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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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3月25日の「申報」に梁実秋教授の「ルソーについて」が載り、シンクレア―の言葉を引いて、パピットを攻撃するのは「ひとの刀で殺す」ことになり、
「いいやり方とは限らぬ」という。彼のルソー攻撃について理由の二番目に、
「ルソーの個人的不道徳行為が、一般的ロマン派文人のふるまいの典型になっており、ルソーへの道徳面での攻撃は、一般ロマン派人物への攻撃と言える…」
 それならこれは「ひとの刀で殺す」ではなくて「人の首をさらし首」にすることになった形。たとえルソーが「一般ロマン派文人のふるまいの典型」になっていなくても、遠くはるばるこの中国にまで彼の首をもってきて、さらし首にすることもないだろう。一般のロマン派文人にとっては、遥拝してきた祖師を害し、彼の死後の安寧を奪ったことになる。彼が今受けた罰は、本来の罪によってではなく、影響罪によってである。嘆かわしいことよ。
 以上の記述はあまり「まじめ」ではない。梁教授はペンで攻めただけであって、ルソーの首をさらすべきとは言っていない。さらし首と言ったのは、今日の「申報」に報じられた湖南共産党の郭亮の「処刑」の記事に、彼の首があちらでさらされ、こちらでさらされ、「長州と岳州を遍歴」したということがでていたから、たまたまそう書いたのだ。しかし湖南当局は残念ながらレーニン、(或いは遡ってマルクス:更にはヘーゲル等)の道徳上の罪状を一緒にして、その影響罪については触れなかったことだ。湖南にはまだまだ批評家が足りない。
 「三国志演義」は袁術(紹が正しい:出版社)の死後、後人が嘆じて、
「長輯横刀出、将軍盖代雄、頭顱(首)行万里、失計殺田豊」という詩を作ったのを思い出した。(袁は田を殺したが、その後、袁の子二人の首は討ち取られ万里離れた曹操の所へ届けられたという)それは正に三つも閑暇があるからだろう。ここに一首を記してルソーを弔うとしよう:
「脱帽して鉛(筆)を懐き出ず、先生は盖し窮者に代わりて、頭顱、万里行く、失計し、児童を造る」(上記の詩に和した、一首のパロディ、計画が失敗して、児童を造るとは出版者注では「エミール」のことを言うが、訳者は魯迅の指摘
せしは女中に産ませて孤児院に送った私生児と思う。出版者の説明ではルソーは「エミール」で児童の心身の自由な発達を提唱した為、当局から逮捕状が出、それを逃れてスイスに亡命云々とある)   4月10日

訳者雑感:
 ルソーといい、今回のIMFのストラス カーン氏といい、フランスという麗しい大地に生を受けた男は、道徳的な面でタガが緩む性格を兼ね備えるようだ。
ストラスという名はドイツ系という人もおり、カーンという姓はジンギスカン、フビライカーンなどを連想させるから、生粋のフランク人ではないかもしれぬ。
だがフランスで長年暮らしてきたことは確かなようだ。

 さて本件は「さらし首」の話。湖南省の共産党員が逮捕され、見せしめのために、長州、岳州とあたり一帯に遍歴させられたというのが強烈だ。日本だと品川の先、大森あたりの東海道筋にさらして、通行人に見せるだけで、その情報が、口コミですぐ広まるのだから効果覿面。だが国土の広大な中国では、犯罪人の首を移動して、見せしめにすることでさらに宣伝効果と恐怖心を煽ろうとしたようだ。
 サダムフセインの処刑はテレビで公開したが、ビンラディンのは公開せずに海に散じた。見るも無残に損壊したためというが、そうでなくてもさらし首にはできまい。たいへんなことになってしまうから。
 2011/06/04訳

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