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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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通信

来信
魯迅先生:
 精神も肉体も困窮し回復できないほど、どうしょうも無い私は、病をおして「先生」に最後の呼びかけ――いや、救いを求め、警告を発したいのです!
 自ら認識されているように:先生は酒席に「酔っぱらいエビ」を提供するコックです。私はそのエビの一匹です。
 私はプチブルの温室育ちの子。衣食になに不自由せず安閑と過ごしていた。ただ「学卒」の資格さえとれば満足で、他になんの要求も無かったのです。
「吶喊」が出、「語絲」が発刊され(残念ながら「新青年」時代は余り訳が分からなかったが)「髭の話」「写真について」など、つぎつぎと私の神経を刺激しました。当時まだ青二才でしたが、周りの青年たちが浅薄でものごとが見えてないと感じました。「革命!革命!」の叫び声が道にあふれ、いわゆる革命勢力に随って沸いていました。私は確かに吸い込まれました。もちろん私は青年の浅薄さを嫌い且つ自分の生命に出路を探そうとしました。所が何とまた、人間の欺瞞、虚偽、陰険…の本性を知ってしまったのです。果たして暫くすると、軍閥と政治屋が着ていた衣を捨て、本性の凶暴な姿を現した。私は所謂「清党」
の呼び声により私の沸騰する熱烈な心を清めました。当時「真面目で純朴な」
第四階級はあのような「遁世の士」たる「居士」たちと友達になれるかと思っていました。だが、本当に「令弟」周作人先生の言うとおり:「中国には階級はあるが、考えていることは皆同じで、すべては役人になり、金をもうけること」しか考えていない。更に私は自分が紀元前の社会にいるのかと疑いました。犬畜生より愚鈍でそれに輪をかけたような言動(或いは国粋家がまさしくこれを国粋という)は、事実私を茫然とさせ、―― いったい私はどうすれば良いか分からなくなりました。
 痛みの中で失望の矢より痛いものはない。失望し、失望の矢はわが心を貫き、吐血しました。寝床で転輾として数カ月も起き上がれなくなったのです。
 希望を失くした者は死ぬべきというのは本当です。しかしその勇気もないし、まだ21歳になったばかりで恋人もいます。死ななければ精神と肉体は苦痛にさいなまれ、一秒ごとに苦しくなり、恋人も日々の生活に圧迫されています。
私のわずかばかりの遺産は「革命」に持ってゆかれたのです。だから互いに相慰めることもできぬだけでなく、向かい合って嘆いているばかりです。
 何も知らなければ良かった。知ったがゆえに苦しいのです。この毒薬を飲ませたのは先生で、私はまったく先生に「酔わされた」(エビ)です。先生、私はこんなところまで落ち込んでしまいました。どうか私の進むべき最終的な道を教えてください。でなければ、私の神経をマヒさせてください。知らなかった方が幸いでした。貴方は医学を学んだそうですから、「私の頭を返す」のは難しくないでしょう。私は梁遇春先生にならって大声で叫びます。
 最後に先生にひとこと:「貴老先生、少し休まれてはいかがでしょう。もう軍閥の為に彼らの口に召す新鮮なエビを急いで作る必要は無い。私のような青年の何人かの命を保全して下さい。もし生活問題があるのなら、「擁護」と「打倒」
の文章をたくさん書けば良いでしょう。先生の文名を以てすれば、富貴を手に入れることなど心配無用で「委員」「主任」にすぐなれるでしょう。
 どうか早く御指示下さいますように!「徳を行うに終わりはない」などと遠慮しないでください。
 或いは「北新」か「語絲」に回答いただいても結構です。この手紙は載せないでください。笑い物にされますから。
 乱筆御容赦ください。病気で疲れ困窮しおりますので。
         貴方に害された青年Y  枕上にて   3月13日

Y先生:
 返事の前にまず謝らねばなりません。お申し越しの様に、貴状を非公開にできません。お手紙の趣旨は、返信は公開でということでしたが、原信を載せないと、返信は「無題詩N百韻」のようになり、訳が分からなくなります。
貴状は何ら恥ずかしがることもないと思います。もちろん中国には革命で死んだ人も多いし、どんな苦しい目にあっても、革命に身を投じている人もあり、革命した人で今では豊かに暮らす人もいます。革命してもまだ死なないというのは、当然最後までやりぬいたとは言えないし、ことに死者に対しては顔向けできないだろうが、全て生きている人は、それはそれとして受け入れるべきでしょう。お互い僥倖か、或いは狡猾、巧妙だったにすぎません。彼らは鏡で自分の顔を見たら大抵はその英雄的な口と顔を引っ込めるでしょう。
 もともと私は売文糊口する必要もなく、筆を執りだしたのは友の求めに応じたものですが、多分心の中に少しばかり不満がくすぶっていたようで、書きだしたらしばしば憤慨した激語となり、青年たちを鼓舞させるような形となった。段祺瑞が執政のとき、多くの人がデマを飛ばしたが、私は敢然とそれを否定、外国から半ルーブルももらってないし、金持ちの援助や書店の稿料で染められることもないと反論しました。「文学家」になるつもりもないから、仲間と言うべき批評家の御機嫌取りもしなかった。数篇の小説が1万部以上売れるなど考えもしなかった。
 中国を改革、変革しようという気持ちは確かに少しあります。
 私には世間への出路の無い――ははは、出路とは状元になることかな――
作家、「毒舌」文人だという人たちがいるが、私はすべてを抹殺したりはしないという自信を持っています。下層の人が上層の人より勝り、青年が老人より勝っていると考えてきたので、私のペン先の血は彼らの上には垂らさなかった。しかし一旦利害がからむと彼らも往往、上層人、老人と差が無いことも知ったのだが、こんな社会状況では、勢いどうしてもそうなってしまうようだ。
彼らを攻撃する人も確かに多いが、私がわざわざその手助けをして投石することもないから、私が暴く暗黒は一面だけであって、本意は青年読者を欺くことではありません。
 以上は私がまだ北京にいたころ、成仿吾の所謂「鼓の中に隠れている」プチブルだった時のこと。但し、やはり行動も文章も不謹慎だったため、飯碗を壊され、逃げ出すほか無くなった。「無煙火薬」の爆発を待たずに「革命の策源地」まで転転と逃れた。そこで2か月住んで驚いたのは、それまで聞いてきたことは全てデマで、ここは正しく軍人と商人の主宰する土地だった。次いで、清党が起こり、詳細なことは新聞にも出ず、ただ風聞のみ。正に神経過敏となり、まさしく「聚めて殲す」(一網打尽)の感で、哀痛に耐えなかった。これは「浅薄な人道主義」と知りながら、すたれてもう2-3年経ったが、プチブル根性が抜けず、心はいつも憂えていた。当時私も宴席をアレンジする一人かもしれぬと心配になり、有恒さんへの手紙にそのことを少し書いた。
 かつての私の言論は確かに失敗だった。私のものごとに対する処し方が悪かったためだ。原因は長い間ガラス窓の下に座り「酔眼朦朧で人生を見ていた」ためです。しかしそれなら風雲変幻(清党)のことは世の中にめったにあるわけではないのだが、私は予想だにせず、なにも書かなかったため、私には大した「毒舌」も無いことが知れる。但し、当時の状況は十字路に着いても、民間も役所も、50年先を見通すという革命文学家も、予想できなかった。さもなくば多くの人を救えたはずです。今ここで革命文学家を引き合いに出したのは、問題が起こった後になって、彼らの愚昧さを嘲笑しようとするのではない。私自身が後の変幻(清党)を見通せなかった、私に冷静さが欠けていたため、間違いを起こしてしまったというに過ぎず、私がどこかの誰かと相談し、或いは自分で何かしでかそうと企んで、人を騙したのではありません。
 しかし意図がどうであれ、事実に偽りはない。今、苦しんでいる人には、私の文章を見て刺激を受け、身を挺して革命に走った青年たちがいると思うから、大変苦しいのです。だがこれも私が天性の革命家ではないためで、もし革命の巨頭なら、こうした犠牲が出るのも一二回ではない。第一に自分が生きておりさえすれば、永遠に指導できるから。指導できなくなれば革命は成功しない。その証拠に革命文学家は上海の租界付近にいて、一旦騒ぎが起これば、外人の張りめぐらした鉄条網があり、革命文学反対の中華世界と隔離され、そこから数十万両の無煙火薬を投げ、ドカーンと一発、すべての有閑階級を「アウフヘーベン」することができる。
 革命文学家たちの多くは今年ぞろぞろと登場してきた。互いに褒めあい、或いは排斥しあい、私にも「革命はすでに成れり」なのか「革命いまだ成らず」
のどちらなのか判然としない。しかし私は、「吶喊」又は「野草」のせいで、或いは「語絲」のせいで、革命いまだ成らず、とか青年は革命を怠けている、と
言っているようだ。この口吻は大体一致している。これが現在の革命文学の世論。こうした世論には、腹が立つやらおかしいやらだが、愉快にも感じた。
革命をおくらせたという罪を着せられたが、別の面では青年を誘殺したという内心の忸怩たるものを除いてくれた。すべての死者、負傷者、苦しんでいる人たちと私は関係が無いことになる。それまでは私は自分に責任があると思っていたわけですから。それで以前は意図的に講演もせず、教壇にも立たず、議論もせず、自分の名を社会から消すことが私の贖罪と考えていたが、今年は気が楽になり、活動を再開しようと思った。ところが君の手紙を見て、心が沈みこみました。
 しかし今はもう去年の様に落ち込んではいません。半年来、世論を見、経験に照らすと、革命か否かはやはり人にかかっており、文章には無いことを知りました。私に害されたというが、当地の批評家は私の文は「非革命的」と断定する。本当に文学が人を動かすに足るなら、彼らは私の文を見て、革命文学家になろうなどと思わぬはずで、今彼らは私の文を見て「非革命」と断じているが、それでも腐らず、革命文学者になろうとするのは、文は人に対して何の影響もないことが分かります。――ただ残念なのは、同時に革命文学の牌坊(鳥居形の顕彰碑)を壊したこと。しかし君と私は面識もないから、私を冤罪に落そうという考えではないと思うから、別の面から考えてみましょう。
第一、君は大変大胆で、他の革命文学家は私が描いた暗黒に驚き、失禁するほどあわてふためき、出路がなくなったと思うから、最後には必ず勝利すると考えようとします。どれだけお金を払えば、どれだけ利息が付くなどと、生命保険会社のようです。
しかし君はそんなことは考えず、暗黒に向かってまっしぐらに攻め込もうとする。これが苦しい原因の一つ。肝がでかいから。それで第二に大変まじめなこと。革命もいろいろあり、君の遺産は持って行かれたそうだが、革命で又取り返すこともできる。命まで持って行かれた者。給与や原稿料を取られただけで革命家の肩書を得た者。これらの英雄はもちろんまじめだが、以前に比べて損が大きく、その病根は「過度」にあると思う。第三、君は、前途はとても明るいと考えていて、一度釘にぶつかると、大変失望するが、もし必勝を期していなければ、失敗しても苦痛はずっと小さいでしょう。
 そうなると私に罪は無いか?となると「有」で、今多くの正人君子と革命文学家はいろんな手法で私の革命と不革命の罪をでっちあげています。だから私が将来受ける傷の合計の一部で以て、君の大事な頭への賠償としたいと思う。
 ただ一つ考証を加えると「私の頭を返せ」というのは「三国志演義」で、関雲長の発した句で、梁遭春さんのではないようです。
 以上、実はすべて空ごと。君個人の問題については、なんとも手の施しようがありません。これは「前進!殺せ!青年よ!」などの勇ましい文章では決して解決できません。実は私も公開したくはないのです。今はまだ余り言行一致させぬ方が良いと思いますから。しかし、住所が無いので、返信できず、ここに書くしかありません。第一に生計を立てること。やり方は手段を選ばずです。
しかし今はまだわからず屋がたくさんいて「目的の為には手段を問わぬ」とは共産党のうたい文句だと考えているが、大きな間違いです。そういう人は多いが、口にしないだけです。ソ連の学芸教育人民委員ルナチャルスキーの「解放されたドンキホーテ」の中に、この手段を公爵に使わせていて、これが貴族のやり方で、立派なものだとわかります。第二は恋人を大切に。これは世論からは革命の道と大きくはずれます。構いません。君が少し革命の文章を書きさえすれば。そこに革命青年は恋を語るべきではないと主張するだけでいいのです。
ただもし、誰か権力者が敵が来て、罪に問われるときがきたら、これも罪状の一つに数えられるかもしれぬから、私を軽々に信じたことを後悔することでしょう。だから先に声明しておきます:将来罪に問われた時は、たとえこの一節がなくとも、彼らは別のものを探し出してきます。世の中は往往、まず問罪があり、罪状(普通は十条)が後になる。
 Y君、こんな風に書いたら、私のあやまちを少しは償えたでしょうか。ただ、
この点だけで私はまた多くの傷を受けるでしょう。初め革命文学家はひどく罵って「虚無主義者め!極悪人!」と言いました。ああ、少し不謹慎だが、又新しい英雄の鼻におしろいを塗って(道化に)してしまった。ついでに、付け加えると:余り大げさに驚かぬように。これは手段を選ばぬという手段に過ぎません。主義でも何でもない。たとえ主義だとしても、敢えて書くし、はっきり書きます。悪いことではありません。もし悪者になったときは、こうした宝は腹の中にしまって、たくさんの金を手にして、安全地帯に住み、他の人が犠牲になるべきだと主張する。
 Y君、私も君に暫時気楽に暮らすように勧めます。何でもいいから糊口の道を探して下さい。君が永久に「没落」しているのを望みません。改革できるところは随時改革し、大きくても小さくても構いません。私も君の勧めを尊重し、「休む」だけでなく、遊びます。これは君からの警告のためでなく、実はもともとそうしたかった。そして閑を見つけてやりたいことをする。たまたま何かに差し障りが及んでも、文字の上での粗忽からで、「動機や良心」を論じても多分こんなことにはならないでしょう。
 紙も尽きましたのでここらで終わります。最後に病気平癒を祈り、恋人がひもじい思いをしないように祈ります。
       (4月23日の「語絲」に発表)

訳者雑感:
 Yさんというのはどんな人なのか、出版社の注にも何も記述がない。魯迅も彼とは面識もないから、彼がこれによって自分に冤罪をかぶせようなどとは考えていないでしょう、と書いている。しかしY君は魯迅の作品に「害され」、
精神も肉体もぼろぼろになってしまった「酔っぱらいエビ」だと訴えている。
 魯迅もそれを認めている。彼自身も広東政府に対する認識に間違いがあったことを認め、失敗だったと素直に反省してもいる。遠くで聞いていた広東政府の宣伝文句は実は嘘っぱちで「軍人と商人の主宰する土地」だったことを知る。
 弟の周作人の言うとおり「中国には階級はあるが、考えていることは皆同じで、すべては役人になり、金をもうけること」で、魯迅のそれまで考えていた「青年は老人より勝り、下層の人は上層の人に勝る」というのは、こうした社会情勢では、青年も下層の人たちも、革命という名の下で、金持ちから財宝を取り上げ、自分が役人になって、それまでの老人、上層階級にとって代わろう、というものであることを、いやというほど思い知らされたことだ。
 このことは2011年の今も変わっていない。大学入試から共産党に入党し、役人になり金をもうけること。軍人と商人の主宰する土地。解放軍と地方政府の役人が、商人に土地や利権を払い下げて、その売却益と毎年の上納金で金を儲ける仕組みは、不変である。今は80年前ほど内戦とか混乱が少ないから、魯迅が登場してこないのか、あるいは登場しようとしてくるのを抑えつける力の方が勝っている、ということなのか。
   2011/06/11訳 

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