魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
詩人周恩来 (1)
1917年天津南開学校にて
筆者1980年天津駐在時、周恩来記念館で購入せる絵ハガキより。
昨年、本ブログの紀行文で「雨中嵐山」という彼の詩を取り上げた。
魯迅の「重訳を論ず」の訳者雑感で、彼がドイツ語から沢山の重訳をし、本人もドイツに留学することを計画していたことに触れ、周恩来も日本留学で官費の支給を受けられる大学受験に失敗し、故郷天津に戻った後、雑誌などに詩を投稿していたことを目にしたことがあった。
今回、「寥天(ひろき天)」と題する周恩来若き日の詩を日本語に訳して1979年の周恩来夫人鄧さんの来日に間に合わすべく、林芳さんが出した本を図書館で借りることができたので、そこに日夜浮かぶの意訳を付して一部を紹介したいと思う。
彼は東京で生活していながら、京都の嵐山に2回、円山公園に4回訪れているということが、彼の詩から分かる。
底本は周氏歿後、北京大学図書館編として「周総理詩十八首―解釈匯編」で出版された。
四人組とか所謂文化大革命のころには、とても出版できなかったようだ。
1.最初に京都円山公園での「遊日本京都円山公園」
(1919年4月5日作、原詩は天津で発行された「覚悟」創刊号に寄稿)
満園桜花燦爛:
灯光四照:
人声嘈雑。
小池辺楊柳依依、
孤単単站着一個女子、
桜花楊柳、哪個可愛?
冷清清不言不語、
可没有人来問他。
<訳詩>
円山の桜は燦爛と咲いて:
灯光に映える:
人々のはしゃぐ声がさわがしい。
小池のほとり、柳の枝はなよなよと揺れ、
娘がひとり連れも無くそこにたたずむ、
桜と柳、いずれを愛ずるや?
もの悲しげになにも語らぬ、
ああ誰も彼女に声かける者なし。
2013/05/14記
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