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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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文学大系3

文学大系3
 北京は――「五四運動」の策源地だが、「新青年」と「新潮」を支えてきた人達が、風に吹かれ雲散りし後、1920年から22年の3年間は寂莫荒涼たる状況であった。「晨報副刊」は¬後に「京報副刊」となり頭角を現したが、いずれも文芸創作には余り傾注せず、彼らは小説方面では限られた作家を紹介しただけだった:蹇先艾・許欽文・王魯彦・黎錦明・黄鵬基・尚鉞・向培良たちだ。
 蹇先艾の作品は簡潔純朴で小説集「朝霧」に云う――
 『…とうに20歳を過ぎ、遥か彼方の貴州から北京に来て黄塵の中を彷徨し、もう7年になる。長くないとはいえぬ時間をいかにむだに過ごしてきたか、我ながら茫然とする。この様にあわただしく日々が過ぎ、童年の面影はぼんやりと淡く消え、朝霧のようにふうっと消え去り、空虚と寂莫を感ずるのみ。この歳月を、直近の2年間、筆に任せて書いた幾つかの新詩と似て非なる小説のほか、何をしたのだろう?回想のたびに物悲しくなる。今決然とこの小説集を出し……以てこの愛すべき童年との別離を記念しよう……赤子の心を失くしていない人がこれを読んでくれるなら、或いはこの中から幼いころの味わいを尋ねあててくれるだろう……』
 誠に簡潔純朴だが作者が自ら「幼稚」と謙遜するが、文飾は非常に少ないが、彼の心情の哀愁を十分に写しだしている。彼の描写の範囲は狭いが、幾人かの一般人と、瑣事ではあるが「水葬」の如く、私たちに「懐かしの貴州」の田舎の習俗の冷酷さと、その冷酷さの中から生まれる母性の愛の偉大さを示し、――遥かな貴州も人情は同じことを教えてくれる。
 この時――1924年――偶然だが作品を発表した作家に、斐文中と李健吾がいる。前者は多分それまで創作には関心が無かった人で、彼の「戎馬の声中で」は遊学青年が放火の下の故郷と父母のことを大変心配させられた実感を縷々描いている。後者の「終条山の伝説」は絢爛としていて、十年経た今でもあの口碑で織りなされた華やかな衣装に蔵された肉体と精神を見ることができる。
 蹇先艾は貴州を叙述し、斐文中は楡関(山海関)に心ひかれ、身は北京にいながら、自らの胸の思いを描いた人達は無論自分では主観的とか客観的と称していようがいまいが、実は往々、郷土文学で、北京から言えば、僑寓(仮住者)文学の作者である。但しこれはブランデスの言う「移民文学」ではなく、僑寓しているのは作者だけで、作者の書いた文章ではなく、この為そこここに漂う郷愁を感じるだけで、異国情緒で読者の心を魅了するのはとても難しいし、また彼の目を幻惑させるのは難しかった。許欽文は彼の最初の短編小説集を自ら「故郷」と名付け、知らぬ間に自ら郷土文学作者となったが、郷土文学を書く前に、彼は故郷から放逐され、生活が彼を異郷に追いやり、彼は「父の花園」を回想するだけであり、それはもう失われたものゆえ、明らかに存在するものより心が安らぎ、慰められるのだ。――
 『父の花園が最も美しかった頃はいつごろだったかもうはっきりしない。当時の盛況を一度写真に撮り、今、父の部屋に掛けてあるが、久しい昔の事で、田舎のことで撮影も拙く、もうぼんやりとしてよく分からない。その横の芳姉の遺影もはっきりせず、惟父がその写真に題した字句ははっきりわかる:「勝気な性格だったが、こんな憐れなことになり、一朝痛ましく割かれることになり、吾一人なんで堪えられようか!」
 『………
 『父の花園にもう一度いろんな花を植えようと思うが、あのころの盛況はもう取り戻せない。もう芳姉がいないから』 
 やるせない悲憤は、あきらめるしかないと思わせるのだが、作者はあきらめられない。やむなく冷静さと諧謔で悲憤の衣を見つけ出し:それで包むことで聊か「あきらめる」ことにする。そしてこうした手法でいろんな人物を描いたが、特に青年を描いた。だが無理やり作った冷静さゆえ、辛辣だがが、終には懐疑的でニヒルな笑いを帯びるのを免れぬ。
「風で瓦が落ちてきて怪我をしても恨まない」(「荘子」の言葉)冷静と言えば確かに冷静だが:憤激を包んだ冷静さ諧謔で観察され、描かれたものは喜んで受け入れることはない。彼らは作者が生命も意見も無い鏡であることを認めない。それで彼も往々にして風刺文学作家として扱われ、特に女性達のひんしゅくを買うことになる。
 この種の冷静と諧謔が増大してくると作者にとっては逆に危険になる。彼も「石宕」のような民間の暮らしを生き生きと描けるが、余り多くはない。
 王魯彦の一部の作品の題材と筆致も郷土文学作家のようだが、その心情は許欽文のとはきわめて異なる。許欽文の苦悩は地上の「父の花園」を失ったことだが、彼の苦悩は天上の自由の楽園から離れ去ったことだ。彼は「秋雨が訴える苦しみ」を聞いて云う――
 『地上はとても狭くて汚い。至る所、暗黒で、どこもみな嫌いだ。人々はただ金を愛するのを知るだけで、自由を愛すを知らず、美を愛すをしらぬ。君達人類は夜は豚のように堕眠を貪り、昼は犬のようにケンカし、殴り合う……。
 『こんな世界に慣れることなどできようか?なぜ哭してはいけないのか?野蛮な世界は野獣たちには生きて行けるが、私にはできぬ。我々はできない。おお! 私はこの世界を離れ、地底にもぐるしかないのだ…』
 これはエロシェンコの悲哀と相似ているようだが全く別物だ。あちらは地下のモグラで、人類を愛そうとして果たせず、こちらは天空の秋雨で世間から逃避せんとするもできないのだ。彼はしかたなく心を母に捧げ「人間」となって母を騙る微笑みだ。秋天の雨と心を失った「人間」はこの世の事を本心で語り合えるだろうか。冷静といえばこれこそ本当に冷静だ:これで「トルスト雨」の無抵抗主義や「牛クス」の階級闘争説を抹殺し:「ダーウ員」の進化論と「黒パト金」の相互扶助論を併せて嘲笑い:専制政治には不満だが、自由に対しても冷笑することとなる。作者は往々諧謔の筆致で描こうとするが、冷静すぎて往々、冷酷な文章になり、人間的なユーモアを失っている。(人名を1字もじっている)
しかしながら、「人」としての心が尽きた訳では無かった。「柚子」は湘中の作家にとっては、不満な点があるが、世を弄ぶ衣装の下でやはり世間への憤懣を仄めかしており、王魯彦の作品の中では最も熱烈なものと思う。
 私の言う湘中の作家とは黎錦明で彼は多分子供のころに故郷を離れたのだろう。作品中に郷土の息吹はとても少ないが、楚人の敏感さと熱情が勃々と伝わってくる。彼は早くから「社交問題」イプセン流の女性解放論に対して、ストリンドベリ式の投げやりを放っている:だが幼小時の「こまやかな印象」を精緻で美しい文章で表現もできた。1926年になると、彼は自分への不満を発表し「烈火」の再版の自序に云う――
 『北京に暮らす人で、まだ霊魂を失っていない人なら、彼の霊魂はたぶん灰色に染まっていない人はおらず、もちろん「烈火」もこうした状況下に書きあげられたが、私は去年の春、上海に来て、私の心境はまったく変わってしまい、これについては只遺棄しようとする一念しかない。…』
 彼は過去の生活は灰色と判じ、初期の作品は幼稚だと思った。果たしてこの後「破塁集」には確かに被り物を取り換え、風刺気味の軽妙な小品があるが、その中で面白い故事作家としての特色を顕著に打ちだした。時には中国の「磊砢山房」(清朝作家の房名)主人の瑰奇(奇聞)あり:またポーランドのシェンキビッチの警抜もあるが、多彩な内容で、読者を失望させることなく最期まで楽しませてくれる。だがその失点は主旨がきらびやかな装飾の下で、永遠に沈み埋もれてしまい、又現れても茫然としている事だ。
 「現代評論」は日報の副刊に比べると割合文芸に重点を置いたが、作家たちはやはり新潮社と創造社の古参が多かった。凌叔華の小説はこの雑誌で生まれ、彼女はまさしく馮沅君の大胆さと敢えて発言するというスタイルと異なり、大抵はとても穏やかな表現で、旧家庭のしとやかな女性を適切に描いた。たとえ軌道を外れるようなことがあっても、偶々文と酒の会の風に吹かれたためで、最終的には元の道に戻った。これは良いことで、――我々が馮沅君・川島・汪静之の描く人物とは全く違った人物を見ることができるし、世態の一角であり、権門豪族の精魂を見ることができる。

訳者雑感:中華民国ができてから袁世凱や孫文といった政治家のみならず、陳独秀・胡適などそうそうたる文人が政治に関与する姿勢を強めながら、「文学革命」を推進した。
政治的には日本の21カ条要求とか軍閥政府の割拠など、内乱・内戦状態にありながらも、この混乱のさなかの1934年前後に「中国新文学大系」という大部の大系が出版され、その中には沢山の小説がまとめられ、その小説二集の序が魯迅の手によって紹介されているのだが、日本から戦争をしかけられながら、魔都上海ではこうした文学大系も出版されていた、というのは驚きである。それを買う人が結構な数いたことが分かる。
 日本が第2次大戦の前の長い日中戦争時代にどれほどの文学・文化事業を継続できたのか、甚だ心もとない。アメリカでは第2次大戦の一番厳しい時でも、今にも残る名作の映画やJazzなどの名曲が大量に発表されている。国土の広さと文化の幅・大きさが
ひしひしと身にしみる。最近の大学生の4割は活字の本を読まないそうだ。
      2014/02/27記

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