忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

両地書24

両地書24
 広平兄:
 昼に戻り置手紙拝見。現在の現象はどこも暗黒で、この状況は根本から治すにはどこから始めるべきかのみならず、応急手当の方法も無く、只時局と共に移りゆくしかありません。「京報」は、話では秦さんだけでなく、たくさんの人が運動したが、結果2紙とも載せぬと決めたが、時間が経ったら、連中もあの人たちを支援するかもしれない。新聞をやっている連中はこの程度です。その実、新聞の宣伝も実際は大した影響は無いですが。
 今日「現代評論」に所謂西瀅(魯迅の論敵:出版社注)が、我々の宣言に対しコメントを出し、部外の人間を装い茶番を打ってきた。私も「京副」に寄稿し、彼らに釘をさした。伏園の飯椀の安危がどうなるかわからない。連中は為さざるなしでなんでもやるから。口を開けば仁義と言いながら、実際の行動は犬畜生にも劣る。筆が何の役にも立たぬ事は、承知しているが、今はこれしかない。これすらも魑魅魍魎に妨害されています。だが発表する場所さえあれば、私は筆を放さず:或いは「莽原」を独立させるかもまだわからない。独立するなら独立、完結なら完結で構わない。要は、筆舌のある限りこれを使い、東瀅も西瀅も構いはしない。
西瀅の文章は「流言」に託し、今回の騒動は「某学科の某籍の教員が鼓動」したとし、それは明らかに「国文科の浙江籍の教員」を意味し、人は知らず、私が楊蔭楡を罵倒し、騒動の後になんと「楊家将」が現れて真逆のでたらめを飛ばし、卑劣極まりないことだ。しかし浙籍でも夷籍でも既に罵倒した以上、罵倒し続け、楊蔭楡は舌を抜く力は無いから、あと数回は罵倒されよう。
 さて真面目な話、本当に「世界はかくあるにすぎぬか?」については、確かに「小鬼に対して言った」ものです。私の話は常に考えていることと異なり、どうしてそうなるのか、私はすでに「吶喊」の序に書いたが:自分の思っていることを他の人に伝染させたくないのです。なぜか?私の考えは暗すぎるからだし、自分の考えが正しいかどうか分からないからです。「さらに反抗しよう」というのは本当だが、私はこれが「反抗の所以のため」であり、小鬼の反抗とは明確に違います。君の反抗は光明の到来を望むためでしょうか?私の反抗は暗黒ともみあうに過ぎません。私の考えに小鬼はどこか釈然としないでしょう。これは年齢や経歴、環境などが違うからで、奇とするに足りません。例えば私は「人間社会の苦」を呪詛しますが、「死」を嫌悪せず、「苦」は何とか方法を講じて減らせるが、「死」は必然のことで、「終焉」も、悲哀することはないのです。君はこういう話を聞きたくない――でしょうが、なぜけなげに生きている人を「廃物」と思うのですか?これは「痛哭流涕の文」を書くより「けしからん」!のです。来信のように、凡そ自分に関係ある人が死んだとき、自分に関係ない人が生きているのを憎む…」という点は私と反対で、私と関係ある人が生きている間は、私は安心できず、死ぬと安心します。この意味は「過客」でも書いたが、小鬼と違います。確かに私の考えは、すぐ理解はできないでしょう。実は多くの矛盾を抱えているからで、私自身に言わせれば、或いは、人道主義と個人主義の2種の思想の消長が起伏しているからでしょう。だから私は忽然人を愛し、また憎みます:物事をするとき、時には人のため、時には自分の楽しみのため、時には今を早く消磨することを望んでです。それゆえ故意に一生懸命にやるのです。この外に、或いは何か道理があるのでしょうが、私にも余りはっきり分かりません。但し人に話すときは、光明の方を選びますが、偶に気をつけないで、閻魔大王には反対されないが、「小鬼」には耳障りな話をしてしまう。要は自分と人のために考えていることは違うのです。だから私の考えはとても暗く、しかし畢竟は正しいかどうか分かりません。したがって、只自ら試すのみで、他の人を呼び込まないのです。その実、小鬼は父兄の長命を望み、自らを「廃物」とみなす。かたくなに「大衆のために命を請う」ことの大半はこのためです。
 「莾原」は些か綿靴を履いて何も騒ぎ立てもせず、しかたありません。自分はというと晦渋な文を書きなれて、容易には改められない。書くときは志を立て、明瞭にと思いながら、後には往々にして晦渋な始末で、実に腹が立ちます!今回「京報」を郵送分以外に1,500部販売し、読んだ人は少なくありません。
「騒動」が一段落ついたら、君も「害群の馬」として議論を沢山寄稿下さい。
    魯迅  5月30日

訳者雑感:魯迅は本文で彼が反抗するのは、暗黒(の社会・連中)ともみ合うためで、許のように光明を求めてという明るさは無い。見いだせていないのだ。
ただ、暗黒(旧社会・旧制度・礼教など)ともみあい、抗うことそのものが彼の反抗の原点なのだ。
 別居している母や婚礼をあげた妻など家族への仕送りのために「お金」は稼がねばならぬが、金儲けのために出版などの事業を大きくしたり、役人として出世して(教育部の役人ではあったが)云々の前に、もみ合うことが先であった。
    2016/09/11記


 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R