魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
文学大系5
最後に選択と編集について触れる――
1.文学団体は豆の莢(さや)で、中はいつもすべて豆とは限らない。結成時からして各人は色々で、その後更に夫々が変化した。ここでは1926年以後の作品は入れなかったが、その後の作者の作風と思想も論じなかった。
2.一部の作者は自選集があり、雑誌に発表した初期の文章は時に選集にはない物があり、多分自分では不満で削除したのだろう。だが私は一部をここに入れた。というのも私は如何に聖賢豪傑も自らの若い頃を羞じる必要はないと考えており:恥じるのは間違いと思う。
3.自選集の一部の文章が雑誌に発表した物と往々少し異なるのは、作者自身が添削したのだが、ここでは時に初稿を採ったのも、私は修飾した後の物が必ずしも質朴な初稿より良いとは限らぬと思うからだ。
以上2点について、作者のご諒承をお願いしたい。
4.十年間に出た各種雑誌がどれほどあるか知らず、小説集も勿論多いが、私の見聞に限りがあり、珠を遺漏した憾みを免れぬ。作品集をみて、その取捨選択が当を失していたなら、それは偏心ではないとしても、眼力不足の故で、無理に弁解しようとは思わない。
1935年3月2日書き終える。
訳者雑感:この「中国新文学大系」小説二集序は1から5まで、本文は16頁だが注が小さい字で11頁、84項目あり、中国文学革命後の十年間の大系で、魯迅はその小説集の第2集を選択編集した。小説集は3集あり、文学研究会と創造社以外の33人の59編を採録した。これは、彼が東欧などの被圧迫民族・国家の作家の余り知られていない作品を中国に翻訳紹介しようとしたことと似ている点がある。他の2集の作家・作品は有名なものが多いが、魯迅はそれ以外を担当したことになる。
日本もかつては時代ごとの作家をまとめて文学全集とか大系を出版し、それらが図書館のみでなく、個人の書斎にも飾られていた。1910年代というのは辛亥革命・第一次世界大戦・ロシア革命など激動の時代であったが、文学でも大きな革命というか口語文学が盛んになって、中高生から大学生まで男女を問わずみな熱心に本を読んだ時代だった。
そうした新しい潮にいっしょについてゆこうという気分が横溢していた。小説のみならず詩や絵画などでも世界中の青年たちが希望を抱いて何か書こう、描こうとしていた。
この動きは非常に活発であったが、第二次大戦が勃発する40年前後に衰えた。もう文学革命とか新潮流とか言っていられなくなったのだ、嗚呼。
2014/03/06記
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