忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

ごろつきの変遷(侠から無頼漢へ)

 孔子や墨子は現状に不満で、改革を試みた。その第一歩は主を動かそうと説得に努めた。その際に使ったのは「天」であった。
 孔子の徒は儒で、墨子の徒は侠であった。「儒者は柔也」で危険に陥ることはなかった。侠は愚直だったから、墨者の末流は「死」を究極の目的とした。後に本当に愚直なものたちは次々と死んでいなくなり、巧みに侠を使いこなすものが残った。漢代の大侠は王侯権貴と互いに贈答しあうことで、危急時の護符とした。
 司馬遷は:「儒は文を以て法を乱し、侠は武を以て禁を犯す」と説いたが、之を「乱す」と「犯す」は、決して「叛く」ことではなく、少し騒ぐだけだし、ましてや五侯のような権貴の者もいたのだ。
 「侠」の字は徐々に消え、強盗が出現したが、これも侠の流れをくむもので、
彼らの旗印は「天に替って道を行う」で、やっつけるのは奸臣であって天子ではない。強奪したのは平民からで、将軍大臣からではない。李逵(き)が刑場荒らしで、マサカリで首をはねたが、刎ねたのは見物人の首だった。「水滸伝」にそれが書いてある。
 天子に反対しないから、天子の大軍が到着するや、すぐ帰順し、国に替って他の強盗をたいらげるし、「天に替って道をおこなわない」連中を攻める。しまいには奴隷に成り果てる。
 満州人の侵入後、中国は次第に圧迫服従させられ、「狭気」の者も次第に盗心を起こさなくなり、奸臣を叩きだそうとか、天子に直々に役立とうなどとも志さなくなり、高官や欽差大臣たちの用心棒や手先として強盗を捕えた。「施公案」や「彭公案」「七侠五義」に出ているし、今もそれが続いている。彼らの出自は清く元来悪い所は無く、欽差大臣の下だが、平民の上にいる。上の命令には
絶対服従だが、下に対しては好き勝手をし、安全度が高まるにつれ奴隷根性が増してきた。
 しかるに、(金欲しさに)自分が強盗を始めると官兵にやられるし、強盗を捕えようとすると、強盗に逆襲されたりしたので、安全な侠客になるのも容易なことではないことをさとり、それで無頼漢になった。和尚が酒を飲んでいるというと、やってきて殴った。男女の密通を捕え、私娼や密売を取り締まった。
公序良俗を守るためだと称した。田舎から出てきた者には、租界の規定を知らぬ輩と見下して、彼らから騙しとった。髷を切った女を罵り、社会改革者を憎み、秩序保全のためだと称した。背後に伝統的な親分を持ち、敵がたいした勢力がない連中と見るや、好き勝手に暴れた。最近の小説には、まだこのようなストーリーの典型は出てきていない。ただ「九尾亀」の章秋谷は、妓女を責めるのは、彼女が男たちから金をだまし取っているから、懲罰すると書いているが、これにやや似ていると言えようか。
 (世の中が)今よりさらに悪くなってゆくと、きっとこうした流れの登場人物が、この種の文芸のヒーローになってゆくことだろう。
「革命文学家」たる張資平「氏」の近作を待つとしようか。

訳者雑感:
 このころ魯迅は「古小説」をたくさん読んでいたのだろう。そして最近の租界の「読本」というか大衆小説もよく読んでいたようだ。アメリカ輸入の「ターザン」などの映画も繁華街まで見に出かけている。「文芸」を「飯のタネ」にしながら、もともと小説を読むのが好きであったと思う。特に「絵入り本」が。
それらには「侠」が必ず登場して、大立ち回りを演じてくれる。
 原題は「流氓的変遷」で従来は増田渉訳の「やくざ者の変遷」などがあり、彼も注して、魯迅に相談したら「いろいろ考えたあげく、(ごろつき)とするしか仕方なかろうと言った」とある。
 辞書には、他にならず者、チンピラ、ヤクザ、流れ者、無頼漢などある。
改革開放後の中国にも日本語訳通りの連中がいっぱいあふれている。文化大革命のころには、また別の種類のがいたことであろうが、坊主も酒を買えなかったろうし、妓女も公然とは許されていなかったし、男女密通とかを咎めて、公序良俗を守る云々というのは、紅衛兵たちの仕事で、流氓の口出しできる状況ではなかったろう。流氓の苦難時代だったと言えるかもしれぬ。その意味では、
彼らがのさばりだせたのは、改革開放のおかげと言えよう。国中に和尚があふれ、飲酒し車を運転する髪のふさふさした坊主(というのは剃髪した頭を指すのだろうが)が、老若男女から寄付を集めて、巨大な大仏建造に血眼になっている。妓女もあらゆる場所に現れた。これらが「侠」の末流を称する流氓たちの収入源である。「ゆすり」「たかり」「みかじめ料」「なわばり」など地方政府と一緒になって、庶民や田舎からでてきた農民工のピンはねをする。
 やくざ映画のヒーローたちはヤクザである。無頼漢と訳すと、少し褒めすぎの嫌いがないでもない。だが、本来は「天に替って云々」という精神的バックボーンがあったのだから、やくざともいえぬし、ごろつきとも言いにくい。
読者諸士の感想をお聞きしよう。
 2011/06/22訳
 

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R