならず、その間に答える時間は無く、授業に出てからでは如何に正しい答えでも「カンニング」を免れず、それなら出さぬに如かず、白紙答案の方が良いでしょう。
 中国の現今の文壇は実にひどいものです。とはいえ、詩や小説を書く人はまだおります。最も欠けているのは「文明批評」と「社会批評」で私が「莽原」で声を大にして訴えている大半は、これで新しい批評家が出てくることを願ってで、舌を抜かれた後でも、他の人が話し、継続して旧社会の仮面を引っ剥がしてもらいたいからです。惜しいかな、これまでの所、受け取っている現行はやはり小説が多いのです。
    魯迅  4月28日

訳者雑感:魯迅はこの手紙で、彼が一番求めているのは、批評家(日本語としては評論家というべきか)で、あの時代はまだ「文明批評」と「社会批評」をする人が少なく、またそれを受け入れる下地(読者)も余り無かったのだろう。
 中国は詩や小説を書くことを大切にしてきたし、その読者も多かったが、評論家というか解読・解説する人を余り重視してこなかったのだろう。
今は、テレビや新聞・雑誌が大量にメディアの評論員という肩書で読者・視聴者にコメントしているが、反政府的コメントをするとすぐ身柄が拘束され、行方不明になって、遺体がどこかの川に浮かぶということもある。評論というのは、娯楽作品などに対してしか許されていないのだ。
 2016/08/12記

 

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両地書16

両地書16
 魯迅師:
 お手紙と「莽原」前後して拝受。寂寞な私の気持ちを覚えず微笑ませてもらいました。この他「猛進」「孤軍」「語絲」「現代評論」など、次々にあらわれて、大局に関心ある人が突如増えました!毎週こんなに為になるものを得て快活です。
 この種の小週刊の多くは3段に組み、表紙の上段は名前を記し、下段の終わりに目次を記しています。「莽原」の形式もこのようです。これは何か特別な意味があるかどうか、他の方法がないかどうでしょう。私の考えは、もし目次と名前を同じ面に記すなら下図のようになります。
 「2つのタイプを図で示すが翻訳では(割愛)」
 このような四角紙面の上段に名を書けば、読者は3ページまでめくらずに、目次が出てきて、当該作品への注意力が分散するのを防げます。あるいは、この四角を版の中央に置くのも良いかと思います。さもなければ、名はそのままにして、目次は「交椅」(8版の末)に記すのもどうでしょうか。これは私が只こうしたらと思っただけで、明確な理由はありません。ご参考まで。
 「莽原」はやはり現代への不満が多いが、範囲は「猛進」「孤軍」等の政治偏重のものより広く、それゆえ「語絲」に非常に似ていて、その委曲宛転と弦外の音をめぐらす態度もあり、他の週刊より特別で、この点は先生の特色で、何の憚りもないです。第1号の「冥昭」は先生のだと思います。この他「綿入れの世界」も中身は先生の作風があふれていると思いますが、断定できません。他に「檳榔集」の作者は向さんという人も幾分先生に似ています。全号中、先生のものは2篇だけですね。
 「綿入れの世界」で、作者は友人を捕えて裁判を始め、彼の「思想」「友誼」を取り上げ、「自分を一つの機器として君たちに使わせようと思う」と言っています。その時私はとても恥じ、反省して私もそうではないか、「多くの面で略奪をしている者」の一人ではないか?私は友人になどなれもしないし、学生が先生を「略奪」するなぞとんでもないことです!!!これは人心が軽薄になった所以です。志ある人はなぜ防がないのか!?
 第2号には文章勉強のため書こうと思いますが、元来粗雑ですから、細やかで生き生きとした文章は書けませんから、お役に立てないのではと心配です。その時は情け容赦なく破棄し、屑かごに放ってください。書けるかどうか問題です。
 「因果応報」はどうも「人の文章のテーマ」にされるよりひどいようです。先生は「猛進」の第8号に、ある人が先生に向かって「誠に舌を抜くべし」と言っているではありませんか!――反語でしょうが。閻魔大王十殿中の一殿は舌を抜く所で、罪名は生前に嘘をついた罰だと。今「国民の醜態を全て暴露」したのです。「醜態」だと認めた以上、それは嘘でないのを知るべきで、「舌を抜く」罪だというのは、まさにこの世の地獄で、現実社会は地獄よりひどいところがあります!
 試験はまだその時期ではないので、本来提出しませんと抗議するのも可ですが、先生が早めに出せとおっしゃるなら、今出します。夏休みの試験は免除していただけましょうか。――不合格なら当然追試に甘んじますが。答えは:
     お部屋の屋根は平らで、黒い色で国粋的な感じの旧式建築です。内部は神秘的な苦悶の象徴で、南に門があるが、通路に部屋があり暗くてその左右は明るくは無い。ただ前方――北――に大きなガラスがラッパの口のようで、これは何と解釈すればよいのか?八卦をならべ、斎戒沐浴して占ってみるとしよう。
 卦に曰く:世運衰退し、君子道は消えるが、凶に逢いても吉と化し、言を発して癒えるあり。解に曰く:ラッパの口は声帯の門、勢利に因りて導き、時その後に言あり。夫れ、人言せず、言すれば必ず中(あた)り、これ南無阿弥陀仏が苦難の現世を救う観世音菩薩が親(みずから)あらたかなおみくじを下すものなり。余文はなお多く、本案の回答の範囲外ゆえ、略す。
 このほかに、小鬼も「敢えてお尋ね」したき点あり――しかしこれは報復の試験ではありません。「報復(仇討)は春秋の大義」ですが、学生がどうして先生を仇とし報復しようなど、更に試験をというのは罪深いことで、単に一笑を博さんとするだけです。問い:我々の教室の天井の中央に何がありますか?電灯という答えでは6点もあげられません。月曜まで待って、その後というのはカンニングの罰点です。このテーマは平常から熟知のはずで、探検のように不慣れなものでなく、そんなに難しくないでしょう。明日回答ください!
 午門の遊から帰ってくると、勝利の微笑みが車の中にいるときから学校まで長く続きました:更に思い出して、階下にいるときと、雨天体操場でのお転婆ぶりは、得意満面でした。皆は銘々に満足を求め、それで困る人のことは考えません。その実、困らされた人はあの日、心理試験をしっかり行い、皆に起立を命じ、是非の多寡を占い、更に階下に降りるのを遅らせて、誠意があるかどうかを試されました。そしてついに「扇動」されました。最新の採点計算では全て正解なら満点、50:50なら相殺で1点も無し。全部不正解なら言うまでもなく零点です。「60点」?とは寛大すぎでしょう。実はあの日、なぜ「迫られ」て「失敗」し、帰結もやはり「体を揺らし一変」する技術がうまくなかった。さもなければ、女の教師に変じ、「引率」するも問題なし。(私のこの話も、「そんなバカなことあるか」で、男の教師が「引率」するに何の奇がありましょうか)或いは、女に変じ……たら、包囲も突破できた。しかしついに「迫られ」てしまわれました。これは限界が鮮明に分けられているせいでしょうか。やはり世俗的習性を打破するのは容易じゃないからでしょう。
 現世も実に暗黒で、女が何かやろうとすると、いろんな所で困難にぶつかります。私は臆病じゃないですが、面倒を避けようとしますから、まず人に聞くのです。何と知識社会の出版社もこっそりと人を欺くのですね――それは申請の宛先すらありません、それが疑わしい点――という具合です。これは本当に猛進する人にいろんな所で多くの阻害と躊躇を感じさせる点です。「誰が女に産んだのか?」という句に対し、旦那方や奥方たちに答える言葉もありません。
   小鬼 許広平   4月25晩

訳者雑感:当時の女学生を引率して故宮(紫禁城)の午門の上に登ったという情景が浮かんでくる。お転婆たちが大勢で魯迅を困らせている図だ。中国の女性は昔から勇敢で大胆だったようだ。肺炎に罹った男を気管支炎、気管炎というが、大抵の男は「気管炎」ですという。「妻管厳」(中国語の発音は同音で、妻の管理が厳格の意)
 魯迅はこの後、彼女と一緒になるのだが、もうこの時点でそれが分かる。
2016/08/10記


 

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両地書15

両地書15
 広平兄:
 16日と20日の貴信拝受。返事が遅くなってごめんなさい。今やっと一緒に返事します。この数日実に多忙で、瑣事のほかに、例の奇妙な「□□週刊」の件はまだ計画段階なのですが、ある学生が邵飄萍に話してしまい、彼は広告を載せ、とても誇大に書いたので、翌日私は代わりに他の広告を出そうとし、絶対載せるように、そして修正も許さないと言ったのだが、なんと彼はつまらぬ編者の言葉を付け加えた。何か事をやろうとする時、意思の疎通を欠くと、実に小さなことまで壁にぶつかるのですね。私には百数枚の原稿以外、何もないのですが、広告のムチの強迫で、無理やり走りださねばならず、人にも催促し、自分も書き、今までに何とかとりまとめ、今日原稿を渡す日です。原稿を通して見たが、実際余りいい出来栄えでもなく、それほど期待しないがいいです。期待が大き過ぎると、失望も更に大きくなってしまいます。でも将来多少良くなると望んでいます。原稿があれば送ってください。論じる問題の大小はこだわりません。あなたは「京報」を購読していますか?購読してなければ、彼らから「莽原」すなわち所謂「□□週刊」――を送らせましょう。
 しかし金曜には学校できっと「京報」を見るでしょう。例の「莽原」の2字は8歳の子が書いたもので、名前には何の意味もなく、「語絲」と同じですが、「昿野」に近い意味です。寄稿者の名は皆本名ですが、末尾の4つは皆私が代って書いたもので、将来やはり文章から分かるでしょう。文体を改変するのは実に容易ではありません。この人たちの多くは小説を書き、翻訳はしますが、評論を書ける人は何人もいません:実に大きな欠点です。
 薛氏はすでに復職したようで、もちろん結構なことだが、出たり入ったりと大変な苦労を免れまい。今の教育当局の人は知りません。但し彼が孫中山追悼の対聯を自ら誇るのと、全く「道を異にする」段祺瑞と親密なのは、人間として推して知るべし。聞くところでは、歴来の言行も蓋し大言壮語で実なく、善を欺き、悪を恐れる輩に過ぎぬ。要はこの混濁した政局に高官でいる訳だから、清流はたいていこんな手段はとても取れない。私の見るところ、王九齢の方がずっとましです。校長の件は教育部内で何も聞きません。この人が来て教育を整頓しようと自命しているのだが、従来のやりかたをひっくり返す一切の新法(彼は今の学校騒動に不満で)を実行すると言いますが、それも大言壮語かどうか知りません。今はびくびくしている人が多く、話すすべもありません。
 私はかつて小説や評論を書き、いろいろ描写し、人を批評しましたが、今はどうしたわけか、因果応報となって、自分の身に及んできたようです。自分も人の文章のテーマになってしまいました。張王氏の両篇も見たけど、ほめすぎだし、私自身は決してそんな「冷静」とは思わない、もしそうできたら「小鬼」たちが来ても、16日の手紙を見るまで、すでに「探検」されたとは知らず、もし張君の言うように、第一から第三に至るまで全て「冷静」ならとうに見破っていたことでしょう。但し、君たちの研究はそれほど精細ではないようで、今試験しますが:私のいたガラス窓の部屋の屋根はどんな具合でしたか?後園の方にも行っていたなら、これを見たはずで即答できるでしょう。
 月曜の「靭性」の競争は確かに失敗でしたが、何とか1時間は抵抗でき、成績は60点以上取れました。だが衆寡敵せず、ついに午門にのぼらされ、その後公園に遁走し、「引率」の厄に近づくのを避けられました。私は常に兵を帯び、銃撃するのはもとより憚りませんが、もしそれが一変して女学生を引き連れて、遊歴するとなると、テーマから離れすぎ、真っ先に逃げ出したのは、「困らせよるとする」のや「ハメをはずす」のを恐れてではなく、実は引率者になる事から逃げたにすぎません。
 琴心の問題は全て明白になりました。以前、ある人は司空蕙と言い、ある人は陸晶清とし、そして孫伏園はみな違うと否定し、新人の女性だとした。蓋し投稿は自筆ではなく別の筆跡で、伏園は見分けるのがうまいと自負しており、あにはからんや、ペテンにあった。2つ目は使った赤い封筒と緑の用紙で、とうに伏園の筆跡鑑定の目をくらませ、ついに疑いは司空蕙の身に至らなかった。更に書かれた詩文もとても女性的で、彼の名を署名した文を見ても、同じトーンで本来なら見破れるはずだが、誰がこんな細かなことで無聊な名声を得るために、そんな苦心した手段を思い至るでしょうか。彼の「千人掃蕩」の大作は今日の「京報副刊」にもその端緒が露呈されたようで:掃蕩の対象の一人は、寥仲潜の小説中の芳子ですが、私は、芳子は即ち寥仲潜だと思います。実はそんな人はおらず、琴心と同じだと思います。第二は向培良で、彼の認識力が確かで、琴心の掃蕩は軟弱を免れないでしょう。しかし培良はもう河南に行って新聞をやっているから、返事は無いでしょう。残念ながら、面白い議論を見ることはできないでしょう。
 「民国公報」の実情は知らないので、聞いて返します。一般的に所謂編集者試験の多くは同じで、大抵は推薦が多くて対応しきれず、体裁をつくろって、公募の形をとり、推薦者が怪しむのを免れ、実はとうに裏で決めていて、他の受験者は彼に陪席する芝居に過ぎません。だが「民国公報」はどうか難しいが(十中八九はこうだと思う)、要はまず聞いてみよう。私の意見は編集者になるのは何の進歩もなく、近来常に週刊の類と関係があるが、本を見てばかりで、休息の時間がとれず、選んだ原稿も常に手を入れ、開削せねばならず、そのまま出したら笑止千万になる。やはり「人の患い」であれば落ち着いて暮せるし、たとえ時に午門に登らされても、2-3時間費やすだけです。
    魯迅  4月22夜
訳者雑感:魯迅が教育関係当局の人(章士釗)は知りません、とこの25年の時点で述べているが、彼を評して: 
   『孫中山追悼の対聯を自ら誇るのと、全く「道を異にする」段祺瑞と親密なのは、人間として推して知るべし。聞くところでは、歴来の言行も蓋し大言壮語で実なく、善を欺き、悪を恐れる輩に過ぎぬ。要はこの混濁した政局に高官でいる
訳だから、清流はたいていこんな手段はとても取れない』
 としているのは、その翌年の3.18事件で愛国群衆や学生たちを惨殺したのは段祺瑞が北洋軍政府の長であった時である。
    2016/08/04記

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両地書14

両地書14
 魯迅師:
 数日前に出しました手紙届いていましょうか?
 「□□週刊」は日ごろからまとめ様とされていた例のネタを編集されたのですか?時間が速く過ぎて、金曜が早く来て、真っ先に読みたいと思っています。
 今日,講堂でむりやり博物館に連れていって欲しいとお頼みしたのは、実にGentleman的ではありませんでした。しかし大衆の動機は「授業をサボる」のや「先生を困らせる」こととは確かに違いまして、若い学生の無邪気さから、少し野蛮にハメをはずした点は否めません。思い出すと、笑止千万ですが、我々は先生以外の人には絶対こんなことは致しません。
 最近突然「何者も眼中になく、千人を掃蕩する」琴心女士は、学校内の人は固より疑い、外部の人もこの不可解なことを尋ねる人が多いです。今はっきりしたことは:元来彼女の躯体はS妹で、魂は司空蕙です。ははは、道理で彼女が何度も司空を弁護したのです。同じ穴の狢です。私は彼女がこの「三位一体」――琴心――雪紋――司空蕙――の名をつけた最大目的は、「琴心の名で最近の文壇の新しく発表した多くの文芸作品に厳格な批評をし、自らは非凡な蛇のような芸術家を任じている連中に、人を見下させない」ことにあると思います。道理で、培良君が不倶戴天なのも分かるし、それは「玉君」を持ち上げる為で、それで多分自己保身の話をするわけです。こんなことは皆小さな芝居で、元々大した関係はなく、現在それについて言えば、お笑い草を提供したに過ぎず、文壇にこういう新しい手品があることを知っただけです。
 今日「京報」に「民国公報」の編集者公募の広告があり、どうもこの種新聞も「民国日報」の同流と聞いていましたが、確かですか、ご存知でしょうか?その宗旨はどの派の政見に拠っているでしょうか?応募の宛先は?規則などはどうでしょうか?先生は外部のことを私より詳しいから、一、二教えて頂き、進むべきか止めるべきか、アドヴァイス頂けますか?小鬼は学識も浅薄で、編集者には向いていない、特に新聞学はまだ勉強したこともないのですが、受験してみようと思うのは、実はこれが「人の患い」となるよりは、進歩だと考え、学識面でも助けになるのではと思うからです。いかがでしょうか?
 小鬼 許広平 4月20晩


訳者雑感:授業中に魯迅に対して、博物館に連れて行って欲しいと言い出したのは、当時、教育部が歴史博物館建設を準備していて、魯迅がその担当科長だったことに関係ある、と出版社の注にある。魯迅は「中国小説誌略」とか「漢文学史綱要」など書いており、その後政権が安定して継続し、この歴史博物館に彼が本格的に参与していたら、どんな博物館になっただろう。鴎外も晩年は江戸時代の歴史を渉猟し多くの作品を残し、政権が安定していたから、奈良の正倉院の館長にもなって、毎年奈良に赴いている。医学を学びながら、片や途中で文学に転じた魯迅と、医学の勉強のためにドイツに留学し、軍医として上位まで上りつめたが、やはり文学に転じ、博物館長になった鴎外と、共通点は面白い。2人とも自国語以外にドイツ語を学んで多くの翻訳も残している。
   2016/07/28記

 

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両地書13

両地書13
 魯迅師:
 「お宅」を探検しました!帰宅後の印象は、赤い灯火が消えてしまったように感じました。一面ガラス張りのお部屋に座り、時にはしとしとと降る雨音を耳に、時に月光の清幽を眺め、棗(なつめ)の木が芽吹き、実がなるときには微風が枝を揺らし、実が落ちるのを見、鶏のコツコと絶えず無く声も耳にされているのでしょうね。朝夕には、時に両手を後ろに組み、この小天地を徘徊し俯仰されるのでしょう。とても趣のあることで、味は如何でしょう。やはり一筋一筋とのぼる煙草の煙がくゆるのを眺め、無窮の空に伝わり、昇騰分散する…。消えてしまうのでしょうか?残るのでしょうか?(小鬼は余り推想や描写がうまくないので、唐突な表現をお許しください!)
 「京報副刊」に一昨日、王鋳君の「魯迅先生…」の一篇と「現代評論」の何号か前のあの文が載りまして、読後私はやはりいいなと思いました。私はいつも教室でお聞きするのと同じようなお話が好きです。どれだけ理解でき、体得できているか分かりませんし、「誤解」もありましょうが、意味深長で人を引き付けずにはおかない妙を感じます。聞きなれていない人たちは、誤解しやすく、端緒を見出せないでしょうが、それは余り問題ではありません。時間が経てば自然に良い方法が見つかり、うまく調和するでしょう。冗長なものよりずっと良く、学者は知らざるを患うなく、法(のり)にかなえられぬを患うのです。
 今の「夫人連」は確かに一人もここに来るにふさわしい人はいないと言えます ――小姐たちも同じ――そして旦那たちの王九齢も辞職しました。但、法学博士がこの種の成見を打破できるか否か分かりません。要は、現在の学校騒動が数カ月続き、申請書も無数に出され、教育部も2回査察に来、総長も3人が代わっても学校の問題は何も落着せず、「大旱に雨雲を望むように」人を替えても、何時になったら終わるか知りません。薛はもう学校に戻り、任務に就いた。一枚の紙を掲示板に張り、大意は:薛の辞任は再三の慰留により、やはり校務が大切として既に任に当たり、云々、と。自治会は即刻彼を教務長と認めるか否か会議し、4年生は間もなく卒業するので、承認を示し、その他の人は少数で、異議は通じず、これは内部麻痺の「死んだふり」の復活です。そして、新任の教育総長は我が校に対して、発表する前から我々をとても失望させました。夫人連を校長にという成見は彼の脳内では軽いことかもしれません。だがそれ以外となると? この種内外の暗黒な内幕は文章にして発表しようと思っているのですが、各方面の掣肘と投稿の難しさもあり、毎日苦しみ、ひっそりと思いを抑え、「勝手にしろ」「やめようにもやめられない」やめなければだめだ!と考えながら、どうにもすかっとできません。
 「猛進」は「語絲」の目録を見過ごし、又受付にも購読用紙があったのを見なかったので、小さなことですが、迂闊でした。分かりましたので、受付に申し込みました。ご配慮ありがとうございました。ご報告まで。
   小鬼 許広平 4月16晩

訳者雑感:学校騒動がもう手に負えぬほど悪化しているのがわかる。辛亥革命で清朝は倒せたが、袁世凱以降の北洋(軍閥)政権が復古主義で孔子を尊敬し、経書を読め云々と主張して、近代化とは逆方向に向かおうとした。それに抗おうとする意思が魯迅と許の手紙からわかる。
  2016/07/25記
 

 

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両地書12

両地書12
 広平兄
  話はたくさんあり、先日、本来口頭でお答えできたが、ここには朝から晩まで客が多いので只天気の話や風の強弱などができただけです。平常の話とはいえ、偶然ある部分だけを耳にすると妙な感じになり、それがデマのもとになりますから、やはり書くことにします。
学校のことは暫く「死にも生きもせず」でしょう。昨日の話では章夫人は来ないとなり、別途二人を推薦したようですが、一人は来ず、もう一人は頼まぬそうです。さらに□夫人はなりたいと思ったが、当局は敢えて請わず、評議会の引き留めは何の役にも立たなかったそうです。それで問題は人が得られないと、当局は「夫人」の類から選びたいが、もとよりこだわり過ぎで、別の時には無くてもよいとか、これが実は死なず生かさずの大原因です。後はどうなるか、次回の解を待つのみ。
 お手紙の中での意見は、実際問題として私は間違っているとは思わないが、賛成は出来かねます。一つは、全局からみてで、二つ目は、自分の偏見からです。第一、これは少人数ではできないし、このような人は今多くないから。いるとしても軽々に使うべきではなく:またたとえ1-2回類似な事件が起きても、国民を震撼させるには不足で、彼らはとても麻痺していて、悪い連中に対して、すごく厳密に警戒しても必ずしも心を入れ替え、顔を改めるとは限らない。又これはすぐにも悪影響を及ぼし、たとえば、民国2年の袁世凱もこのやり方を使ったし、革命者が用いたのは多くの青年だったが、彼はやはり金で雇った奴才で、ちょっと秤で計って見れば、どうしてもこちらが損をするのですが、革命者たちもかつて人を雇って互いに惨殺したこともあり、この道は更に堕落し、今たとえ復活させても、いっときは快いが、大局とは無関係と思います。
第二、私の性格はこうなのですが、自分がやったことのないものに余り賛成しません。時に私もはげしい論調で、青年に冒険を煽ることもしたが、知っている相手に対しては、彼の文章を批評できず、彼の冒険を見たくないし、明らかに自己矛盾だとわかると何もできないという癖が直りません。ついには改良のすべもなく、何ともできず、暫くそのままにしておく他ありません。
 「苦悶の無いところはない。苦悶(この次にまた4つの…)「小鬼」の「苦悶」の原因は「性急」のせいだと思う。進取的国民の間では性急は良い。だが麻痺した中国のような所では、馬鹿をみます。たとえ犠牲となっても、自己を毀損するのみで国度に何の影響もありません。以前学校で演説した時、話したと思うが、この麻痺した国度を治そうとするなら、ただ一つの方法あるのみ。すなわち「靭(ねばり)」で「少しもおろそかにせず」で、少しずつやって、休まねば、「談論風発」のみで役に立たぬということにはならないでしょう。但しその間、「苦悶、苦悶(この次に4つ続く…)」は免れません。しかしこの「苦悶…」と抗うしかありません。これは人に辛抱して奴隷になれと勧めるに近いが、実は大いに異なります。甘んじて楽しんで奴隷になるのは将来の望みはありませんが、心に不平を抱くなら、徐々に効力のあることをするようになれます。
 時に「宣伝」は役に立たぬと思いますが、よく考えてみると、そうとも限りません。革命前、最初の犠牲者は、史堅如だったと記憶しますが,今の人は皆あまり知りません。広東なら割合知っている人も多いでしょう。その後何人もが続いたが、爆発したのは湖北で、やはり宣伝の効果です。当時袁世凱と妥協し、病根を植えたのは実は党人の実力が充実していなかったからです。だから前車に鑑み、これから第一に図らなければならないのは、実力を充足させることで、これ以外の各種言動は只、少し補佐できるのみです。
 文章の見方は人それぞれですが、私は短文が好きで、反語をよく使い、弁論の度に、3x7、21という九九には構わず、すぐ一撃しますから、私と異なるやり方を欠点と思ってしまいます。しかし流暢で意を達する文も良い点あり、わざわざ削減する必要はないです(但し、煩雑冗長は自分で削除すべし)。例えば、銭玄同の文章はとても伸び伸びして、含む所が少なく、読者は一目瞭然、疑う所はなく、だから意見を発表するのに良く、かえってその方がよく、効果も非常に大きいのです。私の文章はよく誤解され、時には思いもかけぬ方に解釈されてしまい、やはり意思は簡潔に練るのがよく、慎重に書かぬとすぐ晦渋になり、その弊害はとても大きい。(原文は不可究詰という4語だが、他に適当な語が見つからないのでそのままにするがとても大きい意、と魯迅の説明)
 一昨日「猛進」は最終的には未訂のように聞きましたが、他の話に移ったので、そのままにしていましたが、もし未訂なら連絡ください。郵送しましょう。
忙しいとはいえ、それは「口癖」に過ぎず、毎日いつも閑座し、無駄話をしておりまして、手紙を書くのは難事ではありません。
    魯迅 4月14日
訳者雑感:宣伝という行為。これが広東で最初の犠牲者が出て、それを宣伝し伝達された結果が、広東のすぐ北の湖北省で革命が起こったことにつながった。
だから、文章で宣伝することで補佐するのが魯迅の考えだったのだろう。しかし、最初の党人が実力(軍事力)が無いために、袁世凱という北洋軍を持つ相手と妥協してしまったのが、その後の民国の長いながい混乱の始まりであった。
 その後、国民党が自前の軍事力を持つようになったが、日本軍には立ち向かえず、重慶まで逃げ延びた。その後朱徳と毛沢東の共産党の解放軍が、蒋介石の国民党軍を大陸から追い出した。軍は党の下に属し、国家の下ではなかった。
トルコのクーデターを起こした軍は国軍なのだろうが、大統領の党に属してはいないのだろう。      2016/07/18記


 

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両地書11 

両地書11 
 魯迅師:
 昨日先生の手紙拝受。一昨日郵送いただいた「猛進」5部いただき、開けてみたら元々発行は北大で、自分の見分の狭さと学識の浅さに、覚えず失笑しました。すぐ受付にゆき、購読を申し込みました。お手紙に「今後発禁にならなければ郵送しましょう」とのお言葉を頂いていますが、厚意に大変感謝申し上げますが、先生はことにお忙しいでしょうから、このようなことにお手を煩わせては申し訳ありませんので、ご放念ください。
 薛氏は当日大きな束の紙を引き裂き、両手いっぱいにつかんで、前に学生、後ろに教育省の職員の間で、あのように進退きわまって狼狽した形で、実に見ものでした。そして私の質問への対応にどぎまぎして、退きましたが、馬鹿にされるままなのに甘んぜず、教務室に私を呼んで尋問恫喝し、私が強く答えると、対応できず、最後の毒針を使い、退くのを進むとし先制攻撃として又所謂
「悪いほうが先に訴える」ものだと言い出す始末です。その意味はけだし、学生を攻撃したために一部の人の反感を買い、それで辞職の書面を各班に送った時、我々は、彼は教員に対してはきっと別の表現をするだろうと思っていました。今はもっぱら学生のために辞職するということですが、本心はどうなのでしょう。但し、最終的に辞めるのなら、滑稽ですが、辞めないより痛快といえます。こうすれば、今回は少し犠牲が少なくて済み、大変価値があるといえます。教務所に張られた彼を罵るビラは確かにやり過ぎの面がありますが、彼の行状に疑うべき点が多々あるからです。書いた人は固よりユーモアには欠けますが、群衆が引き起こしたことで予防もできず、慎重さを欠いたことは免れません。その実、平常心でこれを論じて、彼を罵って「馬鹿」というのは何もおかしいことではなく、どうしたって堂々たる「国民の母の母」でも、勝手に「そんなバカなことあるか」と罵れるのですから、上がそうするのが好きなら、下はさらに甚だしくなるのは、怪しむに足りません。先生、そうでしょう!
 今最も心配なのは、騒ぎが数カ月続き、息も絶え絶えなのに、又やはり女性を女学校の校長にするのが良いと、古い頭の人が、目を閉じて学生に問うて「君たちの大多数は反対か?」というような人を教育部の長にしていることです。こういう類の人から良い校長を選べましょうか? 代々悪くなって、無益なばかりか、有害で:ぐずぐずこのまま何も決めないと、ポストに未練のある連中の手段はいよいよ完璧になり、学生が軟化し消極的になる者はますます増え、ついに事件は影も形もなくなってしまい、馬鹿騒ぎしただけになります。本当になんでこんな苦労をせねばならぬのか、今日という今日になって、初めから何もせねば良かった!苦悶の無いところなどない、苦悶、苦悶、苦悶、苦悶…。
 現在「病根を攻める」とき、「最も速く」「有効に」「遅れずに」やりたいのなら、唯一の道は先生のおっしゃる「火と剣」です。二次革命で孫文が国外に逃れてから、すでにこのことを悟ったから、なんとかして党の軍隊を組織しようとしたが、今もってたいしたことはできていません。況や、今早急に解決をせねばならぬ問題は、まさにこれ以上遅らせることは許されず、若干の準備期間は待つとしても、一歩ずつ進め、少しは効果を収めるべきです。さもないと、おそらく国の魂を死んだ魚を売る店の棚に求めるようになってしまいます。これは杞憂です。だから小鬼の考えは、民意に反する乱臣の賊に対し、実際三寸の剣で一撃のもとに相手を倒し、然る後、天を仰ぎ長嘯し、剣に伏して死ぬに如かず。それなら三四名の犠牲で、賊の肝を寒からしめ、妄動させなくします。犠牲となるものは固より、肝が据わり、勇気あるものだが、学識深いものが当たる要はない。蓋し、そういう人を使うのはもったいない。青年は急いで攻撃するのを望みます。それは老人に比べて甚だしく、彼らは前者を受け継いで、後者のために道を開く橋梁となろうとし、国家の存亡はすべて彼らの肩にかかっています。彼らはどれほどの覚悟ができているのか?それはあまり提起する必要はありません!彼らに「改革を鼓吹」しようと思うのは、国家の人材育成の根本の計です。それは手遅れにならぬよう、急がねばなりません。皮膚が無くなったら、毛が付く場所はありません。これもまた杞憂也。だから私はこの方法は次善の策で、上述の二つを並行して行うべきと思います。
 「柴や愚、参も魯」(講師の弟子で愚鈍だった)と教える立場の人の目にはつとに明らかですが、それでも「なぜ夫々の志を言わないのか?」と下問されたら、私は思い切って「率直に申し上げるだけです」 
 風景を叙述するのは風雅な文人の特長で、花月を悲しむのは女の病で、四海を家とし、何も余計な心配をすることもなく、現在これを懐う者は、なにやら「母の懐で…ゆりかごの中」で考えている言葉はこちらにあるが、気持はあちらにあるのです。全編を「美しい文章」の抒情文は、確かに現在の所謂女流文学家の特徴で、幸い私は文学家の資格も夢もなく、こういう文章は一字も思いつきません。ところが議論の文を書くときの「特別な注意点」を知らないうちに、すべて忘れてしまっていたのです。自らの不注意を先生に看破され、お恥ずかしい限りです。しかし「徹頭徹尾、逐一反駁する」のは、蓋しこんなものじゃないと思います。特に敵を完膚なきまでにするには不足で自分も残念です。これは孟子と東坡の余毒を長い間飲んでいるうちに、知らぬ間にその病にかかっていたのです。「正しく論敵の要所を突くのに欠け」「長文はうまいが、短文は良くない」などは女性の理知判断と論理学がいずれも十分訓練されておらず、加えて長い間の遺伝で、慎重になって、反省しにくい故で、今後何とか改めようと思います。「短文がうまくない」のは上記の病原以外のことで、多分水準の低さのせいでしょう。作文を学んだ時、たいていはどうも文辞が意を達せないかと心配で、意を達するために、饒舌になり、さらに進めば、簡潔な練れた文になるのでしょうが、これは殆ど年齢と学力に関係してくるので、この後さらに洗練するのを願います。しかし鏡がなければ形を見ることもかないませんので、自ら勉強するほかに、まさに匡正を待つ必要あり、どうか先生がよろしくご指導くだされば幸甚です!
 この文章は驢馬でもなく馬でもなく、文語でもなく口語でもない乱文で、すぐ燃すに値しますが、翻って言えば現在の最新の一派で、それも可ですが、私は犬を描こうとして、うまく描けないのです。どうか朱筆で大いにご訂正ください!――先生の朱筆はとっくにくず箱に放ってしまわれたでしょうが。いかがでしょうか?  
  (魯迅先生の御承認の名)小鬼許広平。4月10日晩

訳者雑感:辛亥革命で満州族の清朝を倒すことはできたが、二次革命で国はさらに混乱を極めた。その原因は党に軍隊がないことであった。孫文は軍を持たない革命家であった。革命いまだならず、同志よすべからく努力せよ」という遺言が残るが、海岸の砂のようなばらばらの中国人は、党の軍を核に、革命を実行することはできなかった。毛沢東が言う「鉄砲から政権が生まれる」ということを本当に具現するまで。それで今なお中国の軍隊は共産党が指揮する形の「人民解放軍」という名前のままである。まだ解放されていないのだ。誰からあるいは何から解放されていないのだろう。
   2016/07/12記

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両地書10

両地書10
 広平兄:
 先日5人の署名付き印刷文受領。学校でまた何が起こったかを知りましたが、薛氏の宣言は未着で、学生からの書面で推測できるだけです。私の悪い癖で、表面的なことは信じないので、薛氏の辞職の意思を疑いました。以前から決まっていたことで、この機にそれを発表しているにすぎず、自分では、今辞めるのが特に体裁よいと思っているのです。その実「態度横暴」の罪状はピンときませんし、たとえそうであっても、辞職する必要もなく、自ら辞めようとし、何人かの学生を道連れにしようとするなら、そのやり方は悪劣だと思います。しかし究極の内部状況は分からないので、要するに普通に思いつくことでは、どうやら「陰謀で」「死んだふり」しているに違いないから、学生には対応が難しいでしょう。今や中庸の方法はないから、彼の所謂罪状が「態度横暴」に過ぎぬなら、取り立てて人の生命を制するに足りず、あの反駁の手紙で構わないでしょう。今後はただ平常心で静かにできれば、再度その後の状況をみて、随時実直なやり方で対応すればよいでしょう。
 今回の劇は一人当たり20元分配なら、結果としては悪くないと思います。一昨年、世界語学校の演劇の募金は、数十元の赤字でした。この額では旅行するには足りず、行くとしても天津くらいのみ。事実今は何も旅行しなくとも、江浙の教育は見かけ上は発達しているというが、内実は大して良くありません。母校を見れば、その他の一切が推測できるし、おやつを買って1日1元ほど食べた方が実益があります。
 大同世界は、いっときには来ないと思うし、来たとしても中国の今のような状態の民族にとっては、きっと大同の外でしょう。だから思うに、何であれ要は改革するのが良いのです。但し、改革するのに最も早いのは火と剣で、孫文は一代をかけて奔走したが、中国はやはりこんな状態で、最大の原因は彼には、党軍が無かったからで、そのため、武力をもつ他の人と折り合うしかなかったのです。この数年、彼らは覚悟したようで、軍官学校を作ったが、惜しいかな、遅すぎました。中国国民性の堕落は、決して家のことを顧みないからではなく、彼らは「家」の為に考えることすらしてこなかったと思う。最大の病根は眼光が遠くを見ず、加えて「卑怯」と「貪婪」が、これは歴史的に長い間養成されたもので、いっときにそう簡単に除去できない。こうした病根を攻落することについて、もしできることがあれば、今でも手を離しませんが、たとえ有効でも、遅すぎたし、我々自身が目にすることはできないでしょう。思うに――これは唯そう感じるだけで理由は言えませんが――目下の圧政と暗黒は逆に増大するが、そのためにきっと更に激烈な反抗と、不平を持つ別分子が出てきて、将来の新しい変動への萌芽となるでしょう。
 「門を閉ざし、長く嘆息する」のは大変気がめいります。そこで私は先ずは思想と習慣に明白な攻撃を加え、以前は旧党を攻撃しただけですが、今は青年も攻撃します。だが政府はどうやら言論統制の網を張ろうとしているから、網を破る方法を準備しなければなりません――これは各国で改革を鼓吹する人の決まって遭遇することです。今私は反抗し攻撃する筆を持つ人を探していて、もう数名増えれば「やってみよう」と思っていますが、その効果は分かりません。多分いささか自己満足に過ぎぬかもしれません。だから一面ではまた無聊に感じ、また自分でも余りその気力に乏しく、「小鬼(許を指す)」は若いから当然鋭気に満ち、より面白くていい方法を持っていませんか?
 私の所謂「女性」的文章は何も「ヤ、アイ、ヨ」などが多いというのでなく、抒情文なら見栄えの良い文が多く、風景描写は家庭を懐い、秋の花を見れば心傷み、名月に涙すという類です。弁論文だと一層目につきます。即ち相手の言葉を挙げるに、徹頭徹尾、逐一反駁し、鋭いけれど沈重でなく「論敵」の害毒と正面から対するのが少なく、わずかに一撃で致命的重傷を負わせられない。要するに、唯小さな毒で、劇毒はなく、長文はうまいが短文はうまくない。
「猛進」は昨日5部送ったので、届いたと思います。今後発禁されなければ送ります。手元に数部ありますから。
   魯迅 4月8日

 ○○女士の挙動は良くないようです:彼女が新聞を出すとき、カラハン(ソ連の外交官)のところへ行き、寄付を頼み、応じてくれねばロシアの悪口を書く云々と。

訳者雑感:10回の往復書面で大分お互いの考え方が分かってきた。魯迅は彼女を仲間として、一緒に何かやるときに手伝ってくれないか、と言い始めた。
意気投合寸前と思われる。
    2016/07/06記

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両地書九

両地書九
 魯迅師:
 1日発の貴信拝受。今日やっと筆を取れるようになり、長い間たまっていた話したいことを書きます。
 最近学校は一幕の活劇を演じていて、導火線は教育部から来た薛氏というある種の阿呆で幼稚な振る舞いです。最終的には彼は情理を尽くしても学生には通じないと悟り、逆切れし学生を道連れに締め上げようとし、笑止千万です!こういう下卑た根性は、複雑な問題を抱えており、我々の単純な学生心理では、如何にして彼等の様な狐狸の群れの毒ある悪辣な手口に対抗できるでしょうか。双方の書面を先生は御覧になっていると思います。我々5人の学生のものは、何の虚偽も無いのは確かですが、相手はまたどんな手口を使ってくるか分かりません。先生、今はもう「白兵戦」の時です!正直者はばかを見る羽目になります。戦に臨んで勇気を出さずに退いてはだめです。智者は無益な犠牲はしませんが、中庸の方法はどうすればよいでしょうか?先生は世故に長じられていますから、教えてください。
 前回の劇の結果は一人当たりたった20余元分配され、日本旅行は固より不足で、南方各地参観にも足りず、大騒ぎしたけれど何もなりませんでした。観客が騒ぐのは殆ど中国の劇場の積習といえ、特に女性が演じるときは特にひどくて、本当に演劇を見に来る人はとても少ないのです。だから、「大量の蚊取り線香をたいて追い出すべきです」が、彼らが早くにいぶし出されていたら、芝居になりません。これが目下の社会のどうしようもない相関関係です。嘆かわしいです!
 学校の状況は愈々複雑になってきました。東南大の後塵を拝すのは多分女師大学です。こういう空気を吸うと肺病になりますが、見ていられぬ人は反抗に起ちあがります。が、反抗すると即、損を蒙り:反抗せぬと、永遠に埋没してゆきます。校事、国事…すべてそうです。人生、人生はなんといやなことの多いものでしょう。死にそうな人に人参湯を飲ませるように、死にきれず、といって生きてもゆけぬ。半ば麻痺した瘋狂状態なのです!「ある女読者」の文を、先生は男の書いたものと疑っておられ、それも当然一つの見方で、私も「現代評論」執筆者の多くは校長派と与し、彼女のために協力していると聞いたことがあります。ただ、校内の一部の人も確かに「ある女読者」のような理屈の通らぬ論もあり、従って私の推理は間違っていたとしても、的も無く矢を放っているのではありません。
 民国元年のころ、頑固者はひたすら頑固で、改革派はみな改革で、この両派は相反していたから、どちらかが優勢になれば成功しました。当時の改革派の人は個々に、匈奴が滅びぬ限り、何を以て国家とするやとして、国のために家を忘れ、公の為に私を忘れる気概を持ち、身も家もいらないという気持ちだったから、権利など口にすることもありませんでした。だからあの頃の人心は容易に召還でき、旗幟もわりに鮮明でした。現在は革命分子と頑固派が一緒になって、色々な所で、「役割」を離れず、人を損ない、己を利する風潮で、悪劣分子も増えました。目下中国人は家の経済のために、出世金儲けを謀らねばならず、売国奴が現れてきました。売国奴は社会に不忠で、国にも不忠だが、家には忠なのです。国と家との利害は相互矛盾しているから、人々は国の為に犠牲にはならず、家の犠牲になるのです。そして国との関係は家との直接の関係に如かず、それで国民性が堕落し、それが愈々甚だしくなって処理困難となります。こんな人間はどんな存在価値があるのでしょうか。亡国は最終の一歩です。一部の人は正に最新の無国境主義を唱えていますが、欧米先進国は大同という観点からこういう人を待遇できるでしょうが、国境が無くなっても解決できぬ問題です。
 先生のお手紙で言われるように:「中国で活動している2種の<主義者>…私は無所属だが」は、私は「無所属」でも何かをするのは構わないと思います。あのように不純で、不徹底な団体には、我々は全く希望を持てません。女性の組織した何とか「参政」や「国民促進」「女権運動」などの人たちの行動をみて、私は敢えて女子の団体に加入しようとは思いません。あれらの団体は根本的な事業になんら建設的なものはなく、その結果、大半は「英雄と美人」の養成所になり;言ってみれば、実に人に怒りを感じさせます。少し意を強くすることができるのは、只秋瑾一人で、その他の何とか唐□□、沈□□、石□□、万□□…など、すべて蚊取り線香であぶりだすべきです。あの人たちと協力できないと思いますが、自分一人では余り対したこともできぬし、やはり最後は吾師に希望を託すのです。土匪はどうしても「金儲け第一」ですが、「大きな升で金銀を山分け」でき、それが公平であれば姿かたちを変えた兵隊よりましだと思います。兵隊も「金儲け第一」でない者はなく、それ故、まずは地盤を占拠しようとして、口ではうまいこと言うが土匪に及ばず、土匪の方が自ら貫徹できる目的を持ち、名が実に伴っているのです。
 私は毎日午前から午後3-4時まで授業を受け、放課後は哈徳門の東で「家庭教師」をし、9時に学校に戻り、また小食堂で自習し、12時に寝ます。このように判で押したような日常行動は心身共にいい気分です。これが即「語絲」のいう現在「只自分だけが頼りだ」と覚悟すべきで、我々が物事をする出発点です。一人一人が「自分だけが頼りだ」と思う人が集まって、辺際の無い「聯合戦線」を形成するのです。先生が本当にご自分では「拳なく、勇なき」人間と考え、「その成すことできぬことを知りながら成そう」とは思われませんか?孫中山は必ずしも神聖者とは限らぬとはいえ、確かに彼も純粋に「拳なく、勇なき」状態で数十年やりました。成敗得失はまた別の問題ではありますが。
 物事を成す人は当然「勇猛」な人が多いですが、只この種の人はすぐ血気に任せた勇で、所謂勇だが無謀で、容易に失敗してしまい、指導者としては必ず「精緻な」観察力を持ち、手際良く処置調整ができてこそ、軽挙妄動の弊害を免れ、その「勇往直進」こそ、成功を導くものです。では、第一の「ダメ」は考えすぎなくてもよいでしょうし、第二の「犠牲」は他の人が犠牲になるのを望まぬのであって、「他」の人にとっては、建設することであり、自分は犠牲を望まぬとしても、人は価値あるものと考えている。更に「塹壕戦」を採用後に、得た所の代価は犠牲の総量より大きく、憂慮することは無いのです。「不平を言う」のも実に多いですが、紙上で兵を談ずるのは、書生の意見を免れず、加えて現在の様な暗黒の世界で、窓を開けて明るい話をしても犠牲になるのを免れません。門を閉じて長く嘆息していては意気阻喪します。先生は私に「不平をいう」機会を与えてくれましたので、悶死には至っておりませんが、どのように不平を言って、きれいさっぱりできましょうか?自分もそんな長い溜息を一気に出して、願いどおりに吐き出せるでしょうか。粗野な人間には細かな事は出来ないので、前信で「馬前の卒」にとお願いしたのですが、今先生はもう馬は持たず、車に乗られるなら、私は12-3歳の子供になって、車の後を押して、微力を尽くします。言葉は心を表す記号で、人が書き、話すのはどうしてもその人の個性が出ますが、環境のせいと耳目にふれることで、「話し言葉の排列法は」‘女’と‘男’で幾分違うでしょう。私は、詞句末節はあまり大した関係は無いと思います。眼光をしっかり見据え、心胸を開き、「女士式」な話し方を除去したいので、先生の教えを請います。また「女士式」の文章の違う点は、や、よ、ね、などの字句を好んで使うからで、やはり詩詞の句法を帯びて、明晰な主題命題が無いからでしょうか。先生のご指示に沿って改めます。
 「猛進」は図書館に無く、これを知りません。どこが出しているのか教えてください。それに麻痺を治せる本がありましたら、ついでの折に教えてください。   許広平   4月6日

訳者雑感:
 辛亥革命から15年で、革命の当初は、異民族の支配者を倒すことに犠牲を払う(殺される)ことが「光栄ある」行為と思われていた。だが15年後の今は、
元の革命派と頑固者がそれぞれの「役割」(利権のあるポスト)を離さず、自分のため、自分の家の為にを、第一義とし、国の為になど微塵も考えない。これが中国の国民性の堕落の元となっている。今の国営企業なども皆が寄って、たかって、自分の家の利益の為に奔走し、国の為にという発想はどこにも無い。日本の明治大正の事業家、国家の官僚たちは、中国に比べると、彼らの事業を興すのは、お国の為になるのだという信念から出発していた。もちろん個々の個人的利益を積み上げようとの「私的な欲」も旺盛だったが、それで蓄積した「財」を使ってさらに欧米に追い付き、追い越すことのできるような競争力を高めることに努めた。
 40年前の改革開放を始めた中国は、低賃金と勤勉な労働力をてこに、世界の工場といわれるほど経済的な発展を遂げたが、10年ほど前からそれぞれの事業者と官僚(市長・省長など)が「私家」の財産を最大にすることを第一義とし、腐敗し財産を競争力向上のために使うのでなく、国外へ移動させてしまった。
嗚呼。1925年に許広平が指摘していることが何も変わっていないのだ。
   2016/06/26記

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両地書八

両地書八
 広平兄
 今手紙を書く時間が取れたので返信します。
 あの劇で私が先に帰ったのは、劇の良し悪しとは関係なく、群衆の中で長く坐っていられないからです。あの日、観衆が多かったから募金の目的も少しは達成できたでしょう。なにせ現在の中国にはたいした批評家も無く、鑑賞家もいないから、あんな劇を見せても十分でしょう。厳格にいえばあの日の観客は何も分からず、騒いでいただけの者が多く、大量の蚊取り線香をたいて追い出すべきでした。
 近来の事は、内容は大抵複雑で実に学校だけのことではありません。見るところ、女学生はましなほうで、多分外の社会との接触が少ないためで、それで着物やパーティのことを話すだけだが、他の所では奇怪限りないことが多く、東南大学事件もその一つです。仔細に分析すると、中国の前途がとてつもなく悲哀になります。小さなことでも同じです。「現代評論」の「一女性読者」の文は文章の用語などから、男の者だと思いますので、貴方の推測は違うかも。この世には卑劣な輩がとても多いのです。
 民国元年の事を言えば、あの時は光明も確かにあり、私も当時南京の教育部にいて、中国の将来に大きな希望を持っていました。勿論あの時も悪辣な分子はもとよりいたのですが、彼等は失敗したのです。1-2年後の二次革命失敗後、だんだん悪くなり更に悪化し、ついに現在の状況になってしまった。その実、これも新しい悪がでてきたのではなく、塗飾していた新しいメッキがはげ落ち、古い相が現れてきたのです。奴才に家政を任せて良くなる訳が無い。最初の革命は排満だから容易にできたけれど、次の改革は国民が自分の悪い根性を改革するのだから、やろうとしなくなった。だからこの後、最も大事なのは国民性の改革でそれができなければ、先制であれ共和とか何であれ、看板を替えても、品物の色は旧態のままでまったくだめです。
 しかしこの種の改革を言いだしても、実際は「手がつけられない」状態で、それだけでなく、今は「政治現象」をちょっと改善しようとしても大変困難です。中国で活動する二つの「主義者」は外見は大変新しいが、彼等の考え方を研究するとやはり古いものだから、私は今所属しておりません。彼らが自分で覚悟をして自ら改良してゆくのを望むのみです。例えば世界主義者は、仲間どうしで喧嘩をするし、無政府主義者の新聞社は兵隊を雇って門を守衛させ、一体何なのかさっぱりわかりません。土匪もだめです。河南では焼き討ち窃盗をするだけで、東三省もアヘン販売の保護に向かっています。要するに「金儲け主義」がとても多くて、梁山泊のような金持ちから召し上げ、貧を救うということは、書物の中の故事になりました。軍もだめで、仲間を排斥する風潮は甚だ盛んで、勇敢無私な者はきっと孤立し、敵に乗じられて、仲間も救ってくれずしまいには陣営は滅んでしまう。ずるい日和見だけが地盤を築いて得々としている。軍中に私の学生が何人かいますが、彼等と同化しなければ勢力を築くことはできぬし、同化しても、それで得た勢力は将来どういう益をもてるか。恵州を攻めて勝利したとは聞きましたが、何の知らせも来ないので、私はいつも心を痛めています。
 私には拳も勇気もなく、仕方ないから筆と墨で、この手紙の様な要領を得ぬことしか書けません。いつも思うのですが、根を深く張った所謂旧文明を襲撃し、動揺させようとするのが将来の万に一つの望みです。注意してみると、何名かの成敗を問わず、戦おうとしている人がいて、考え方が悉く私と同じではありませんが、こういう事は数年前まではなかったです。私の所謂「正に破壊を準備している人は目下いるにはいる」というのは、こういう事に過ぎません。聯合戦線を作るのはやはり将来のことです。
 私に何かしてくれないかと望む人は、何人もいます。私は自分でもだめなのは良く知っています。指導しようとする人はまず勇猛でなければなりません。私は物事を仔細に見るので、子細にみると即、疑慮が多くでてきて、その実、前に勇敢に進むのが難しくなるのです。第二には、犠牲を惜しまぬことですが、私は他の人が犠牲になるのを最も願いません。(これはやはり革命前の種々の事情が刺激を与えた結果です)やはり大局面に向かうことはできません。従って、結果としては空論に過ぎず、不平をこぼして、一冊の本や雑誌を出すことに他なりません。貴方も不平をこぼしたいなら、我々を手伝ってください。しかし「馬前の卒」というのは、とんでもないことです。というのも私には馬は無く、人力車すら昔金周りの良かった時に乗っただけですから。
 新聞への投稿は運によります。一つは編集者もどうもいい加減なこと、二つには投稿が多くなると頭もボーっとして、目もくらむのです。近来私は原稿を読む暇がないだけでなく、疲れてしまい、もう原稿を見たくないと感じています。但し、数人の良く知っている人は別です。貴方が投稿に「女士」と書かないし、私が手紙には「兄」と改称しましたが、文章はどうしても女性的です。仔細に研究していませんが、ざっと見たところ、「女士」的な言葉の排列は、どうしても「男士」とは異なるようで、紙に書くと一見して分かります。
 北京の出版物は、今、以前よりだいぶ増えたが良い物は少ないです。「猛進」はとても勇ましいが、時局的な政治関連が多すぎます。「現代評論」の作者は固より多くは名のある人だが、明らかに灰色の物が多いし、「語絲」は常に反抗精神を持とうとしているが、時に疲れた顔をしており、多分中国の内情に明るいから、失望を禁じ得ないからだろう。このことから、物事を見る目が大変明晰だと、即その勇を失い、荘子の所謂「淵魚を察見する者は不祥」で、蓋し。単に大衆から忌避されるのみならず、自分自身の前進にもまた大きな障害となるのです。私は今新しい仲間を探し、破壊論者を増やそうとしています。
    魯迅 3月31日

訳者雑感:古い考え方、旧体制を破壊することなくして、新しい中国を作ることはできない。だから若い人たちが、魯迅に「核」になって何かしてほしいと願っているが、魯迅は「辛亥革命前の種々の事情が刺激を与えた結果、やはり大局面に向かうことはできません。従って、結果としては空論に過ぎず、不平をこぼして、一冊の本や雑誌を出すこと」が彼の残された手段であった。
 東京留学中に、浙江省の若い仲間と一緒に帰国して革命に身を投じようという考えを強く持ったが、母の事、家族のことなど、祖父の科挙試験での投獄、父の死などから、彼は「勇んで」革命に身を投じること、それは自身の命を捧げることでもあったから、それはできなかった。それが彼のその後の生き方を貫いてきた考えだった。
    2016/06/13記

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