魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
(5)春日偶成
これは1914年、周恩来が16才の時、天津の南開学校時代の作品で、ここにも桜が出て来るが、当時日本も租界を有し、多くの日本人が住んでいたから、彼らが植えたものか。
極目青郊外、
煙霾布正濃。
中原方逐鹿、
博浪踵相踪。
桜花紅陌上、
柳葉緑池辺。
燕子声声里、
想思又一年。
<訳>
目を極めれば、青い郊外の彼方に、
(戦火の)黒煙あがるが見える。
中原(中国の中心)、まさに鹿を逐う、
博浪(ロクでもない輩)が踵を接して次々と。
桜花の紅が路傍に咲き、
柳葉の緑は池の辺に映える。
燕のさえずりを聞きながら、
又想い思うこの一年。
訳者雑感:
これも1914年に発行された雑誌に残っていたものの由。
多感な16才の周恩来が天津で目にし、耳にしたのは、孫文が亡命し、袁世凱が正式大総統になったのが13年の10月。国民党は翌11月に解散された。15年には日本の21カ条へと続く情勢だった。
今PM2.5で問題にされている漢字は霾(バイ)で呼吸を困難にするほどの煤煙だ。
彼が天津を拠点とする袁世凱たちが、孫文や軍閥を相手に、辛亥革命後の中華民国を自分のものにしようと、自分が皇帝になろうとしていた時代だ。
博浪とは時流に乗って、天下を取ろうとする者の謂いか。
そんな物騒な世情だが、彼は桜と柳を路傍と池の辺に見、燕がまたやって来たと……。
6)無題 1917年9月作
大江歌罷掉頭東、
邃密郡科済世窮;
面壁十年図破壁、
難酬蹈海亦英雄。
<訳>
大江の歌罷(おわりて)、頭を東にふりむけ、
科学を究めて、窮せる世を救済せんとし;
面壁十年、壁を破らんとせしも、
酬われ難くして、海に投ずるも亦英雄なり。
上の写真は1919年天津に戻り、五四運動のころの周恩来
林さんの解説によると、周恩来は1917年9月渡日。この詩は投身自殺した陳天華の大義に感じての由。
2013/05/22記
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