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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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範愛農を哭す

1912年 
範愛農を哭す
 酒を把(と)り、天下を論ず、
 君は酒にそれほど強くは無かった。
 高い天空を巡りて銘酊し、
 微(すこ)し酔って自ら沈渝(沈む)す。
 幽谷無窮の夜、新宮は春。
 古き朋は雲の如く散じ尽くし、
 余も亦軽き塵に等し。

自嘲
 運は華蓋に交わるに、何を求めんと欲す。
 未だ翻身せぬに、頭をぶつける。
 破帽で顔を遮り、賑やかな市を過ぎ、
   漏船に酒を載せて中流に浮ぶ。
 眉を横たえ、冷やかに対す千夫の指、
   首を俯(ふ)して甘んじてなる孺子の牛。
  小楼に身をひそめて、一統を成し、
  冬夏春秋、かまうものか。

訳者雑感:
「集外集」にこの詩を見つけて、(他にも日本人へ送った詩もあるが)
微力ながら、日本語にしてみた。
 最初は北京の魯迅から「今に北京に来いと連絡が来るんだ…、と紹興の勤めていた学校から追い出されて、強くもない酒でうさを紛らし、尿意を催し舟の後部かどこかで起ちあがって、蘆の生えている浅い川に落ちて死んでしまった、との便りを聞いての作だという。もう2首ある。
 2番目の自嘲は1968年の文化大革命のころ、中国のいたるところにこの標識が有ったので訳して見た。標識は2行だけで、
「眉を横たえ、冷やかに対す千夫の指、
首を俯(ふ)して甘んじてなる孺子の牛」
これが毛主席の座右の銘だとか、案内してくれた中国の青年が私に語ってくれた声が今も残る。魯迅がその当時、香港か日本のどこかでまだ文筆活動をしていたら、或いは上海にいたら、一体どうしただろうか?私の許可なくそれを標識にしないでくれと言っただろう。
    2015/05/08記

 
 

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