魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
答えにくい問題
きっと「児童年」があったからだろうが、ここ数年児童向けの説話の刊行が大変増え、教訓物、鼓舞物、勧諭物など色々あり、児童のような精力旺盛を持たない人は見ただけで頭がぼーっとする。
最近2月9日の「申報」の「児童特集」に児童向けの「武訓先生」の話が載っていた。それによると、彼は乞食で、くさい飯も食い、汚れた水も飲み、雇われて苦しい仕事もし、「銭を得てそれを蓄えた。人が銭をくれるなら土下座もいとわなかった」とあった。
これ自体は何らたいしたことも無い。特別なのは、彼は銭を得て一文も使わず、ついに学校を建てたことだ。
そこで「武訓先生」の作者は問題を出して子供に問いかけた:
「君たち!この話を読んでどう思いましたか?」
私も正に子供たちがどんな感想を持ったか、とても知りたいと思った。この話を読んだ人が、乞食で、或いはそれより少しましな状態であれば、彼にはとてもかなわぬと悔やむだろう。或いは中国にこんな乞食はいないと憤慨するだろう。しかし子供たちはどう思っただろう。彼等はきっと目をぱちくりさせて、作者に問う事だろう:「おじさん!あなたのこの話はどういう意味ですか?」
訳者雑感:これも何干の名で36年2月に発表された。
「武訓先生」は出版社注によると、山東に実在した人で(1838-1896)乞討(人のお金をせびった)や放債(それを人に貸して利子を稼いだ)などして金を集めて「義学」(義塾)を作った。それで清朝政府から「義学正」に封ぜられたとある。この話を書いたのは「雨人」の署名で実在人物の由。
清朝時代の中国では、魯迅が通ったような「科挙」受験の為の「三味書屋」のような私塾は結構あって、科挙に合格できなかった人達が子供を教えることで生計を立てていた。南方の各地には広東省の田舎にもそうした書院の建物が結構残されている。南方からの科挙合格者が多いのも理解できる。
日本では藩校以外に土地土地で寺小屋的なところで「読み書き算盤」などを教えていたが、中国の殆どの田舎では魯迅の「奉納劇」などに出て来る子供たちは「文字を読めなかった」のが実態だった。それを山東省の人が乞食のような暮らしをしながらお金をためて子供たちが勉強できる場所を作ったのだろう。19世紀の日中の子供の文盲率は比較にならぬほど中国が高かったに違いない。 ノーベル賞をもらったマララさんの国も女性への教育を禁じている所が多いそうだ。彼女の言うように、女の子が教育を受けられるようにしなければならないと思う。
2014/11/24記
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