魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
漫画と漫画そのもの。
ドイツの現代画家グロスは中国に何回も紹介されており、なじみの無い人ではない。
別の方面では漫画家とも言われ:作品は大抵白地に黒い線で描かれている。
彼は中国では厚遇されていて、翻印された画も製版技術がだいぶ良くないとか縮小されているが、白地に黒い線というのはそのままである。ところが、中国の「文芸」家の頭脳は今年異常なようで、「文芸」と称する雑誌でグロスの黒白画を紹介しているのだが、線は真っ白に変わり:地は藍あり赤あり、まことにいろいろでとてもあざやかだ。
もちろん我々も石刻の拓本を見ると大抵黒地に白字だが、翻訳した絵画で青緑の山水が紅黄の山水に変えられたのを見たことや、水墨の龍が彩色の龍に大改造されたのを見たことはない。だが、これ有りで、20世紀も35年経た上海の「文芸」家に始まった。私も始めて画家が絵を画く時の調色や配色の類はすべて余計なことだということを知った。中国の「文芸」家の手を経ると、それらはすべて問題無く、おおお―まったくデタラメだ。
これらの翻訳されたグロスの絵は価値がある、漫画として又漫画そのものだ。
2月28日
訳者雑感:魯迅は以前グロスの白黒画を「小さきペテロ」で紹介したことがある。
それが「文芸画報」という雑誌に8枚の漫画が上述のようにカラーの地に白い線で印刷されたことを「漫画」だと論じている。本来のイメージを全く損なってしまうからだ。
拓本は確かに墨を塗って字を白抜きで作るが、水墨画の龍がカラ―で描かれるというのは見たことが無い、と批判している。しかし1935年の魔都上海では、なんでも派手に豪華にせねば、「文芸画報」も売れないような時代背景があったのだろう。
1932年に上海で開催されたドイツ版画展にはグロスの「シラ―劇本<強盗>の警句図」が10枚展示された(出版社注)が、それらは白黒だったのだろう。
日本の浮世絵、錦絵は江戸時代からカラ―だったが、上海の「文芸」家は、白黒の絵をカラ―にしたかったのだろうか。白黒テレビから一気にカラーテレビにした如く。
2014/03/03記
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