また、ゴーゴリの「検察使」を思い出した。中国にも訳がある。ある地方に、皇帝の使者が隠密裏にくるとの噂が広まった。役人たちは大恐慌。旅館にそれらしき男を見つけ出し、Red Carpetで大変なもてなしをした。十二分にもてなしを受けて、その男は去った。その後本当の使者がやってきたとき、舞台はすべてオシの無言劇となって終幕する。
上海文芸界は今年無産階級文学の使者を歓迎して沸き立っている。まもなくやってくるという。車引きに訊いてもまだとの答。車引きの階級意識が低いので、別の階級に歪曲されたのだという。他の人が知っているそうだが、労働者階級とは限らぬ由。それで大きな邸宅を訪ね、旅館や西洋人の家、本屋、喫茶店などくまなく探したのだが…。
文芸界の眼は時代の先を見ようとするから、到来したかどうかは分からないが、まずは箒で道をきれいにし、恭しく歓迎せねばならぬ。それで人間稼業も難しくなり、はっきり「無産階級」だと言わぬと「非革命」にされるのはまだ良いとして、「非革命即ち反革命」だとなると大変危険なことになる。
そうなるともう全く出路が無くなるわけだ。
今の世は、「ボス一人ならなんとか応対できるが、その手下がくるともうどうにもならない」出路は確かにあるのだが、なぜ無いというのだろうか。
手下の鬼たちのたたりで、彼らが出路を全て壊すからだ。
そんなものは要らないと捨ててしまえば、出路は出てくる。自分でも他に方法が無いから、暫く大砲の尻に看板をかけるしかないという気になれば、出路の芽は出てくる。
マグマは地下でうごめき噴き出す:溶岩はいったん噴き出せば、全ての野草と喬木を焼き尽くす。もはや腐朽すら無くなる。
「但、我々は落ち着き欣然とする。私は大笑し、高歌す」(「野草」序)
やはりただ口にするばかりで、革命文学家はそれを見ようともしないようだ。もしそのために出路が無いと感じるなら、実にかわいそうだ。もう筆を執るのも忍びない。 4月10日
訳者雑感:無産階級文学と革命文学家。革命文学家は無産階級文学の使者が上海にやってくると沸き立っている。そんな使者など居る訳も無いし、来る訳もない。スローガンだけ勇ましい革命文学家は、無産階級のための文学を作るのだと口にするばかりで、地中のマグマがどこから噴き出そうとしているのか、見ようともしない。そう言っているのか? 空回りしているだけ。それで出路が見つからない。閉塞だと言うばかり。実にかわいそうで見ちゃおれぬ、か。
2011/06/07訳
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