魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
記載場所を間違えた文章
少年向け雑誌に最近しばしば岳飛や文天祥の故事を目にする。勿論この二人は中国人に面子を与えてくれるが、現在の少年たちの模範となるにはどうも遠い存在のようだ。
彼ら二人、一人は文官、一人は武将で、少年たちが感動して彼等を模範としようとしたら、まず普通の学校卒業後、或いは大学に入り、更に文官試験を受け、或いは陸軍学校に入り将官となる。そこで武の方はといえば、十二の金牌で召還準備されて、獄死することになる:文の方はというと、起兵に失敗し、蒙古人の手で殺される。
宋朝はどんな状況だったのか?歴史書があるからここでは余計なことは省く。
だが、この二人は確かに現在の文官・武将を鼓舞することができるし、前任の降伏した武将と逃げた文官を愧じいらせることができるが、私はそのような故事を疑っている。元々大人や老人向けの刊行物に書いた文章で、どうした訳か、少年向けの読み物に間違って載ったものだ。さもなければ、作者は決してこれほど低能にはなっていないだろう。
訳者雑感:
魯迅は宋代の政治状況を1930年代の中国と比している。いずれも金や元の、そして日本の侵略を受け、岳飛や文天祥はどう行動したか。この二人は中国人に面子を与えてくれるが、結局は金に勝ちながらも内部の講和主義者に陥れられて、獄死することになるのと、元に捕えられて元に連れて行かれ殺されてしまう。
対日講和を唱えるというか、先に中国国内の安定を図って(軍閥と共産党を叩いてから)その後に外(日本)に対抗する、という「おかしな」政策でぐずぐずしている為政者たちを痛烈に批判している。
こんな故事を少年向け雑誌に載せるのは筋違いである、と。
2014/11/25記
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