魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
9) 生別死離(生き別れと死別)
1922年作、1923年に天津の<新民意報・覚郵副刊>に掲載された。
注によると、21年1月17日、「覚悟社」同志の黄愛が長沙の紡績工場のスト指導で、反動派に殺害されたことに対して、周恩来は友人宛に手紙を書いて、「壮烈にして悲痛」と彼へのはなむけの詩を送った。これも長いので、<訳詩>のみとする。
壮烈な死、
姑息な生。
生をむさぼり、死を怖れるは、
死を重んじ、生を軽んじるに如かず!
生別死離は、
最も堪えがたきこと。
別れれば、腸を牽かれ、はらわたを引き裂かれる思いだが;
死しても、毫(ごう)も軽重を感じないなら、
人を感動させる永別に如かず!
耕運せずして、
どうして収穫があろうか?
革命のタネを植えずして、
共産の花開くを待つとは!
赤色の旗の飛揚を夢想しつつ、
鮮血でそを染めようともしない、
天下いずこに、そんなうまい話がありえよう?
坐って談じるは、
立ちあがって行動するに如かず!
生を貪る人も、
別離を悲しみ傷み、
死生に随うが、
只彼らは、この人を感動させる永別を理解できない。
永別が人を感動させることを。
人に希望を託すのはやめよう!
生か死かの路は、
各人の目の前にある、
光明に向って飛ぶのは、
すべて君次第!
その黒い鉄の鋤をふりあげ、
あのまだ耕運されていない土地を拓くのだ:
タネをこの世に散じ、
鮮血を地上に滴(したた)らそう。
別れは人の常、
さらには永別もある!
生死の奥義を極め、
生の為に力をつくし、
死の為にさらに力をつくせば、
それで永別になるとても、何を悲しまん?
2013/05/25記
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
P R