魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
1935年
葉紫作「豊収」序
作者が創作すると、その中の事情に対して、必ず自分で体験することも無いが、やはり一番良いのは自ら経験することだ。難詰する人は問う:それでは殺人を描くには自分で人を殺すのが最も良く、妓女を描くには自分で淫売に行かねばならぬか?答えは:否だ。私がいう経歴するというのは、所遇、所見、所聞であって、必ずしも所作(行った所)ではないが、所作は当然ながら内面も含むことができる。天才たちのどんな大きな物語も、結局やはり無から創造することはできない。神や鬼(幽霊)を描くには、対証はないから、本来もっぱら神の思いに基づき、所謂「天馬空を行く」のように描けるが、描きだしてみると、三つ目とか長い首などにすぎず、すなわちいつも人体で目にするもので、目を一つ増やし、首を2-3尺伸ばすというのみ。こんなことが何の本領、どんな創造だと言えよう?
地球はただ一つの世界だが、実際はいろいろで、人々の空想の陰陽両世界より、とてもすごいものである。この一つの世界の中で、軽蔑し、憎悪し、圧迫し、恐怖し、他の世界の人を殺すが、彼らはそれを知らないから、描くことができないので、自ら「第3種人」と称し、「芸術の為の芸術」として描けたとしても、せいぜい三つ目や長首にすぎぬ。
「もっと光を」?(ゲーテの言葉を題名にした杜衡の長編小説1934年)人を騙すな!諸君の目はどこについているのか?
偉大な文学は永遠だ、と多くの学者はいう。確かに永遠だ。が、私はボッカチオ、ユーゴより、チェホフ、ゴーリキーの本を読む。それは、より新しく、我々の世界により近いからだ。中国もまだ「三国志演義」や「水滸伝」が盛行だが、これは社会にまだ三国や水滸の気があるからだ。「儒林外史」の作者の手法が、羅貫中より下だということがあろうか?
しかし、留学生がこの世にあふれだして以来、こうした本は永遠でも偉大でもなくなった。偉大なものも人に理解してもらわなければならない。
ここに載せた6つの短編はすべて泰平世界の奇聞だが、今やごく普通のことで、ごく普通だから我々には密接で大きな関係がある。作者は青年だが、彼の経歴は泰平な世の中の順民としてこの世紀の間の経歴に抵触し、転輾とした生活の中で、彼に「芸術の為の芸術」を要求するが、彼はそれができない。ただ、我々の中にはこのような芸術が理解できる人がいて、誰が何と言おうとも心配することはない。
これが即ち偉大な文学だろうか?否。我々自身もそんなことは言わない。「中国にはなぜ偉大な文学が生まれないのか?」多くの指導者の教訓を聞いたが、彼らは独善的で、一面で作者と作品を痛めつけて来たのを忘れている。「第3種人」は我々に教訓を垂れた。ギリシャ神話に、何とか言う悪鬼がいて、人を捕えてはベッドに寝かせ、短いと彼を引きのばし、長すぎると短く切る、と。左翼批評家はまさにこのベッドで、彼らに何も書けなくさせてしまった。今このベッドが本当に置かれたが、なんと「第3種人」だけが長くも短くも無く、ちょうどいい具合に寝られるようだ。天に唾をはくと自分の目に落ちるが、世の中はまさにこうした事が起こっているのだ。
但し、我々にはまだ物を書ける作家がおり、作品も痛めつけられながらも堅実さを増している。大勢の青年読者の支持のみならず、「電網外」が「文学新地」に「王伯伯」の題で発表後、世界の読者を得た。(出版社注:ロシア語に訳されて紹介された)これはまさしく作者が既に目下の任務を果たし、また圧迫者への回答だ:文学は戦闘である!
私は作者の更に多くの良い作品が読めるようになることを希望する。
1935年1月16日 魯迅 上海にて記す。
訳者雑感:中国にはなぜ偉大な文学が生まれないのか?人の魂を揺さぶるような作品が数えるほどしかない。魯迅の幾つかの作品は世界各国に翻訳され、読み継がれて来た。しかし本国では教科書から消え、金庸氏の「作品」(武侠小説とか時代劇的大衆小説)の方が人気もあり、よく売れている。ノーベル賞作家の作品も読まれているが、人の魂に触れるような作品かどうなのか、まだ定まっていない。そもそも「小説」という名を与えたように、所謂文学としての「小説」を精魂こめて書くと言う伝統が短く、戯作とか劇本という類の扱いであって、読者と観客がはらはら・どきどきするような「章回小説」じたてのものが圧倒的に多くて、偉大な作品が生まれてこなかったのだろうか?
2014/02/02記
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