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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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詩人周恩来 (2)


1918年日本にて
(2)

 四次遊円山公園 

 

 四次来遊、

 満山満谷的「落英繽紛」:

 樹上只剰得青松与緑葉、

 更何処尋那「淡紅嬌嫩」的「桜」!

 灯火熄、遊人漸漸稀。

 我九天西京炎涼飽看、

 想人世成敗繁枯、都是客観的現象、

 何曾開芳草春花、自然的美、無碍着的心。

 

<訳詩>

 四回円山公園に遊ぶ

 

 来たのは四度目、

 山も谷も「落花繽紛(ひんぷん)」と散りしき、

 樹上は只、青松と緑葉を余すのみ、

 今またどこに「淡紅でたおやかな」「桜」を尋ねんとするか!

 灯火消え、遊客はようやく稀になった。

 私は京都に九日間いて、自然の変化するを見た、

 想うに、人の世の成敗繁枯はすべて客観的現象であり、

 何ぞまた芳草春花、自然の美に、碍されることなき心を開かざらんや。

 

訳者雑感:彼は天津に帰国する途次、友人の住む京都に9日滞在して、4回円山公園に来たのだろうか?それとも以前にも来たことが有ったかもしれない。9日間で4回来たとすれば、余ほど気にいっていたのだろう。(1)の詩は円山の桜が燦爛と咲いていたころのあの円山の池の畔の情景を191945日に詠んでおり、(2)は落花が山と谷全体に散り敷いていた頃のことを49日に作ったことが分かる。

林芳さんの本には、周恩来首相がこの詩を作った50年後のピンポン外交で、愛工大の後藤鉀二さんに「私が日本を離れる時、丁度桜の季節でした。船で琵琶湖へ下りましたが、実に美しかった」と語っていることが紹介されている。

船で琵琶湖に下るというのは、例のインクラインの両側の桜と山科の疎水の両岸に美しい桜が咲いていたのだろう。国交回復に精魂こめた周恩来首相は、体が許せば、是非円山に5度目の観桜を果たしたかったことだろう。それがこんなことになってしまった。
1919年五四運動時

      2013/05/14

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