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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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五霞町へ


五霞町へ

1.
 今年の節分は4月のような陽気で、利根川の江上の道を散歩するには絶好だと、これまで気になっていた茨城県の五霞町にでかけた。利根川より南にあるが茨城県に属している。かつてはこの町の南に利根川が流れていたのだろうか。
 北千住から東武日光線の南栗橋下車、地図をたよりに権現堂川(行幸湖)に向った。この川は、利根川が渡良瀬川と合流した所から、南に下って中川か江戸川の方面に流れていたころの川筋で、今は利根川の巨大な堤防と水門で遮られ、必要な水量だけを取り込んでいるだけで、名前もかっこつきで(行幸湖)とされているように、今は水流がなくカモたちが悠然と浮かんでいる。後で調べたら、明治9年に明治天皇が東北巡幸時、岩倉具視・木戸孝允らと行幸したことにちなんでだいぶ後になってから名づけられたという。
 明治天皇は東京遷都後、北海道から九州まで全国を巡幸しているが、ここを行幸湖としたのはどうしてだろう。維新後9年、北関東からの米や色々な物資を利根川・江戸川の水運を使って、首都東京まで運んでいたから、鉄道が敷設されるまでは大変重要な要衝であった。天皇一行は陸路で北上したが、彼の巡幸のための物資その他は舟でこの辺りまで運ばれてきて、それをこの辺りで陸揚げしたので、立ち寄ったものだろうか。
彼は西南戦争のだいぶ前に西郷隆盛と西日本を蒸気船で訪れ、大阪から京都伏見までやはり森の石松で有名な川舟で移動している。舟で内陸河川を移動するのは陸路より安全で疲労も少なかったからだろう。東海道の名古屋の熱田の宮から桑名までは木曽三川に橋がないから船で渡っているし、草津から大津へも舟で渡っている。西風が吹く時はやはり歩いて瀬田に南下した方が確実だからというので「急がば回れ」というのは草津で生まれたことわざだそうだ。ロシアのニコライ皇太子も舟で移動していれば、大津事件に遭遇しなかったかもしれない。

2.
 閑話休題。その天皇行幸の地が明治20年代に大変な事になる。
 渡良瀬川上流の足尾銅山から鉱毒が流出し、その鉱毒が首都周辺に大変な影響を及ぼすという問題が発生した。それを防ぐため、利根川の水を赤堀川から常陸川経由銚子の方に流すこととなったというのが、小出博氏の「利根川と淀川」(中公新書)にある。
足尾の鉱山は富国強兵政策の遂行に重要な役割を果たすので、これを止めるわけにはゆかず、遊水地などで鉱毒を薄めるなどの措置をとったりしたが、周辺の樹木はすべて枯れてしまい、裸となった山から大量の土砂が流出し、各地で天井川となり洪水で土砂が田畑を埋めてしまった、ということだ。赤堀川というのが今五霞町の北を流れる利根川だ。関東ローム層の土を掘って作ったので、その色が赤かったからの名前だという。
しかし、それと同時に利根川水系から江戸東京への直接の舟運水系は保持せねばならぬ。
鉄道がくまなく敷設されるまでは、利根川・江戸川の舟運が経済活動に及ぼす影響は大変重大であったから、舟が常時通交できるように、五霞町一帯を流れる川筋を一本にまとめて水深を保つことが優先され、洪水時に利根川とその支流が氾濫して、農業に甚大な被害が及んでもそれは自然災害・天災としてやむないこととして受け止められていた。この舟運のための川が権現堂川であり、後に行幸湖といわれた水路である。
 これを今日の視点に立って見ると、東日本大震災での道路・鉄道が寸断されて所謂ライフラインが破壊されると、その復旧を最優先させ、津波で広大な住宅・農地が甚大な被害を蒙っても、仕方ないと思うしかないのと似ていよう。

3.
 その後昭和3年に完全に利根川からの流れは止められ、水門で必要な量だけを取水することとなり、この権現堂川という北関東の水を東京湾に注ぎつつ、大量の土砂を江戸川河口に運んで、沖積平野を形成してきた川は、その機能を失くし、湖となった。
 この湖の周辺には利根川の水を利用する工業団地が造成され、キューピーやヤクルト、キッコーマンなどの工場が目の前に現れた。この五霞町というのは利根川と権現堂川の間の広大な中州というか三角州のように周囲を川で囲まれた土地である。
以前は五霞沼とも呼ばれていたのが、利根川が運んできた大量の土砂で陸地化したもので、
丘陵も無いまっ平らな地形である。
利根川の水門の方に歩いてゆくと、湖のような川の断面図があり、満水時には川底の水深が8.5メートルもあるから、注意する様に警告している。すり鉢型の一番底の所は、かつて利根川の強い流れがこの川底を削り取って流れていたのだろうと思われる。舟運のための水深を保持してきたことがよく分かる。その後水門によって利根川の流れが遮られ、土砂も流入しなくなって、昔のままの川底が残ったのであろう。権現堂川という名前の由来も知りたくなった。徳川家康にゆかりがあるのだろうか?とも思ったが、どうやら熊野権現などがあったからそう命名されたそうだ。ということはこの川の西側は古くからの集落があったのだろう。権現堂というのはやはり平地から石段を上った所に建てられたのだろう。

4.

 そんなことを考えながら歩いていたら、利根川の土手から母子二人連れが下りてきた。
4歳くらいの子はペダルの無い子供用の自転車に乗って、緩やかな草の斜面を下りてくる。
堤防の斜面というのは、都会地では土地が狭いために急角度の斜面だが、利根川のこの辺りは、もともと自然堤防といわれる利根川が運んできた土砂が両岸に緩やかな丘を形成し、その幅は400メートルくらい、高さは数メートルで、河床は200メートル前後で、両岸の土手の端から端まで合計1,000メートル以上ある。

 だが、一旦洪水がこの地に押し寄せると、上流からの土砂が一気に流れ込み、堤防決壊がしばしば起こった。大地震の後に洪水が押し寄せて、ひび割れした堤防を決壊させたら大変なことになるなと感じていたら、目の前の河川敷に次から次へと下流から土砂を載せたダンプがやってくる。コンボイの如くで、河川敷に二車線のアスファルト道路が長く続いており、その先には、色とりどりのシャベルカーが、招き猫が腕を上下させるようにして、河原の土砂を2-3メートル掘り下げて山にした所からダンプに載せている。
 私が土手に上がったところは、丁度東北新幹線の鉄橋がかかり、そこから北は国道4号と東北線が伸びている。鉄道を引いた頃は、蒸気機関車の牽引力の限界にあわせ、できるだけ傾斜の緩やかな路線を選ばねばならぬので、河川が削った比較的なだらかな所を通すのは自然の道理であった。それで利根川が削って来た大地を北上するのは当然で、下流側には、4号線のバイパスも通っている。土手に海から180KMとの表示がある。そこから5KMほど堤防の上を歩いた。途中、野田から運動のため自転車でやって来た人と出会い、彼の話しに依れば、このダンプはこの先数キロに亘って、河川敷に堆積した土砂を上流に運び、そこの堤防を丁度富士山のすそ野のようななだらかな広大な斜面にして、どんな大洪水にも地震にも耐えられるようにするのだとのことだ。確かに東北線・4号線・新幹線・4号線バイパスの集中しているこの一帯のどこかが決壊したら、4本の幹線は麻痺してしまうだろう。それでこの一帯の堤防を強固にしているのは分かるが、その下流にある野田とかはどうなるのだろう。

 私が子供の頃に聞いた木曽三川の堤防を徳川家の尾張側は高くして、美濃側にあふれさせたと言う話しとか、中国では元々北京・天津方面に流れていた黄河がいつの頃からか、南の山東省の方に流れるようになったのも、或いは土砂の堆積が極限に達して、自然に水が低い方に流れたこともあり得ようが人工的な堤防とかによるものだろう。
いずれにせよ、人口の多い都会への洪水防止が最優先であること、そして鉄道ができるまでは、物資輸送のための舟運が優先されてきた為、農地に洪水をあふれさせるのはやむを得ぬと考えられてきたのだ。

 5KM以上歩いて、次から次に土砂を運ぶダンプを眺めながら、この作業は利根川が大量の土砂を運んで来て、人間がそれを自然の川の流力によって、海まで運べるだけの水量を喪失させてしまった以上、永遠に続けなければならぬ作業だなと思った。積んでも、積んでも転げ落とされる賽の河原の石のように。

       2014/02/08日夜浮かぶ記

 写真は五霞町の堤防上から見た河川敷の土砂を運ぶ作業現場。河川敷に送電線があり、その幅は千メートル前後かと思われる。平時の川幅は狭いが、大水だと大量の土砂が河川敷に堆積する。対岸は写真ではよく見えぬが、こちら側と同じ作業をしていた。まさか埼玉首都圏側だけ高くするというのは、現代では通用しまい。     2014/02/03撮影

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