魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
「レッテルはすぐ剥がそう」
心配症の人は実に多い。正月にある人が古今の全ての人を罵ったら、自分しかいなくなってしまうと心配していた。(林語堂を指す:出版社)古今内外で本当にそんなことが起こったら、それこそ珍奇なことというべきだが、実際にそんなことはないし、将来もないだろう。だが古今のすべての人でなく、一人も罵倒したことのないような人がいるだろうか。凡そ罵倒は、罵る為にではなく、仮面を剥ぐためだ。仮面を剥ぐのは、実際を示すことで、これを罵ると混同してはいけない。
しかし世間は往々混同する。現在流行の袁中郎を例にとると、担いで看板にしてしまうと、観客はこの看板について議論せざるを免れず、どのように衣装を裂き、どの様にゆがんだ顔を描こうかと論じる。だがこれは中郎本人とは無関係で、示しているのは彼の弟子・孫弟子だと自称している連中の手になる。しかし弟子や孫弟子たちは、人が彼らの中郎を罵っていると思ったら、憤慨し狼狽する様は掬すべしで、今日の世界は五四時代より更に狂妄だと思う。但し、今日の袁中郎の顔は結局どのように描かれているだろうか?時代が近いから文字証拠は残っており、小品文の老師と「道学の気」の仇敵になったほかに何があるだろうか?
袁中郎と同時代の中国には、無錫に顧憲成がいたが、彼の著作は口を開けば「聖人」口を閉じても「吾儒」で、まさに文面は「道学の気」で満ちていた。悪を疾す、は仇の如く、
小人にたいしても容赦しなかった。彼曰く:「吾これを聞く:凡そ人を論じるには正にその向う所の大本を見るべし、と。向う所が正しければ、小節の出入りは、君子たるを失わず:
向う所が劣るとなると、小節が多くなり、ついに小人に帰してしまう。また聞く:国家は、陽を助け隠を抑えてはならず、君子は不幸にして他人の罪に連座したら、保護愛惜して、これを成就す:小人は小にすぎず、まさに排絶すべく、令ぜずば後患となる。…(「自反録」)
これから考えると、袁中郎を論じようとするなら、彼の向う所の大本を見るべきで、それが正しければ、偶々の空話や小品文を書くを恕すも構わない。彼にはもっと重要な面があったからだ。李白の詩が秀れているから、その酒を責めずにすませられるが、只の酒飲なら李白の半分或いは李白の弟子孫弟子を自命する人もすぐに彼を「排絶」せねばならぬ。
中郎はもっと重要な面があったろうか?あった。万暦37年、顧憲成が官を辞した時、中郎は「陝西の郷試を主催し、策(問題)を発し、<過劣巣由>(堯の時代の隠士巣父子由)の語あり、監臨者問うて: <何の意か>、袁曰く:「今呉中の大賢、亦出でず、将に世道に令し、いずれの所に倚頼(頼みとする)す、故にこの感を発す」(「顧憲成、年譜」下)中郎は正に世道に関心を持ち、「道学の気」を敬服した人で、「金瓶梅」を賛し、小品文を作ったのが彼の全てではない。
中郎が罵倒されないのは、まさに彼が歪んで描かれることのないのと同じだ。ただ、この為に彼の身中の虫たちの永遠の巣穴にすることはできなかったのである。
1月26日
訳者雑感:孔子を偉大にしたのは彼を看板にしてそれで王侯貴族の邸で働き生活してきた弟子たちである。今、中郎を担ぎ出して小品文を宣伝している作家たちは、彼を小品文の名人として持ち上げているが、彼の大本はそこにあったのではない。だからそんなレッテルはすぐ剥がした方がよいと説いているのだろう。
2014/02/12記
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