魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
7)次皞如夫子傷時事原韻 1916年11月原載<敬業>第5号
茫茫大陸起風雲、
挙国昏沈豈足云、
最足傷心秋又到、
虫声即即不堪聞。(即の左に口:鳴き声)
<訳>
皞如夫子の時事を傷む詩の原韻に和して、
茫々とした大陸に、風雲巻き起き、
国中が混沌だと、あに言うに足らんや、
最も心痛むは、秋の又到りしこと、
虫の鳴く音も聞くに堪えない。
本文の注に依れば、これは皞如さんの「時事を傷む」という詩の韻に和したもの。
張皞如さんの詩の大意は、張勲の復辟に憤って作ったもので、太平の希望が雲煙と消え、国を誤った者どものことを何と言ってよいか。毎日新聞を読むことが恐ろしい、と。
虫の声というのは、チーチーと張勲への抵抗を言うだけで…。
行間には、チ―チ―と鳴くだけでは何もならない、行動に移さなければ…、と。
2013/05/23記
8)李愚如を送別し、併せ述弟へ示す。
(これは長い詩というか、手紙のようなもので、天津河北女子師範の学生活動家の
李錫志の渡仏を天津地方検察庁看守所から、民国9年6月8日に作ったもので、
述弟は周恩来の級友:長いので漢字の原詩は省略し、訳詩のみとする)
三カ月会わなかった間に、
すごく進歩したね、
だいぶ前に、念強君が来て、
君がイギリスへ行く予定だと言った。
私は、また口だけだと思っていた。
その後、丹文が又来て言った。
君がフランスへ行こうとしている、と。
私はまた口だけだと思っていた。
まさか、その数日後、
君が僕に別れを告げに来て、
僕に直接そう言った;
君は行けるんだね、
君は本当に行くんだね。
述弟が手紙で知らせてくれた、
君から彼への手紙で、
「……私は人間なのだから、
働いて自分で食べて行ける、
何があろうとも、
異郷で飢え死になぞしない!
分かってね!
幸福は自分でつかむもの:
切り株のそばで(兎を)待っていても、
一日の……を得ることはできないわ」
君は別れの時にも、私に言った:
「……四等車の切符を買って、
三等船室に乗り、……
…働きながら勉強するの、
一年勉強して、
労働と勉強で自力で生きて、
…応用理化学を研究するの:
私の志は、
私たち女性の生計独立をひらき、
精神的独立の自由な道を開くこと:
私たち女性の人権天賦をまもるの。……」
君の精神
君の決心、
君の勇敢、
勃々たる向上心を思う。
すべては君の奮闘と決意にかかっている。
国を出て、
東海から南海、紅海、地中海へと進む。
次から次へと逆巻き奔騰する荒波が、
君をかの自由のふるさと、フランスの海岸に送り届ける、
そこに着いたら、
工具をにぎり、
君は労働の汗を出し:
輝かしい成績を挙げる。
君は才智を磨き、
君の天真爛漫さを保て。
他日帰国したら、
自由のタネを植え、
独立の歌をうたえ。
女権を争い、
平等を求め、
社会的実験を推し進め、
古い倫理をくつがえすのだ、
世界は君のその心頭の一念にかかっている。
南京を過ぎると、
述弟に会えるさ:
下関駅で家族のことを思い、
黄浦江畔で、
しばしの別れはつらいけれど、
同じ世界にいるのだから、
離れ離れなどと嘆くことは無い。
ましてや、情念は綿々とし、
「ハスは切れても糸で繋がっている」
二ヶ月後に、
新大陸に述弟の足跡が見られるだろうし、
大西洋の荒波も、
君たちの書翰を断つことはできぬ:
二つの無線電信塔は、
東西の両岸に高々と聳え、
天空をかけて気を通じることができる。
三ヶ月後、
マルセーユの海岸で、
パリの郊外で、
私も或いは君に会えるかもしれぬ。
道中気をつけて!
君は本当に行くんだ。
行けるようになったんだ。
三ヶ月君に会えなかったが、
こんなに早く進歩したんだね。
―――
九、六、八、午後、恩来作
於天津地方検察庁看守所。
(追信)
愚如:
君の去るのを見送ることができない。詩を書いて君を送ろう!
今日午後四時から始めて、六時半にやっとできた。
この詩は私の詩集の中では「上の中」だと思う。どうだろう?
南京に着いたら、述庵に見せてほしい!
船がまだ着いてないなら、君の「天賦」で、僕の詩に和してみないか?
さらば、お別れだ!
三ヶ月後、或いは君に会えるかもしれない、そう願う。
天安(人名)も君に一首送るよ!
周恩来、九、六、八、
注では、1920年11月に周恩来は陶念強とともに渡仏し、「勤工便学」を始めた。
2013/05/24記
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