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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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中国文芸界に心配な現象が起こっている。
みなが争って名詞を輸入するが、その正しい意味を紹介しないのだ。
それぞれが自分の意義を付す。作品に自身のことを多く語るのを表現主義:他人のことを語るのを写実主義:女性の脚線美を詩にするのをロマン主義:それを詩にしてはダメというのは古典主義:空から人頭が落ちてきて、その上に牛が乗っているの、おお!愛よ。海の真ん中に青い霹靂が…などは未来主義…などなど。
そしてここから議論が始まる。この主義は良い。あれはダメ…。云々と。
 民間の笑い話に:二人の近眼が視力比べをした。埒があかぬので、関帝廟へ行き、新しく掛けられる予定の額の字が見えるか試しに出かけた。二人とも前もってペンキ屋に訊き出していたが、訊き出した内容に差があり、大きな文字しか聞いてこなかった男は負けたのに不服で、ケンカになってしまった。小さな字が見えるという相手を、嘘ツキとなじった。しかし埒はあかぬ。通りがかった人に尋ねることにした。それを眺めた男は「何も無いよ。額はまだ掛っていない」との答え。
 文芸批評で眼力比べをするなら、まず額を掛けてからにしなければならぬ。今やっているのは空虚な争いなのはお互い内心ではわかっているのだ。
           4月10日
訳者雑感:
 このころの中国では諸外国からの外来語、外来思想の輸入に関して、北京、上海、広東などでそれぞれバラバラに行われた。民主主義とか科学という概念も、デモクラシーという外国音をそのまま導入し「徳(De)」という一字で
表し徳mocracy, (漢字を充てる)、科学を賽(Sai)ence.という漢字で表し、近代国家をつくるにはこの徳先生と賽先生を両輪として進めねばならぬ、という議論がまじめになされていた。(「新青年」誌)その後、民主主義と科学という
漢字が定着したのだが、本当の概念を明確に定義づけしないままでの導入が、混乱に拍車をかけた。
 米中国交時もニクソンの漢字表記がいろいろ現れた。尼克松に定着するまで
だいぶ時間がかかった記憶がある。
 今回の大地震、津波、原発の災害でも各紙が長い間ばらばらの呼び方をした。
東北大地震では茨城千葉の被害を勘定にいれていないようだし、東日本では
そんな大災害も起こっていない秋田山形などはどうか、とか。この辺が今回の
菅政権のばらばらさ、ちぐはぐさを図らずも示している。
 東北で育った山折さんがラジオで言っていた。「東北太平洋沖大地震」という
のが正確ではないか。宮城沖、福島沖で続けて起こった地震が今の惨状を起こしたのだから。「名正しからざれば、言従わず」という。名前があいまいでいい加減だと、それに続く言葉も説明も対策もみなあいまいになる。
 昨日の「一定の責任を果たしたら若い人に譲る」云々として、聞いている人間にはすぐにも辞めそうな気を持たせながら、原発が低温になるまで、という
ことを言いだしてくるのは、今彼に辞められては困るという「彼の取り巻きたち」がパペットとして「眼がすでにうつろな」彼を首相の椅子に座らせておこうという魂胆以外、何物でもないように感じた。
 「菅(官) 正しからざれば、民 従わず」だ。
    2011/06/03訳

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