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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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両地書25

両地書25
 31日来信拝受し、開封の前に不愉快になりました。連中が何と検閲しているのです!以前もありましたが、今回2通とも背面下で開かれてから閉じていて原状の痕跡が無くなっています。当然クレームすべきですが、何の益もありません!誰かに託せばこれは免れると思いますが、連中を避けることもない。どうせなら手紙の中に連中をがんと一発罵って読ませてやろうとも思いますが、我が師が何の罪でこんな目に逢わねばならぬか。以前なら九族誅滅、妻子にもおよび、今回それを復活させようとしているから、その責めが師にも及ぶとは、何と憎むべきことでしょう。
 昨日(日曜)西瀅の「閑語」を見、「6人の学生は怪しからん」を書き、元々怪しからん連中をコテンパテンに批判しようと書いた後、頭痛がして横になってしまいました。今朝これを「婦週」の評梅の求めに応じようとしたのですが、彼女は来ません。それで先生に見てもらい伏園旦那にも問題なく、原稿がよければ、「京副」に投稿できますか。只、中身の多くは前人が何回か触れたものもあり、これもそれだけのことです。
 思いますに、世界はこんなものだと知り、だから苦悶し自らを廃物とみて、それを使おうとするものがいれば、屍を医学解剖に供し、この世のささやかな役に立とうと願いました。光明については実のところ私はそんな年寄りになるまで生きたいと望んだこともありません。私個人としては、誰かに買収される方が、外で「人の患い」となるより気楽でしょう。反抗しないのは反抗するより危険は少ないが、他の人のことを考えると、私は絶対そうできません。だから私は仏者が苦海に沈むのを悲しみ、先儒が月日が迅速に過ぎるのを恐れ、「死」に安んじず、急に立って追うのは俗を免れないと思うからです。小鬼も俗な鬼で旧観念を打破できず、偶々考えが先生と合致し、偶然転じて卦を変じ、廃物利用も又なんぞ「生命消磨」の術でないということがありましょうか。しかし多分、「酒びたり」になるよりはやや勝るかと。当然、先生の見解は私より高度で、したがって多くの面で「違い」ますが、たとえ「もみ合っても」やはり何とか方法を講じて待ってみてもよい。綿入れの中にキラっとする鋼刀をかくし、それで敵に勝ち、身を守るのは妙と言えます。しかし…で以て…をというのは小鬼としては心配です。
 小鬼 許広平 6月1日

訳者雑感:許広平も魯迅との書簡往復を通して、徐々に「反抗」すること、もみ合うことへ傾斜してゆくようだ。というか、元来彼女もそういう性格を持ち合わせていたのだというのが、この文章から見てとれる。
   2016/09/13記


 

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