魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
両地書21
お腹いっぱいに溜まった懐疑はどこへも訴えるすべがありません:「編集後記」を読んで、覚えず何か申し上げたくなり、忙中閑を偸んで書き始めました。我が師が「感激涕零」してお読みいただけるかわかりませんが。
群衆は浮躁かつ性急で待つことができません。忍耐もできず、衆寡敵せず、おのずと日が経つにつれ変化は免れません。激発するともう収拾できなくなり、かつ又孤立無援で、考えの単純な学生は確かにお金を持っている相手に対抗できません。後ろ盾を持つ「凶獣のような羊(楊氏を指す)」にはかないません。6人の退学は惜しんでもしょうがありません。学校は今後どうなるのでしょう?
今日の教訓は衆の頼むに足りぬこと、利口な人ばかりが多くて、公理はついに強権にかなわず、「手を緩めぬ」秘訣が「凶獣のような羊」に重用されたこと。
犠牲はどんな人にも勧められません。「凶獣のような羊」を放ったままで駆逐しないのは、血気のある人々には耐えられません。
果たして本当に駆逐できるでしょうか?無益な犠牲しか残らないのを恐れます。
呪うべき自分自身!
呪うべき万悪の環境!
小鬼 許広平 十七・五。
編集後記:衆は頼むに足らず。この当時も考えの単純な学生は、お金(ポスト)を持った強権に対して、何の反抗もできぬくらい、体制派に取り込まれてきたのだろう。
2016/08/29記
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