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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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事実は雄弁に勝る

西哲は、事実は雄弁に勝ると言った。私も確かにその通りだと思っていた。
だが今日の中国ではそうではないと悟った。
 去年、青雲閣の店で(布)靴を買った。今年それが破れたので、同じ店に同じものを買いに行った。太った店員が持ってきたが、先がとがって浅かった。私は古いのと新しいのを片方ずつカウンターに並べて「違う」と言った。
「同じものです。間違いありません」
「これは…」
「同じです。よくご覧になってください!」
 それで私は先のとがったのを買って帰った。
 
 (これに関連して)ついでに我中国の愛国者先生にひとこと。先生は、自国の欠点を攻撃するのは、外国人のいう批判を受け売りしているもので、試みに、中国の前に我々のという2字を付けてみて通じるかどうかをみれば、すぐわかるとおっしゃる。
 今私は謹んで付けてみたところ、通じました。
 (同じです)よくご覧になって!      1921114
 
訳者雑感:
 これは何を言わんとしているのか、難解である。
推測だが、破れた布靴は、1年はいたら先は丸くなり指の厚みで厚くなくなっているかもしれない。だから店員が持ってきたのは、製造番号は同じだった。しかし並べてみたら明らかに違うのだが、売り手の方が強い中国では雄弁で押し通すほうが勝る例が多い。
 一方、愛国者先生が批判しているのは、魯迅など現代中国の欠点を暴くのは、外国人の受け売りだという点で、「中国は頑迷固陋で、眠れる獅子」的な批判の前に「我々中国は頑迷固陋」という2字を加えてみれば、それが外国人の受け売りか、どうかが分かると言っているが、魯迅がつけてみたところ、通じることがはっきりした。「見てごらん」ということか。
 我々中国人は何々だ、という何々が否定的なものであれば、愛国者先生は
通じないという。彼らにとってそれは通じない。通じるのは耳触りの良い褒め言葉ばかり、自慢ばかり、自己満足ばかりなのだろう。

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1921年  知識は罪

 私はもともと平凡で小さな酒店で雑事をし、安穏に暮らしていたのだが、不幸にも字を覚え、新文化運動の影響を受け、知識欲に目覚めてしまった。
 当時田舎にいて、豚や羊をとても可哀そうに感じた。辛くとも牛や馬のように何かの役に立てば、食用だけに飼育されることから免れるだろうに。だが豚羊は、ぼやっとしているだけで、一生を糊塗し、現状に満足し、なにもしようとしない。だから知識は必要だと思った。
 それで私は北京に来て、師について知識を求めた。地球は丸く、元素は70余、XYZなど、初めて聞くことは難しかったが、人はこれを知らねばならないと思った。
 ある日新聞を見て、私の信念は打ち砕かれた。虚無哲学者の「知識は罪で、盗品也…」という記述で、当時虚無哲学は大変権威があり、それが知識は罪だ、という。私の知識はたいしたことは無いが、知識には違いなく、このため、私は穴に落ち込んでしまった。それで師に教えをこうた。師は言った。「お前は勉強をなまけようとしてそんな出鱈目をいうのかね。戻って勉強しなさい!」私は「師は月謝を貪ろうとしている。知識はやはり無い方が良い、ということが脳裏から去らなかった。すぐには放り出せぬので、一刻も早く忘れよう」と思った。
 だが、遅かった。その夜私は死んでしまった。夜半、私は宿舎のベッドに横たわっていると、二つのものが現れた。一つは「活無常」もう一つは「死有分」。
(この2つはあの世への案内人:訳者注、「朝花夕拾」の「無常」参照)
私は何の違和感も無かった。彼らは城隍廟の塑像と同じだった。しかし彼らの後ろにいる二つの怪物に私は驚いて声を失った。それは牛頭馬面ではなく、羊面豚頭だ!そこで悟った。牛馬は聡明だから罪を得て、これらに変えられたのだ。このことで、知識が罪だと悟った。私の夢が終わらぬうちに、豚頭は口で私を突きあげ、あっというまに冥土に転げ落ちた。しばらくすると(紙製の)車馬が(死者供養のため)焼かれた。
 冥土に行った先輩の多くの話では、冥土の大門には扁額と対聯があるというが、注意してみたが何もなかった。ホールに閻魔様がいたが、なんと隣居の大富豪、朱朗翁だった。金は冥土には持って行けないはずだし、死ねば穢れの無い幽霊鬼になるそうだが、どんな手を使って大官になったのかしらん。とても質素な愛国布の龍袍を着て、その龍顔は生前よりふくよかだ。
「お前は知識があるか?」朗翁は表情のない顔で問う。
「ありません…」と虚無哲学者のことを思い出しながら答えた。
「無いというのは、ある証拠だ。連れてゆけ!」
 私は冥土の論理も実に奇怪なり、と思った。それで羊の角に小突かれて、閻魔殿から転げ落ちた。それは城池で、中は青レンガと碧の門の部屋があり、門の上にはセメント製の二匹の獅子、門外に一枚の看板がかかりこの世なら、それぞれの役所に56枚掛っているのに、ここは1枚のみ。それで冥土の土地が広大だということが分かる。この刹那、鋼の刺す叉を手にした豚頭の夜叉に鼻で小突かれて建物の中に入れられた。外の牌額に「豆油の滑り地獄」とあり、中は果てしなく平坦で、白豆の桐油が一面にまかれていて、無数の人がその上で滑って転んでは立ちあがりを繰り返している。私も立てつづけ様12回ほど転び、頭にたくさんのこぶを作った。だが入り口で坐ったり、寝転んでいる者もおり、起き上がろうともしない。油でべたべただが、こぶの有るのは一人もいない。私がわけを聞いても、目を開いたまま口は開かぬ。彼らは耳が聞こえないのか、話が通じないのか、話したくないのか、話すことも無いのか、どうしてかしらん。
 そこで私は転びながら前に進み、コロコロ転んでいる人に聞いた。その一人が答えて曰く「ここが即ち知識を罰する所さ。知識は罪、盗品だからさ。我々はまだ軽い方さ。シャバにいたころどうしてもう少し昏迷にしてなかったのかと悔む…」彼はハーハー息を切らしながら断続的に答えた。
「今からバカになれば」
「もう遅い」
「西洋医は人を昏睡させる薬があるから、注射してもらえば?」
「だめだ。そんな医薬の知識があるから、ここで転ぶのさ。それに針もないし」
「ではモルヒネ専門の、余り知識のない人を尋ねてみよう」
 この話をしているとき、私はすでに数百回も転んだ。それで失望し、それ以上もう注意もしなくなったとき、白豆の油の希薄な地面に頭をぶつけた。地面は硬く、ドスンとひどい転び方だったので、そのまま昏倒してしまった。
 おお!自由!私は忽然、平地の上にいて、後ろはあの城。前は宿舎だ。私はそのままやみくもに歩き、私の妻子はもう上京していると思い、彼らは私の屍を囲んで泣いていると思った。私は自分の棺の所へ行き、まっすぐに坐りなおした。彼らはびっくりした。あとから丁寧に説明してやっと分かってくれた。
とても喜んで大声で叫んだ。貴方はまだこの世にいる。ああお天道様、ありがとう。
 私はこうしてとりとめのないことを考えていたら突然生き返った。
 私の妻子は身辺にはいず、卓上に灯りがひとつ。私は宿舎で眠っていたようだ。隣の学生は劇場から戻り、気持ち良さそうに「先帝はーあーうーあー♪」をうなっているところからすると、もうだいぶ夜は更けたようだ。
こうして、この世に戻ってもとても静かで、まったくこの世に戻ったように感じず、さきほども死んだのではなかったようだ。
もし死んでいなかったら、朱朗翁も閻魔にはなっていないのだろう。
 この問題を解くのに知識を使うのは罪だから、やはり感情を使って、解くとしよう。               19211023
     2010.107
訳者雑感:
 魯迅の作品にはあの世との交信がたびたび出てくる。唐代伝奇物語とかの
伝統が受け継がれているのだろう。文字を知るのが苦の始まり。漢字というこの画数の多い四角い字は、ローマ字を覚えるのとは、どこか違う脳細胞を使わねばならないのかも知れない。造語力という点では誠に豊かなものがあるが。
あるレベルに達するまでには、大変な苦労がいる。それを使いこなせるように
なるには、罪作りな仕業をして、人から大量に「知識」を盗まねばならない。
「月謝」はその対価か。
 夢の話は、欧州の作家か、夏目漱石の作品などの影響もあろうか。
 
 

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66 生命の路

人類の滅亡は大変寂しく悲しいことと思っていた。が、数人の滅亡はなんら寂しくも悲しくもない。
 生命の路は進歩するもので、無限の精神という三角形の斜面を右肩上がりに進み、それを阻止することはできない。
 もちろん実に多くの問題や不和が人々を悩まし、それで自ら委縮堕落し、
退歩する例も甚だ多いのも事実だ。しかし生命は決してそんなことで後戻りはしない。どんな暗黒が思潮を妨げようと、どんな悲惨が社会を襲おうと、どんな悪が人道を冒涜しようと、人類の完全さを渇仰する潜在的な力は、こうした困難を踏み越えて前進する。
 生命は死を恐れず、死の前にしても笑って跳ね、死せる人々を乗り越えて前進する。
 路とは何か?道なきところを踏み固めてできたもの、荊棘を切り開いてできたもの。
 路は昔からあった。そして将来も永遠にあらねばならぬ。
 人類は決して寂莫にはならない。生命は進歩し、楽天であるから。
 
 昨日私は友人Lと話した。「一人の死は当人とその眷族にはたいへん悲惨なことだが、一村一鎮の人からみればなんでもない。一省、一国、一種族からみれば……」
 Lは顔をしかめて、「それはNatur(自然)のことで、人間のことじゃない。
君、注意しなければいけない」と言った。
 私は彼の言う事も一理あると思った。
           2010/10/02
訳者雑感:進化論と生命と路、この3つのキーワードが、めちゃくちゃな当時の中華民国で生き抜くための「楽天」であった。深刻な文章を書きながらも、つねに「楽天的」に物事を考える。現代中国の格差問題に始まるすべての問題も漢民族の伝統「楽天」が次の生命につなげ様としている。楽天が4億人から13億人に増え、死ぬ者の数を上回って来た。
 

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65 暴君の臣民

 以前清朝の重大事案の記録を見ていて、「群臣百官」が罪は大変重いと上奏しているのに対し、「皇帝」は常に減軽しているので、多分これは仁に厚いという美名を残そうとして、こんな手口を使ったのではないかと感じたことだ。
 後になって考えてみるに、全く私の見当違いであったことが分かった。
 暴君治下の臣民は、大抵は暴君より甚だしいもので、暴君の暴政は、時として暴君治下の臣民の欲望を満たしきれないものだ。
 中国のことは持ち出すまでもない。外国の例でみても、小はGogolの劇「検察使」で、衆人はみなその上演を禁じたが、ロシア皇帝はそれを許した。大は、
イエスキリストで、執政官は釈放しようと思ったが、衆人は彼を十字架に釘付けするように要求した。
 暴君の臣民は、暴政が他人の頭に落ちるのを望み、それを見て喜び「残酷」
を娯楽とし、「他人の苦しみ」を賞翫し、慰安とする。
 自分の本領はそれから「うまいこと免れる」ことだが、「うまいこと逃れた」
ものの中から犠牲者を選び、暴君治下の血に飢えた臣の欲望を満たす。だが、誰もそれを知らない。殺されるものは「ああ!」と叫び、生き残った者は喜ぶ。
         2010/10/02
 
訳者雑感:北朝鮮が三代世襲を発表した。金氏が暴君か否かは歴史が決めるだろう。だが、過去60余年間彼の地で暮らしてきた民衆は、世界的な標準から見れば、かなり苦しい目に遇って来て、脱北という行動に出ざるを得ないほどなのだが。
しかし、三代の世襲という暴君の暴政を続けさせようとするのは、暴君の臣民に違いない。他人に苦しみを与えておいて、それを見て喜ぶようだ。
別の言いかたをすれば、もし世襲でなくて、別の人間に政権を譲ったとすると、その人間が金一族の悪をすべて暴露し、徹底的に覆すとなると、国家そのものが立ち行かなくなってしまうという危険性が大きいからだという。
暴君の臣民は、それを「うまいこと免れる」本領も持ち合わせていて、その本領を発揮したのが何を隠そう、今回の三代世襲というこの国の形だ。
韓国の例で、後任者が前任者の悪をあばき、当人を裁判にかけ、自殺に追い込むケースなどが何回も繰り返されてきたので、暴君の臣民はそれを一番恐れる。
暴政は他人の頭に落ちて呉れ。自分の頭上には落ちないでくれ!と言っているようだ。金氏の世襲を断ち切るものは、前回述べた「聖武」しかないか。
 

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64 有無相通ず

 南北の官僚が戦争しても、南北の人民は仲良くし、そこで一心に「有無相通」ずるようにする。
 北方人は南方人が文弱すぎるとし、彼らにたくさんの拳法を教える。八卦拳、
太極拳、洪家、侠家、陰截腿、抱粧腿、…(沢山の拳法の名を挙げる)。
 南方人は北方人が余りに単細胞だと思い、沢山の文章を送る。…夢、…魂、
…痕、…影、何とか外史、秘史、…(沢山の文章の名を挙げる)。
 直隷山東の侠客、勇士たちよ! 諸公はかくもたくさんの筋力に富むから、神聖な労作をなしとげられる。
 江蘇江南の才子、名士たちよ! 諸公はかくもたくさんの文才に富み、何冊もの有用な新書を訳すことができる。
 われわれは、自己を改造し、他の人を保全し、互助の方法を考え出し、互いに害し合う局面を収めてはどうか!
     2010/10/01
 
訳者雑感:
 この当時、北の袁世凱と南の孫文に代表される北洋軍閥をバックにした政権と、南の(強い軍事力を持たない)孫文たちが、政権をめぐって戦っていた。
後に毛沢東が「鉄砲から政権が生まれる」と言ったように、南方の文弱な政府は、袁世凱の軍事力の前に屈してしまった。
 袁世凱の独裁と皇帝に即位するという動きに対して、南も南、雲南にもどった、蔡鍔将軍たちが北伐に立ちあがり、袁世凱は倒れた。
 蔡将軍の軍隊は北方の筋力に富む軍人たちから、戦争のやり方を教えてもらったのだろうか。その後広東に軍官学校ができ、蒋介石たちがそこから軍備を整え出した。しかし、魯迅の指摘するように、南方人はやはり文弱なのか、北方の軍閥の系統を支配下に置くことはかなわなかった。
 南方の江西省の井岡山根拠地から追い出された毛沢東と朱徳の軍は、長征の果てに、北方の延安に根拠地を設け、南方の文と北方の筋肉を有無相通ずる形で、蒋介石軍との戦争に勝利したのであろうか。魯迅はそこまで見越していたとは思えないが。
 
 
 

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62 怨みを飲んで死す

 古来多くの人が怨みを飲んで死んでいった。彼らは一面では「才がありながら、時に遇わず」とか「天道いずくんぞ論ぜん」の類の句を残し、その一方で資産家は嫖に狂い、賭博にのめり込んでいった。あまり金の無い者は何十杯もの酒を飲み、不平を鳴らしながらしまいには怨みを飲んで死んでいった。
 彼らが生きているうちに訊いておくべきだった。諸公!北京は崑崙から何里離れ、弱水は黄河を去ること何丈なりや?火薬は爆竹以外に、羅針盤は風水を見るため以外に、何の用途がありや?綿花は紅か白か?穀物は木になるのか、草になるのか?桑間濮上(男女がこの地で相会する;出版社注)はいかなる状況で、自由恋愛はいかなるものか?夜半にふと恥ずかしくなることなきや?
早朝突然くやむことなきや?四斤の荷は担げるや?三里の道は走れるや?
 彼らがよく考えてみて、だんだん悔い始めたら、なにがしかの希望が見えてくる。もし更に一層不平をこぼし、憤慨して恨むようなら、もはや何の手助けもできない。それで彼らは怨みを飲んで死んでゆく。
 今の中国には、不平憤懣分子が多すぎる。不平はまだ改造の導火線になることもあるが、その前に自己を改造し、社会を再改造し、世界を改造せねばならぬ。ただ単に不平だけをこぼしていても始まらぬ。
 憤慨と恨みなどは殆ど何の役にも立たぬ。
 憤慨と恨みはただ単に怨みを飲んで死ぬための根と苗に過ぎず、古人に沢山いたし、我々は彼らの轍を踏んではならない。
 我々は「天下に公理も無く、人道も無い」という言葉を借りて来て、自暴自棄の行為を覆い隠し、自らを「怨みの塊」と称し、怨みを飲んで死ぬ顔つきをして、実は何の怨みも無く死んではならぬ。2010/10/01
     
訳者雑感:古来中国の名詩と言われるものの何割かは、世に容れられず、時に遇わぬ文人たちが、不遇の時に作ったものと伝えられる。左遷の途次や配流の地で詠ったものが、そうした境遇に追い込まれた「才はあるのに時に遇わず」
「王は我を起用せず、佞臣(ねいしん)に政治を任し、云々」という状況は、
古くから連綿と続いてきたし、魯迅がこの雑文を書いた時にも数え切れないほど、蔓延していたようだ。袁世凱以降、あたかも平成20年前後の日本のごとく、大総統や皇帝、軍閥政権がころころと首班を代え、めちゃくちゃな時代、魯迅の書いたような怨みを飲んで死んでゆく人間が余りに多く、それが彼らの美学だとするような風潮が、民国初期の中国に重くのしかかっていたのだ。そうした人たちが、自暴自棄になって死んでゆくのは、何とかしなければという思いがこれを書かせたのか。立派な学校を出た若者が、職も見つけられず、自暴自棄になって行くのはなんとしても食い止めなければ。

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61 不満

 欧洲大戦終了直後、中国は多くの希望を抱いていた。だが今では悲観絶望
がそれを砕き「世の人道はすたれた」「人道などまやかしだ」と叫ぶ。
評論家は外国の論者が自責の念を述べた文章を引用し、所謂文明人は野蛮人より野蛮なことを証明した、と非難。
 これは誠に痛快な話だが、それでは我々の意見として、どうすれば人道主義と言えるのかとの問いに対する答えは大方は「治外法権の撤廃」「租界の回収」
「義和団の賠償金(元利合計10億両39年分割払い)の返還」……だが、今やすべて渺茫となり、実に人道にもとっている状態である。
 また、「我々中国人の人道はどうか?」との問いに、答えは「……」。
人道に対する答えがただ「……」の人には決して人道は降りてこない。人道は各人の懸命な努力で培い育て、保護して初めて得られるのであり、決して他人からの施しや援助で得られるものではない。
 しかし本当の人道に近いことを説く人はまだまだ少ない。説けば犯罪者扱いされる。それで上っ面だけのことを言うのすら、進歩したとも言えるのだ。
今回は実にひどい戦争だったが、「食肉寝皮(相手の肉を食らい、剥いだ皮の上で寝る)」はしなかったし、「相手国を破壊し尽くす」こともしないで、18の新しい小国を興した。ドイツのベルギー侵略行為が残虐極まりないといえども、ベルギーの公告を見れば、捕虜に食糧を与えず、村長が殴打され、平民が前線に送られたくらいで、こんなことは我中国では、自国民に対しても常に起こっていたことで、奇とするに足りない。
 人類はまだまだ成長しきれておらず、人道も当然のことながら成長しきれていないが、あちらでは発展成長している。我々が良心に問うてみて、同じように成長していると感じれば、なんら心配することはない。将来きっと同じ道を歩むことになろう。見よ!彼らは軍国主義に勝利し、彼らの評論家は自責の念を持ち、多くの不満を抱えている。不満こそは向上の車輪で、自己満足に陥らない人類を乗せることができ、人道に向かって前進する。
 自己満足しない人の多い種族は、永遠に前進し、永遠に希望がある。
 人のことばかり責め、反省を知らない人の多い種族は、禍なるかな。禍なるかな!         2010/09/30
 
訳者雑感:欧州には社会に対する不満をはっきり表明し、自分たちの犯した罪に対する自責の念の強い人たちがいる。一方の中国では、不満というよりは、
不平を口にする人は多いが、現状に満足して生きているだけの人が多いし、自責という概念は少ない。自分で自分の過去を反省するというのは、自主的でなく、上から強制された形でしかありえなかった。文革中に起こった所謂「自己批判」(中国語では自我検討という)では、自分ではそう認めてないし、断じて
認めたくもないのに、それをしないと殺される、辺境送り、身分剥奪という脅しに屈してしか、自分を批判してこなかった。検討という中国語は批判と翻訳されるが、殆ど否定に近い。
 多くの大衆の前で、自責の念にかられて、罪を告白するなど、漢民族の長い歴史伝統からして、「自主的に」など絶対にしてはならないと考えられてきた。
従って、当時の所謂文革派はそうした人々を罵る時、「決して悔い改めることのない反動派、腐敗分子!」という罵詈雑言で、頭から批判否定した。相手を責めるのは大得意だが、自責する謙虚さからは甚だ遠いものがその底にある。
 

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59 聖武 (神聖な武力)

 以前「何とか主義は中国には関係ない」と言った:今日ふとあることを考えたのでそれについて書く。
 思うに、我々中国は元来新しい主義の発生する所ではないし、それを受け入れる所でもない。たとえ偶然外来思想が入って来ても、すぐ変色し、しかも多くの論者はかえってそうなったのを自慢する。
 我々はほんの少し訳本の序や跋に注意すれば、また各種の外国事情についての批評論議をよく読めば、我々と彼らの思想の間には、何重もの鉄壁の隔てが有るのを発見する。彼らが家庭問題と言うと、我々はそれを戦争を鼓吹していると看做し:彼らが社会の欠陥をあばくと、それをジョークだと思う。
彼らが良いと思うものは、悪いと言う。更に外国の国民性を注意して見、国民文学や文人の評伝をみると、外国の著作に描かれた性情や作者の思想が、殆ど中国のそれと異なっているのがわかる。だから理解できぬし、同情もできぬ。感応もできないのだ:彼我の是非、愛憎に至っては、相反する結果になるのを免れない。
 新しい主義の宣伝者は、放火する者だが、受け入れる人が精神的な燃料を持って初めて着火するのだし、琴を弾いても聴く人の心に弦があってこそ音が響く。
発声器も他の人が発声器を持ってはじめて共鳴する。中国人はどうもそうではないから、関係ないということになる。
 というと、読者の何人かは多分怒って「中国も何人も主義に命を殉じた人もいる。中華民国以来、主義の為に多くの烈士が死んだのに、お前は何を根拠に全て否定するのか?ペッ!」これも真実だ。我々は古くからの外来思想からいうと、六朝時代には確かに多くの焚身した和尚がいたし、唐代にも腕を切って、無頼漢に布施した和尚もいた。新しいところでももちろん何人もいる。
 しかしである。中国の歴史とはやはり何ら関係ない。歴史を総括すると、数学のように精密ではなく、多くの少数を記述するでもなく、おおざっぱに四捨五入して計算し、整数のみを記しているのだ。
 中国史の整数の中には実際のところ、何とか主義と言うものは無い。この整数の中には2種の物質のみしかない――刀と火である。
その二つをまとめて(賊、軍隊が)「来るぞ!」というのが、
その総称。
 火が北から(侵入して)来れば南に逃げる。刀が前から(切りつけて)来たら、後ろに退く。山ほどある(歴史の)出納帳(二十四史を指す;出版社注)は、このパターンの繰り返しである。
 もし「来るぞ!」というネーミングがあまり適切でないし、「刀と火」というのも何か目になじまない、というのであれば、別途妙案を考えねばならず、謚名(おくりな)の法にのっとって、「聖武」(神聖な武力)とすれば多少見栄えがよくなろうか。
 昔、秦始皇帝が隆盛のころ、劉邦と項羽が彼を見て、邦は「ああ!大丈夫はこうでなきゃ!」と言い、羽は「彼、取って代わるべし!」と。羽は何を「取」
ろうとしたのか。即ち邦の言う「こうでなきゃ」である。「このようで」の程度は違うとしても、誰もが取ろうとし、取られるのは「彼」で、取るのは
「丈夫」である。「彼」と「丈夫」の心の中には、この「聖武」が生じるところ、
それを受納するところである。
 何を「こうでなきゃ」と言うか?これを話せば長くなるが、一言で言えば、獣性の欲望を満たすことで――権勢と福、子女、玉帛(玉と絹、財宝)だ。
 それが全ての大小丈夫にとって、最高の理想(?)と看做されている。現在の人もこの理想に支配されていると見られる。
 大丈夫は「このように」なった後も欲望は衰えず、体も疲弊しないが、どうやら黒い影――死が身辺に近付いてきたと感じ、神仙になろうとする。中国ではこれも最高の理想だ。現在の人もこれに支配されているのではと心配だ。
 神仙を求め、ついに得られず、疑念を催す。それで造墳を始め、屍を保存しようとし、自己の屍で一塊の地面を永遠に占拠する。これも中国ではいかんともしがたい最高の理想で、現在の人もまだこの理想に支配されているのではと思う。
 現在の外来思想はどんなものであれ、自由平等の気があり、互助共存の気があるので、我々の(社会)で、この単に「我」というものが、単に「彼を取ろう」とのみを考え、自分だけですべての空間時間という美酒を独り占めして飲み尽くそうとしている(中国の頑迷な)思想界には、実際、足を踏み入れる余地すら無い。
 このため、あの「来るぞ!」を防ぎさえすれば、それで十分である。外国を見ると、この「来るぞ!」に抵抗して拒否できるのは、確かな主義を持つ人民だ。彼らは信じるところの主義のために、一切を犠牲にし骨肉で刀に対しその切っ先をにぶらせ、血液で火を消し、刀光の火色が減じる中に、天空が薄明に変わるのを見る。それが新世紀の曙光だ。
 曙光が頭上に来ているのに、頭をあげなければ、永遠にただの物質の閃光が見えるだけである。
        2010/09/29
訳者雑感:
 聖武天皇を思いながら、聖武という表題を眺めて不思議に感じていた。
今回精読してみて、中国の歴史は「主義」によって「変革」「革命」されたことは、小数点以下であると悟った。いずれも整数になれず、歴史書には残らなかった。
魯迅の指摘するのは、「聖武」が易姓革命を執行してきた。即ち「刀と火」であり、外国の「主義」を持つ人民は自らの「骨肉と血液」でその刀と火に立ち向かって曙光を見出してきたが、中国ではどうであったろうか。
 辛亥革命での彼の実経験に基づけば、「刀と火」が緑営や匪賊、盗賊などによって「金持ち」だけでなく一般庶民までも巻き込み、獣性の欲望に依って、「財宝、子女」をかっさらって行った。それが「来るぞ!」という言葉で、
資産家、無産家の一般中国人を怖れさせ、新しい帝王、支配者が古い支配者に取って代わるという、歴史の繰り返しだと教えている。
 「二十四史」という出納帳には、それしか書かれていないのか?
 
 外来思想の主義というのも、中国に入ってくるとすぐ変色し、多くの論者は変色させたことを自慢する、というのも実に的を得ている。
昔の仏教然り、今日の社会主義然りである。中国特色社会主義と改称する。
 
 

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58 人心、古びたり


 慷慨激昂ばかりしている人は「世道は薄情で、人心は軽薄で国粋は将に滅びんとし、このため私は天を仰いで切歯扼腕、三嘆する也!」という。
 はじめてこれを聞いた時はたいへんびっくりしたが、古書を見たら「史記」の「趙世家」の公子成が主父の胡服に改めるのに反対する段を記した処にあるのを偶然見つけた。引用すると、
 「臣は中国は蓋し聡明徇智の居所で、万物用財の聚る所、賢聖の教える所、
仁義の施される所、「詩」「書」礼楽の用いられる所、異敏技能の試される所、遠方から観に赴く所、蛮夷の義を行う所也:今王は此れを捨て、遠方の服を襲い、
いにしえからの教えを変え、いにしえからの道を易え、人の心に逆らい、学ぼうとしないで、中国から遊離することになる。故に臣は王が之を図るを願う也」
 これは現在革新を阻止抑制せんとする人の言葉と寸分違わないではないか?
後にまた「北史」の周静帝の司馬后の話の中にも:
 「后の性は妬忌、后宮は敢えて進御せず。尉遅迥女孫は美しく、先に宮中にて、帝は仁寿宮に之を見て悦び、よりて幸を得た。后は帝に伺い、朝を聴き、
陰に之を殺した。上は大いに怒り、単騎苑から出て、径路に由らず山谷に入ること三十里:高熲楊素等が追った。馬をおさえ、諌めた。帝は嘆息して曰く。
「吾の貴なるは天子たるも、自由を得ず」と。
 これも又現在の口では自由を主張しながら、実際には自由に反対する人の、自由に対する解釈に対して、寸分違わぬではないか?他に似た例がきっとたくさんあると思うが、見聞狭隘ゆえ多くは挙げられぬ。だがこれからわかることは、過去何年経っても、人間の考えはやはり同じなのが分かる。現在の人心も
とても古びているのだ。
 中国人はもっとずっと古くなろうと思っても、三皇五帝以前には古びるような望みは持てるとは限らない。残念ながら、時として新潮流、新しい空気の激震に遭遇し、もはやそんなことをしている暇もないのである。
 現在の古い民族で、最も中国式理想にかなうのは、セイロン島のVedda族だ。
彼らは外界との交渉は一切せず、多民族の影響も受けない。ずっと原始の状態で、まさに所謂「伏羲皇帝」に愧じない。
 しかし彼らの人口は年々減少していて、もうすぐ絶滅してしまうそうで、これは実にとても残念なことである。
   2010/09/28
 

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 57 現在の屠殺者

高雅と言われる人は「口語文は卑しくて浅薄固陋、知識人の目にする値打も無い」という。中国で字の読めない人は、話ができるだけで「卑しくて浅薄固陋」なのは言う必要も無い。「自分は(古文を)書けないから、口語を提唱し、自らその固陋を覆い隠そうとする」吾輩などはまさに「卑しくて浅薄固陋」なのも言うまでも無い。
 最も嘆かわしいのは、何名かの雅人が、「鏡花縁」の中の君子国の酒保のように、「御酒は一壺ならんか、両壺なりや。酒肴は一碟なりや、両碟か?的な高雅
さは保てず、古文を呻吟する時のみ、高雅で古風な品格を顕し、普通の話を始めると、「卑しくて浅薄固陋」な口語になる。4億の中国人の口から発する声はすべて一顧だに値しないとは、まことに哀れなり。
 人間なのに仙人になろうとし、地上に生きつつも天上に昇ろうとする。現代人として現代の空気を吸いながら、朽ち腐れる名教(儒教)にしがみつき、死んだ言語で現在を侮蔑し尽くす。これは「現在の屠殺者」である。「現在」を殺したら、「将来」も殺す。
――将来は子孫の時代だ。
     2010/09/28

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