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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「涛声」を祝す

「涛声」がこれほど寿命を保てたのは、考えてみれば少し奇(妙)であった。
3年前と一昨年、所謂作家だと称す人、或いは何々会、何とか文学を標榜していた人は、
去年には皆跡形もなくなり、今年は大抵が名を変え、タブロイドを発行し、ゴシップを売りに出た:ニュースはたいして無いから、デマもまき散らした。かつての所謂作家たちは一緒になって暴露小説を書いたが、今や連合もならず、細々としたものを読者の脳裏に塞ぎこみ、ゴシップの類を彼らの大学問とした。この功績の報奨は、稿料の外にニュース賞もあり「羊頭を掲げて狗肉を売る」は過去のことで、今や「人肉を売」っている状態だ。
 それで「人肉を売」らない雑誌と作家たちは、今度は売られてしまう物となった。それも何ら奇とするに足りぬ。中国は農業国なのに、麦は米国から輸入し、一斤数百文で子供を売り、古い文明国の文芸家も売血する他に道が無く、ニーチェの言ったように:
「私は血で書いた本を愛す」となっている。
 だが「涛声」はまだ存し、これが私の所謂「少し奇妙」の由縁だ。ある意味幸運であるが、また欠点でもある。今の状況からみれば、その存在が勅許或いは黙認されているのは、
往往一部の人たちは納得していない。ある人は私を批判して、魯迅が今なお生きているのを見れば、彼が良い人間ではないということが分かる。これは事実だ。民国元年の革命から今まで、良い人がどれほど殺害されたか知らず、誰もその正確な数を覚えていないが、
この事実が又私を悪くさせ、私が死んだとしても、彼らにそのニュースを大売りさせるだけで、大いにデマを飛ばし、私が殺されたのは実は金か女の問題だなどと言うことを知っているからだ。だから私の名が暗殺対象のブラックリストに載っていればそれで可とし、
梁で首をつるとか、服毒などはありえない。
「涛声」にはよく上半身裸で戦い、死ぬか生きるかという文が出てくるが、この癖は私のとはとても相反しているが、これが幸運にも生き延びている理由ではない。思うに、この幸運と欠点はどうやら古いものを引用して現在を証明することを好み、いささか学究肌を帯びているためだろう。中国人は自らを「四千余年の古い国」と誇るが、大変健忘症で、民族主義文学者すらジンギスカンを自分たちの祖先とみなし、それでは共に古いことを話すのはよろしくないということが分かる。上海の仲買人はこうした物を必要とせず、彼らの興味はただその日の宝くじと近所のもめ事で:眼光遠大なものも、名公がどんな山に遊んだとか、金持ちが誰と親しいかの類に過ぎず:高尚な物も、何とか学会の瑣事や文壇の消息を見るだけだ。要するにすでに命さえも粉々に砕いてしまっているのである。
 このことから「涛声」の売れ行きが必ずしも良くないと分かるが、一面では寿命も伸ばしている。文人学士は清高で彼らは今、更に利口になり、二度と自分の主人にへつらう様な痕跡を残さぬようにしている。彼らはただ暗闇の矢を配し、糞用箒を持って、ひれ伏すべき奴隷を監督し、誰か頭をもたげる奴がいたら、すぐ発砲し、晒しものにし、結果としては多分、誘拐暗殺し、それで民国国民の一律な「平等」を保持する。「涛声」の売れ行きは大したことないので、暫くは命を保っているが、今後どうなるかは何も言えぬ。というのも、「不測の威」は古来あるから。
「涛声」が好きだし、こういうのもいいと思う。だが最近政治を語らず、談じて分に安んじないと、あの私の勧めた「烏印」をつけた雑誌もその効果がなくなってしまうだろう。
となると「祝」も「空祝い」となり、我々は毎号見ることができればそれでよしとせざるを得ない。古人は詩に曰く「喪乱死多門」(災難で多くの死者がでる)本当だ。
       8月6日
  11月25日「涛声」に果たして「休刊の辞」が出、冒頭「11月20日午後、本詩は登記証返還令を奉じ、『民も亦労を止め暫く小康を保つべし』。我々は少し休むとしよう…」
 これはまことに康有為の説く「不幸にして吾言中(あたり)」に似、奇でないとはいうものの、なんぞ奇ならんや。  12月31日夜、補記。
 
 
訳者雑感:
民国元年の前後、魯迅は清朝政府の抑圧者を殺しに行けとの命を受けたが、母親のことを
思い、長男として母を悲しませるわけにはゆかないとしてその命を断った由。本文で彼が触れているように、彼が今なお死んでいないのは良い人となることを断ったからだ。その代わり、革命に身を投じた人たちへの「すまない」という気持ちを死ぬまで持ち続けることとなった。
   2012/03/14訳

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孔子像と紅歌

孔子像と紅歌

2010年の正月休みに上海魯迅公園を訪ねた。
朝10時ごろ、入口の左側の広場に百名近い中高年の男女が集まって、
中央のリーダーの掛け声に合わせて、1960年代の文化大革命の頃に
流行した歌を次から次に歌っていた。「紅歌会」というそうだ。
2011年初、北京の天安門広場に巨大な孔子の像が姿を現した。
見に行こうかと考えているうちに、まもなく突然撤去された。
重慶で薄書記の指導の下、「紅歌」を歌って腐敗した社会を正そう、
社会の黒幕(やくざ、ごろつき)を徹底的に締め出そうとしている
運動が高まっていると宣伝している。
2011年の7月1日の共産党90周年で、胡主席は、幹部の腐敗や社会の
さまざまな矛盾の解決に全力を尽くすが、「文革」の手法は取らない
と声明を出した。
2011年7月7日に江沢民前主席が重体だと北京筋が認めた。
孔子像を建てたグループと「紅歌」を提唱するグループの鬩ぎ合い。
兄弟カキに鬩ぐというが、まさしく天安門というカキの両側で、
儒か紅かが鬩ぎ合っている。江氏の健康問題が影を落としている。

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魯迅の墓

上海の魯迅公園を訪問した。 百人近い老壮男女が文化大革命のころに国中で謡われた歌を大きな声を はりあげて元気に歌っていた。 民俗魂と書かれた布に巻かれて万国公墓に埋葬されたのを、新中国建国後 こちらに移され、以前の顔写真の墓から大き銅像に代えられた。 墓の中の魯迅は60年代の紅歌をどう聞いているだろう。そしてどんな雑文を 書いただろうか。 2012.3.11.

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「ある受難」序

 今や「連環画」という名はよく使われるようになったから改める必要はない:だが実は「連続画」というべきで、それは「端の無い環のようなもの」ではなく、初めと終わりのある絵本だからである。中国古来の所謂「長い絵巻」「長江無尽図巻」や「帰去来辞図巻」の様な物もこの類だが、一幅として構成されているにすぎぬ。
 この種の画法の起源は実に大変古い。エジプトの石壁に彫られた名王の功績「死者の書」
に画かれた冥土の情景はすでに連環画である。他の民族も古今から皆あり、細かく述べるまでもない。見る者には大変有益で、一見すれば大概、当時の若干の状況が分かり、文辞とちがい、習熟してなくても理解できる。19世紀末、西欧画家の多くはこの種の画を好み、
一つのテーマを立てて画貼を作ったが、連環とは限らなかった。図画で叙事するのは比較的後で、作品が最も多いのはMasereelだ。これは映画と非常に密接な縁があり、一面では文字に替って図画で物語を描き、同時に連続することで活動写真の代わりをした。
 Masereelは欧州大戦に反対した一人で:本人によると1899年7月31日Flandernの
Blankenberghe生まれ。幼小時はとても幸福で勉強せずに遊んでばかりいた。Gentに求学し、そこの芸術学院で半年弱学び:後、ドイツ・スイス・フランスを漫遊した。パリが大好きでパリを「人生の学校」と呼んだ。スイスでは常々新聞に絵を投稿し、社会の隠れた病を摘発した。ロマンロランは彼をDaumierのGoyaに比した。だが一番多いのは本の中の木刻の挿絵と、すべてを絵で表現した物語だ。パリを酷愛したから作品は往往ロマンチックで、奇詭であり、人情の外に出るものがあり、それで驚異と滑稽な効果を収めた。
只この「ある受難」は写実的で、他の絵巻物とは異なる。
 この物語の25枚には一字の説明も無い。だが見ればすぐわかる:1、卓と椅子の他何もない部屋に一人の懐妊した女がいる。2、出産後他の人に部屋から追い出されるが、雇い主か父親かは分からない。3、彼女は路上を彷徨するしかない。4、とうとう誰かの後をついて行く:生まれた子は捨て子の群れに入り、街で騒ぎを起こす。5、成長して大工の仕事を学ぶが、大事な仕事はまだ子供には無理で、6、とうとう首を切られて、野良犬を追っ払うように蹴りだされてしまう。7、飢餓に迫られパンを盗む。8、すぐ治安警官に捕まり 9、牢に入れられ 10、刑期を終えて釈放され 11、雑踏の路上をさまよう。
12、幸い道路修理の仕事にありつき 13、だが一日中鶴嘴と鋤の仕事に嫌気がさし、
14、機に乗じて悪い仲間に入り、15、誘惑されて妓女に会いにゆき、16、踊る。
17、だが帰途、悔恨し、18、工場で働く決心をし、朝から自習して学ぶ。19、こうした境遇で真に相愛の人に出会う。20、だが労資関係の衝突が起こり、高所に登ってスローガンを叫び、労働者を糾合し資本家と闘う。21、それでスパイに探られ、22、その後兵隊警官の弾圧に会い、23、スパイの離間にあって捕まり、24、受難の「神の子」
イエス像の前で、この「人の子」は裁判を受け、25、当然の結果として死刑とされ、彼は立って兵たちの銃声を待つ。
 イエスは語った。富翁が天国に行くのは駱駝が針穴を通るより難しい、と。だがそれを語ったのは本人で、そのとき彼は受難したのである。欧米の富翁は殆どイエスの信奉者だが、このとき受難したのは貧乏人の番となった。
 以上が「ある受難」の叙述である。
     1933年8月6日   魯迅
 
訳者雑感:
 魯迅は挿絵が大好きだ。子供のころから挿絵の入った「物語」を片端から読んで絵を描いた。それが連環画という物語となった。日本の漫画とはちょっと異なり、吹き出しの会話主体というよりは絵の下段に説明的な叙述があるものが多い。絵は絵で独立しちょうど
外国映画の字幕のようなイメージである。
 この序は上海良友図書印刷公司出版のものに書きおろした魯迅の文で、この序の他には
一文字も無いのだろう。彼の1から25までの叙事は映画の字幕の代わりだろう。
      2012/03/09訳
 

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翻訳について

今年は「国産愛用年」で「米国小麦」以外の輸入品はすべてボイコットされた。四川では、今路上を歩く人の長い服を切れとの命を奉じておるが、上海の慷慨家は洋服が大嫌いのため、袍子(丈の長い清時代の服)と馬褂(羽織るもの)を思い出した。翻訳も旗色が悪くなり、どれもこれも一律に「硬訳」と「乱訳」と評された。然し私が見る限りでは、これらの「評論家」の中に、その一方で「良い翻訳」を要求する者は一人もいなかった。
 創作は自国民についてだから、確かに翻訳より身近で分かりやすいが、ちょっと注意を怠ると、すぐ「生硬」「乱作」の欠点が顕れ、その欠点は翻訳よりひどい。我々の文化の遅れは否定できぬし、創作力も当然外国人には及ばぬ。作品も比較的薄弱なのは止むを得ぬところで、やはり常に外国に学ばねばならない。だから翻訳と創作は同じように提唱すべきで、片方を抑圧してはいけない。創作を放任して駄々っ子のようにしたら、却って脆弱になる。以前外国品ボイコットの年に、国産メーカーは外国の歯磨き粉の二瓶を薄めて三瓶にし、商標を貼り変えて国産として売ったから、買った人は1/3以上損をした:
又あせも薬も恰好は輸入品と瓜二つで半値だったが、大きな欠点は塗っても効果が出ず、買った人は丸損だった。
 翻訳を重視するのは、それを借りて鑑にするためで、実は創作を催進し励ますためだ。ただ数年前、「硬訳」を攻撃する「評論家」がいて、彼の古いかさぶたの末屑を掻いて、膏薬の中の麝馨と同じで、量が少ないため自分では珍奇と考えたようだ。そしてその気風が伝布し始め、沢山の新しい論者が、今年になって皆軽薄にも輸入品を売り出した。軍人の飛行機大量買い付けに、市民が懸命に義捐するのに比すると、所謂「文人」なる者は、まことにとんでもないほどの昏庸(うとい)人たちだ。
 中国に沢山の善良な翻訳家が現れるのを望むが、それが不可能なら「硬訳」を支持する。
理由は中国にはまだ多くの読者層がいて、全くの人騙しではないものもあり、きっと誰かが何がしかを吸収できるだろうし、カラの皿よりは有益だから。又私自身もこれまで翻訳に感謝していて、例えばショ―の毀誉と現在提起されている題材としての積極性の問題について、輸入されたものの中に早くから明確な答えがあり、前者についてはドイツの
Wittvogelは「バーナードショ―はピエロ」の中でこう語る――
『ショ―氏が無産階級革命の考えがあるか否かは、決して重要な問題ではない。18世紀の
フランスの大哲学者達も決してフランス革命を望んでいなかった。そうではあるが、彼らはすべて必至なこととして社会を変えるあの種の精神崩壊へ引導する勢力であった』
(李大傑訳「上海のバーナードショ―」所載)
 後者としては、エンゲルスがM.Kautsky(Kautskyの母)への手紙に明確な指示をしており、今の中国に対して大変有意義で――
『更に今日のような条件下、小説は大体ブルジョア層の読者向けだから、私の見方として、正直に現実の相互関係を叙述すれば、あの上辺を蔽っている偽の幻影を引っ剥がし、ブルジョア世界の楽観主義を動揺させ、既存秩序の永遠支配に疑念を起こさせれば、社会主義的傾向の文学も十分その使命を尽くせた――たとえ作者がこの時まだ何か特定の解決を出せなくても、或いは作者がどちらの側に立っているか、明白でなくとも』
(日本、上田進原訳「思想」134号所載)      8月2日
 
翻訳雑感:
日貨排斥というスローガンが何回も掲げられた。茅盾の「林家舗子」という小説の映画化にも、江南地方の雑貨店がスローガンの出る前に群衆が争って買いだめに走る姿を映す。
魯迅がここで指摘しているのは、国産品愛用をいくら唱えても、その下をかいくぐる者が一杯いて、結局効き目の無い薬を買わされて苦しむのは庶民であるということ。
 それを翻訳の問題に結び付けて、デタラメの翻訳ばかりが横行している現状をやり玉にあげて、「創作」に(国産品愛用)注力せよという評論家にも一言文句をつけている。
文芸理論面でまだまだ遅れている中国の現状を改善するためには、「硬訳」でもきっと誰かがそれを吸収できるのだから、優れた作品は輸入して翻訳すべきだとして、自らも日本の雑誌からの重訳を紹介している。彼は新聞雑誌からこれはと思うものを翻訳引用して、
必ずや広い中国には誰かがこれを吸収してくれると信じていたのだ。大勢の人が吸収できなくても仕方が無い。何人かが共鳴し吸収してくれればよいと考えて翻訳に励んだ。
    2012/03/08訳
 
 
 
 

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文学社への書簡

編集者殿:
「文学」第2号の伍実氏の「中国のHughes」の冒頭に下記の一段があり――
『…ショ―翁は名流で、我々の自分で名流と任じている人たちが招いたもので、更に惟
名流が名流を招いたので、それで初めて魯迅氏と梅蘭芳博士が千載一遇の機会を得て、
一堂に会した。Hughesということになると、只単に我々の名流の心目中のその種の名流ではないのみならず、皮膚の色に顧忌が加わった!』
 確かに、ショーに会ったのは私一人ではないが、私が一度ショ―に会ったら、大小の文豪から、今まで嘲笑され罵られ、最近も例えばその為に、私と梅蘭芳を一緒に談じた名文となった。然し、あの時は招待者が私を呼んだのである。今回のHughes招待については、
私は通知も受けていないので、場所も時間も知らないから、どうして行けようか?たとえ呼ばれていても、行かないのも多分他の理由がある訳で、口誅筆伐の前に、もう少し考察しなければならぬようだ。今現在何の連絡もないのに、私が行かないと責めることはできぬし、行かぬからといって私が黒人を見下していると断定している。本人は信じているが、読者は事実について不明だが、たいてい信じるだろう。しかし私自身、私が畢竟そんなに権勢や利欲に走るような卑劣な人間になったとは信じられない。
 私を侮蔑し侮辱するのはいつものことだ:奇とするに足りぬし:もう慣れた。が、それはタブロイドや敵の発行物。少し識見を備えれば一目ですぐ分かる。だが「文学」は立派な看板を掲げ、私も同人だ。何ゆえに端無くもデタラメのことをこんなに辛辣な皮肉を書くのか!権勢や利欲に走る卑劣な老人が欠けているから、文学の舞台に踊らせて、観衆を愉快にさせ、且つ嘔吐させようとの魂胆か?私はまだそんな役柄に適した所にまで至ってはいないと信じている。その恐ろしい舞台から飛び降りられると信じている。その時はいかなる侮蔑嘲笑にも互いに矛盾は無い。
 伍実氏は仮名だと思うし、きっと彼も名流で、たとえHughesを招いても名流でなければ坐につけるとは限らぬ。だが彼が上海の所謂文壇でそれらのキツネやネズミとは違うなら、人身攻撃をする時は、少しは責任を負うべきで、彼本人に関する姓名を宣告して、本当の顔と口を開示せねばならぬ。これは政局にも無関係でなんら危険も無い。況や我々は
かつて面識があり、顔を会わせればきっと遠慮し合うかも知れぬ。
 最後にこの書簡を「文学」第3号に発表するよう要求する。  魯迅  7月29日
  
訳者雑感:雑誌「文学」で仮名による人身攻撃。よほど腹に据えかねたとみえる。出版社注では同誌の編集者の一人という。ちなみにHughesは1902―67の黒人作家で、この時訪ソして帰米途路上海に立ち寄り、上海文学社、現代雑誌社、中外新聞社などが招待会を開いた由。同人に対して編集者が仮名で人身攻撃する意味は何だったろうか?魯迅を攻撃のやり玉に挙げれば喜ぶ読者もいた。信じる読者もいたものか。 
 2012/03/06訳

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近頃の読書人はしばしば中国人は大皿に撒かれた散沙のようだと嘆じ、何とかしようとも考えず、こんなに悪くなった責任をみんなのせいにする。しかしこれは大部分の中国人への冤罪である。小民は無学だし、ものの見方も不明な点が多いが、自分たちの利害に関わると知ったら、どうして団結しないということがあろうか。かつては跪香という請願の方法があり(役所の前で跪いて香を焚いて冤罪を訴えること:出版社注)、民変、造反もあった:現在も請願等がある:彼らが沙のようにばらばらなのは、支配者にうまく「治め」られているからで、文語で言えば「治績」されているのだ。
 では中国にはまとまった沙はないのだろうか?あるにはあるが、それは小民ではなく、大小の支配者だ。
 またよく「昇官して蓄財する」というが、この二つは並列ではなく、昇官しようとするのは、只只蓄財のためで、昇官は蓄財の手段にすぎぬ。だから官僚は朝廷に依存しつつも、決して忠義的ではなく、吏卒も役所に依存しつつも、役所を守らず、ボスが清廉な命令をしても手下は決してそれを聞かず、「ごまかし」で糊塗する。彼らは自分のため、自利の沙で、身を肥やせるときはせっせと肥やし、それぞれが皇帝で、尊大になれるところでは尊大になる。ある人達がロシア皇帝を「沙皇」(ツアーリの漢訳)と訳し、この輩に贈ったのは実に的確な尊号である。財はどこから来るか?小民の身から搾取するのだ。小民が団結すると面倒なことになるので、あらゆる手立てを講じて、散沙にしておかねばならぬ。
沙皇が小民を治め、全中国は「大皿に撒かれた散沙」になった。
 しかし沙漠以外にも団結した輩がいて、彼らは「無人の境に入るが如く」に侵入してきた。(沙漠はロシア、それ以外は日本を指す:出版社)これが沙漠上の大事変。この時、
古人は極めて適切な二句の比喩をつくり「君子は猿と鶴、小人は虫と沙」と呼んだ。その君子たちは、空を舞う白鶴でなければ、木に上る尾長猿の如しで、「木が倒れたら尾長猿も
散じる」となるが、他の木もあるので苦しみはしない。地上に残ったのは小民の蟻と泥沙で、踏みつぶしても何の問題も無い。彼らは沙皇に刃向えないのだから、どうして沙皇に
勝った相手に敵対できようか?(ロシアに勝った日本のこと:出版社)
 しかしこの時にどうしても一言云い出す者がおり、小民に厳重な質問を発し:「国民は何を以て自分を処すべきか」とか「国民に問う、何を以て善後策とするや!」と。忽然「国民」を思い起こし、他は何も言わず、彼らにこの質問に答えさせようとするが、それは手足を縛った人間に向かって、強盗を捕えろと要求するに等しくないか?
 但しこれは正に沙皇治績の後ろ盾の下で、猿が鳴き、鶴が啼いた尾声で、己を肥やす尊称の余に、必然到来する最後の一着である。     7月12日
 
訳者雑感; 大皿に撒かれた散沙と言われた小民。沙漠から中国に侵入してきたツアーリの軍とそれに勝った日本。それらを後ろ盾に、蟻の小民を搾取する猿や鶴。イソップ童話になぞらえているようだ。     2012/03/05 啓蟄、雨の朝 訳

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一段下がってみては如何

「文学」第一期の<「図書評論」が論評している文学書部分の清算>は面白くて有意義だ。この「図書評論」は単に「我々の唯一の評論誌」のみならず、我々の教授や学者たちによる唯一の連合軍だ。然るに文学書部分は、訳注に関する評論が大半を占め、その「清算」で指摘している点の他に、実はもう一つ大事な理由があり、それは我々の学術界・文芸界で働く人が、大抵は皆、実力の無いくせにそれよりも一段高い所にいるからだ。
 校正員は排版の格式に通暁し、大変沢山の字を識る必要があるが、今の出版物を見ると、
「己」と「已」「戮」と「戳」「剌」と「刺」を何人もの目が判別できていない。版式は元々
植字工の仕事だが、彼がいい加減にするのでその責めが校正員の肩にかかってくる。彼もそれに構わぬとなると、もう誰も構わなくなる。文を作る人はまず字を識る必要があるが、
文章には往往「戦慄」を「戦慓」、「已経」を「己経」とし:「非常頑艶」は嫉妬で人を殺すこととなり;「年はすでに鼎盛」は60歳余の人だと説くことになる。訳注は、「硬訳」でなければ「誤訳」となり、訓斥と訂正のために9冊の「図書評論」の文学部分の一半を占めているのが動かぬ証拠である。
 こうした間違いだらけの本が出るのは大抵社会的な需要があるとみて、怱々と投機的に
出版するからだが、その任に堪える人が、自己の評価を貶めてまで、この労多くして利の少ない仕事をしないためである。そうでなければ、これらの訳注者は、大学で学問だけに没頭し、教授たちの指示を謹んで聞く人たちばかりだからだ。誤訳をしない人達は、身を清めて遠くへ去り、出版界の上空には何も浮かんでいない。小兵が大将の旗を掲げておれるのは、翻訳の世界を辱めるものだ。
 では訳注できる人はどこへ行ってしまったのか?いうまでも無い。彼は一段上に跳ね上がり、教授や学者になったのだ。「世に英雄なくば、ついに竪子(こども)も名を成す」で、
まだ学生のほやほやが、虚に乗じ、庇護を得て、訳注者に変じた。物事も同じで、訳注者の卵が、高座に座り、昂然と法を説くようになった。デューイ教授は彼の実用主義、バビット教授は人文主義を掲げているが、彼らのところから細々したものを運びこんできて、中国の世界を大声で叱責する学者に変じたのも動かぬ証拠ではないか。
 中国の翻訳界を澄み清めるのに一番良いのは、皆が一段下がってみることである。その時ほんとうに愉快に任に堪えられるや否や。やはり確たる自信はないが。
                         7月7日
 
訳者雑感:魯迅は製本についても多くの注文を出している。天地はどれくらい取るべきか。
余白を必ず設けて、読者が何か思いついて書きつけるに便宜なようにとすると共に、読者の目を大事にした。それで彼をスタイリストと呼ぶ人がいる。挿絵を特に大切にしたのは子供のころに愛読して、その上から丁寧に書き写したものを本にして楽しんでいた由。その後お金に困った時、それを買いたいという裕福な子に売ったという。翻訳の挿絵を描くには、ほんとうにその作品のメッセージを理解していないと描けない。誤訳やいい加減な訳がはびこっていることを嘆いている。 
 またかつてはデューイが中国に来た時に彼の通訳を務めた胡適などが、暫く後に教授や学者になって、割の合わない翻訳をしなくなってしまうような状況を改善せねばならぬと説く。中国の翻訳本を見ると、何種類もの翻訳が出されているが、粗製乱造というか、しっかりした翻訳者が目を通していないような直訳、逐次訳、意訳をよく見かける。
 魯迅は東北で医学を学んだが、卒業はしておらず、学位も号もない。学者とか教授にならず、教育部で十数年間役人をして、講師として北京の大学数箇所で教えている傍ら、日本語やドイツ語などからの翻訳をたくさん出している。
        2012/03/03訳
 

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ことわざ(諺語)

 ことわざは一時代の一つの国民的意思の結晶だが、一部の人たちの意思にすぎぬと思う。「各人が門前の雪をはけ、人の家の屋根の霜に口出しするな」を例にとると、これは被圧迫者への格言で、人に奉公し・納税し・義捐金を出し・分に安んじよ・怠けるな・不平をこぼすな・とりわけ余計なお節介をするな、との教え:圧迫者はその中に入らない。
 専制者の反面は奴隷根性であり、権力を握ったら何でもやりたい放題だが、勢力を失えば即、奴才となる。(呉の)孫皓はとんでもない暴君だったが、晋に降るや、全くの幇間になった:宋の徽宗は在位中、とても尊大だったが、虜になった後、恥辱を忍ぶまでになった。主であった時は、他の人を全て奴隷にしたが、上に主がくると、自分が奴隷になる。これは天地の揺るがぬ定めである。
 だから圧制されているときは「各人は門前の雪をはけ、人の家の屋根の霜に口出しするな」の格言を信奉していたものが、一旦勢力を得、人を凌ぐようになると、彼の行動は打って変わり「人は門前の雪をはかず、逆に人の屋根の霜のお節介をする」となる。
 この20年常に目にしてきたものは:武将は元来兵を訓練し戦う者で、この兵というのは国内を安んじるためか、外敵を排除するためかは暫く問わない。要するに彼の「門前の雪」は軍を治めることなのに、どうしたわけか教育に口をはさみ、道徳の番人のような行動を採る。教育家はもともと学校教育を弁じる者で、彼の業績がどうであれ、要するに彼の「門前の雪」は学校業務だが、どうしたわけか彼は「活仏」にひれ伏して、漢方医を広めようとする。細民は軍に従って、人夫にされ、ボーイスカウトは家ごとに募金をつのる。親分が上で勝手なことをすれば、蟻民はその下でごっつんことぶつかり合う。その結果各人の門前はとんでもない状態になり、各人の家の屋根の上もごたごたになる。
 女性が腕や脛を露出し始めたことが、賢人たちの心を動揺させたようで、かつて多くの人が声を大にして、禁止を主張したことがあり、確か後に明文化して禁じた。所が今年また「衣服は体を蔽えばよく、前も後ろも更に長く垂らすのは布の無駄…時局の困難に鑑み、
今後のことを考えて」四川の営山県知事は公安隊を派遣して、通行人の長い衣服を切るよう命じた。長衣はもちろん無駄なものだが、それを着ないとか、裾を切ることで、「この難局」を救おうと考えるのはなんか特別な経済学のようだ。「漢書」に「口から出る言葉は天の定めた憲法だ」という句があるが、これが正にその謂い也。
 ある種の人たちはきっとこの思想とものの見方しか無くて、彼自身の階級を越えられない。というと何やら諱を犯す階級のことを提起しているようにみえるが、実際そうなのだ。
謡諺がけっして全国民の意思ではないのはこのためだ。昔の秀才は知らぬことは何も無いと自負していた。「秀才は門を出でずとも天下の事を知る」といううぬぼれた大ボラを吹いて、細民もそうだと思い、これがだんだんことわざになり流布した。が「秀才は門を出ても、天下のことを知らない」のだ。秀才はただ秀才の頭脳と目だけで天下の事など何も分かってはいないし、考えも明確にできるわけではない。清末維新の為に、常に「人材」を西洋に派遣して考察させたが、彼らの日記を見ると、彼らが最も奇としたのは、洋館の蝋人形が生きている人とチェスを打てることくらいだ:広東の南海県の聖人康有為は錚々たる人で、11カ国を歴訪し、バルカンまでやって来て初めて、外国でよく「君を弑す」事が起こるのは、曰く:宮殿の壁が低いせいだ、と。   6月13日
 
訳者雑感:魯迅が北京で教育部に奉職していたころ、軍閥が日本軍と戦わないで嘆願に来た学生に向かって発砲して沢山の学生を殺した。それでいて学校の運営に口をはさみ、余計なことばかりして本来の「軍を治めて国内を安定させ、外敵から守る」ことはおざなり。
学校を弁じる教育部の「上」は生き仏を拝み、漢方医を広めようと時代錯誤のことばかりして、これも門前の雪をはかないで、要らぬ世話ばかりやく。
 3.11の原発が爆発したとき、首相として本来の「門前の雪をはく」ことを二の次にして、現場に飛びだし、技術の責任者でもあるかのように振舞い、こまかな電源のサイズなど追及したり、何かの救急処置を命ずるなどまさに「他人の家の屋根の霜に口出しする」ことで、混乱した政府の「上」の採る行動、振舞いは1930年代と2010年代の日本と何ら変わりが無いようだ。
      2012/02/29訳

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経験

古人から受け継がれた経験の中には極めて貴重なものがあり、それは多くの犠牲が払われていて、後の人に大きなメリットをもたらしている。
 偶々「本草綱目」を見ていてふとこれを思い起こした。この本はごく普通だが中身は豊富な宝で一杯だ。風をつかむような記述もあるが、大部分の薬の効用は悠久の経験からやっとここまで知ることができたのである。特に驚くのは毒薬の記述だ。古聖人を恭しく敬ってきたのは、薬は神農皇帝が独自にいろいろ試して出来たもので、彼は一日に72もの毒をためして、すべてその解毒法を見いだして毒死しなかった由。この種の伝説は今やもう人心に影響を与えない。人は皆、すべての文物は暦来の無名氏が一つひとつ徐々に造ったということを知っているから。建築・割烹・漁猟・農耕みな然り:医薬も。こう考えると、
この書は大変なものだということが分かる。だが古人が病気になると最初はこうとかああとか、すこしずつ試すほかなく、毒を食らったら即死。無関係な物なら何の効き目も無い。ある人が遂に効き目のあるものを飲んで好転し、そこでそれがその病気に効く薬と知る。このように累積し、或いは草創した記録が後に膨大な書「本草綱目」の如きものになった。
この本の中には中国人だけでなく、アラブ人やインド人の経験もあり、過去に払った犠牲の大きさは推して知るべし。
 然るに多くの人の経験も、後人に悪い影響を与えた物もあり、俗に言う「各人は自分の門前の雪をかけ、他家の屋根の霜に口出しするな」がその一つ。負傷者を救急に助ける時、注意せぬと、過去にはよく騙されたりした。更には悪い経験の結果、数え唄に「役所の門は八の字に開いているが、理があっても金が無い奴は入るべからず」という。
だから自分と関わりの無いことには遠く離れて、一切関わらないことになる。人間が社会生活を始めたころは、決してこんな風に相関せずでは無かったと思うが、豺狼が道に現れ、実際にそのために多くの犠牲者が出、後には自然にこんな風に道を歩くようになってしまった。それで中国では、特に都会では、路上に急病で倒れた人がいても、車が転覆して、けが人が出ても、人はそれをとり囲んで見たり、面白がって眺めるものすらいるが、手を伸べて助けようとする人は極めて少ない。これは犠牲と引き換えにした悪い点だ。
 要するに、経験から得た物は、良かれ悪しかれ、大変な犠牲が払われたもので、小さなことでも、驚くほどの代価を払うことから免れぬ。例えば近頃新聞を見る人は、何とか宣言・電文・講話・談話の類が四六駢儷体のどんな名論議であっても、見向きもしない。只見向きもしないだけでなく、冷笑の種にしてしまう。そんな文章のどこに「始めて文字をつくり、衣装を定め」云々と同じような重要さがあろうか。しかしこの小さな結果すら、
広大な土地を犠牲にし(満州の意:訳者)多くの生命財産を引き換えにしたものだ。生命とは勿論他人の命で、もし自分の命ならこの経験は会得できない。従って、一切の経験は只、生きている人だけが持てるものである。人が私を風刺して、死を怖がる臆病者とけなせば、自殺するとか命がけで何かするだろうというペテンには決して騙されないし、ここに、こういう文章を書かねばならぬのは、まさしくこの為である。
しかしこれも小さな、小さな経験の結果である。     
 6月12日
 
訳者雑感:去年広東で2歳の女の子が車にひかれて倒れているのに、十何人もの通行人や車を運転していた人たちは、手を差し伸べて助けようとしなかったことが大問題になった。
仏山という都会の商店街でのことだが、以前に老婆が車にひかれたのを助けようとした人が、逆に訴えられて、莫大なお金を払わされることになったのが、多くの人の頭に残っていたとの解説があった。中国で特に都会で道を歩く時は、昔から人間のマスクをかぶった豺狼の餌食、犠牲になったという多くの経験があり、それと引き換えた智恵が根強く残っている。野次馬にはなるが、手を伸ばして助けた時には、大変な犠牲を払わされるという
悪い点を治すにはどうしたらよいだろうか。
 女児は掃除のおばさんが見つけて助けようとしたが、病院で死亡した。きっと他所から出稼ぎにきた農婦だろうが、魯迅の言う、社会生活を始めたころの感情をそのまま保っている田舎で育った純朴な人であろう。
   2012/02/22訳

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