魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
公汗
連日の猛暑が20日近く、上海の新聞に連日のように川で水浴中に溺死の記事が載る。これは水郷ではめったにないことだ。
水郷は川が多く、水に対する知識も多く、泳げる人も多い。泳げぬ者は軽々に川に入らぬ。この水泳の要領は、俗語に「水性を知る」という。
「水性を知る」を(論敵が魯迅に与えた呼称である:訳者)「買弁」の口語で詳解すると、
1.火が人を焼死させること、水もまた人を溺死させることを知るが、水は柔和に見えるから、近づきやすく、その罠にはまりやすい。
2.水が人を溺死させるが、人を水に浮かばせることもできるから、今その操縦法を講じて、水が人を浮かび上がらせる面を利用する。
3.それで、その操縦法を学び、習熟すれば「水性を知る」ことは完全になる。
しかし都会の人は、浮かべないだけでなく、水が人を溺死させることをすっかり忘れたようだ。平時に何の準備もせず、水に入る時にも、予め水深を測りもせず、暑くてたまらぬ時、服を脱いで跳び込み、不幸にして深い所だと即死ぬのは当然だ。しかも助けようとする人は、都会では田舎より少ないように感じる。
都会人を助けるのは難しいことで、救助する人は固より「水性を知る」べきだが、助けられる人もそれなりに水性を知っていなければならぬからだ。力を抜いて、救助者に自分の下あごを託し、浅い所へ引っぱって行ってもらうこと。性急に救助者の体に這い上がろうとすると、救助者がそれほど上手くないと、自分も沈んでしまうしかない。
従って、川に入る時、先に水泳を学ぶ時間を作るのが大切で、何も公園のプールに行く必要はなく、岸の近くでやればよい。但し玄人の指導を受けること。そして色々な事情で、水泳を学べぬ人は、竹竿で水深を測り、浅い所だけにする:一番安全なのは水を掬って、川辺で浴びること。一番重要なことは、泳げない人は溺死する危険があることをしっかり認識し、覚えて置くこと。
今さらこんな常識を宣伝せよと主張するのは、発狂したようだし、或いは「花辺」の為に(銀貨の為:出版社)のようにみえるが、事実は断然そうではないことを証明している。多くの事は進歩的評論家に気を使って、こうしたことに目をつぶり、大言壮語ばかりしていてはダメである。 7月17日
訳者雑感:魯迅は身辺に起こったことを新聞の記事から丹念に拾っている。
上海に来た人々が、魯迅の故郷のような「水郷」からではなく、川の少ない内陸から来て、泳げぬ人が猛暑の7月に川で水浴中に溺死が多発したことについて、「常識」としての水の性質を説明・宣伝している。発狂した訳でもなく、これで「銀貨」を貰う為でもない。大言壮語の論文より、身近な人命に係ることを取り上げたのだろう。
2013/05/22記
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