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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 随感録 46 (Puck)


 民国8年正月、友人の家で上海某紙の日曜増刊の風刺画を見たのが、そもそもの始まりだった。幾つかのコマに画かれていて、大意は漢文廃止を主張する人間を罵って、外国の医者に犬の心臓と入れ替えてもらったもので、ローマ字を読む時は、すべて外国の犬が鳴いているのだという。だが、コマの上部に、二つの枠付きの大きな字で「溌克」(Puck、英国の伝説のいたずらする小妖精)とあり、これがこの増刊号の名前らしい。いずれにせよ、中国語のようには見られぬ。それでこの美術家が哀れに思え、彼は (個人的な人身攻撃はさておき)、
外国画を学び、外国語を罵りながら、それを載せる新聞増刊の名前は、やはり外国語である。風刺画は本来、社会の久しく治らない病をチクリと刺すもので、今この針を刺す人の目は、一尺四方の紙に明確なものが見受けられず、どうやって正確な方向を指して社会をリードして行けようか。
 ここのところ、また「溌克」を見たら、新文芸の提唱者を罵っている。大旨は凡そ崇拝するのは全て外国の偶像だ、とけなしている。それでいよいよこの美術家が哀れになった。
彼は画を学び「溌克」を画いているのに、外国の画も文芸の一つということを分かっていない。彼は自分の本業の方は、暫く黒い壺に覆いをしたままで、はっきりとした認識を持たずに、果たしてどのようにして優美な創作をし、社会に貢献できようか。
 だが、「外国の偶像」については彼のおかげで、いろいろ考えることがあった。
 偶像は内外を問わず確かにどこにもいる。ただ、外国には偶像を破壊する人間が多い。
その結果、宗教改革、フランス革命に成功した。古い像を破壊すればする程、
人類は進歩する。それゆえ、今日(中立宣言をしていた)ベルギーの(対独)義戦ということが実現し、
人類に光明を与えた。
 ダーウイン、イプセン、トルストイ、ニーチェ等は近来の偶像破壊の大人物である。
これら一流の偶像破壊者たちには「溌克」はまったく無用である。彼らにはみな確固たる
不抜な自信があり、偶像保護者の嘲罵には一切動じない。
 イプセンは言う。
 「私は君たちに告げよう。この世で最も強壮な人間は、孤立している人だ」(「国民の敵」)
 但し、偶像保護者の追従に対しても意に介せず、ニーチェは言う。
 「彼らは称賛の言辞で君らを取り囲んで、ぶんぶん叫ぶ。彼らの称賛はじつに厚かましい。彼らは君の皮膚と君の血に接近せんとする」(「ツアラストラはこう語った第2巻市場の蝿」)
 かくしてこそ創作者だ。吾輩はたとえ才力及ばず創作できぬとしても、学ぶべきである。
たとえ崇拝するものが新しい偶像だとしても、中国の陳腐で古びたものよりずっと良い。
 孔丘(孔子の名)や関羽を崇拝するより、ダーウイン、イプセンを崇拝した方がずっとましだ。
瘟将軍五道神(疫病災害をもたらす神)の犠牲になるのは、Apolloの犠牲になるには如かず。
                 2010/09/21訳
 

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随感録 43 (秋の取り入れ)


 進歩的美術家、これが私の中国美術界への要望である。美術家は当然ながら、精熟した技巧を身に付けなければならないが、その上に進歩的な思想と高尚な人格をもたねばならない。彼の作品は、表面上は一枚の絵、一個の彫像だが、その実、彼の思想と人格の表れである。我々が喜んで観賞するだけでなく、感動し、精神的影響を与えることができる。
 我々の要求する美術家は、道を示せる先覚者であって、(御用団体的)「公民団」の首領のようであってはこまる。我々の求める美術作品は中国民族の知能の最高峰の標本を示すもので、水平線以下の平均点的なものではない。
 最近、上海某紙の増刊号「溌克」(Puck英国の伝説中のいたずら好きの小妖精の名)の
数枚の風刺画を見た。画法は西洋の模倣で、私はなんかおかしいと感じた。なぜものの考え方までこんなに頑固で、人格もこんなに卑劣で、まだ学校に上がる前のこどもが、白壁に「あいつはおいらのせがれ(相手を見下すことば)」としか描けないのと同レベルだ。
 外国の物は中国に来ると、みな黒い染料壺に入れられ、元の色を消されてしまうようだ。
美術もその一つで、骨格を学んでも、均整のとれていない裸体画は猥褻画になり、明暗をはっきりできない静物画は、看板にしかならない。毛と皮は新調しても、心は旧のままだと、結果はこうなる。風刺画が人身攻撃の道具となるに至っては、もう怪しむまでもない。
 風刺画と言えば、米国の画家L.D.Bradly(1853-1917)を思い出さずにはいられない。彼は風刺画を専らとし、欧洲大戦について特に有名で、惜しくも一昨年亡くなった。私は彼の
「秋 収穫(とりいれ)の月」(The harvest moon)を見た。上部には髑髏のような月が
荒れた畑を照らす。畑には一列一列と兵隊の屍が並ぶ。おお、これこそ真に進歩的美術家の風刺画だ。中国にもきっと将来このような風刺画家が現れることを望む。
           2010/09/21訳
訳者雑感:中国語は罵っているように響くとは、いろんな人が言っている。これは単に口からだけでなく、落書きにもあるようだ。学校に上がる前のこどもすら、字を書き間違えながらも罵るのを覚える。白壁に描いた字の「せがれ」は「而子」と間違えている。
簡略字の無かった魯迅の時代の「児子Erzi」という漢字は就学前の子には難しくて、同じ発音の而子で代用しているのか、間違って覚えているのかもしれない。日本でも「誰誰
ちゃんのバカとか、口で面と向かって言えないときに、落書きするのを見かける。
 中国の壁にある落書き的警告で、直訳すると「ラバはここで小便する」とあり、中国の友人に
訊いたら、ラバは子のできない動物だろう。それが中国人にとっての最大の罵りさ、と。
英米の風刺と、中国の風刺は出発点からいささか異なるようだ。発想の違いだろうか。
 

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 随感録 42 (土人)


 友人の話では、杭州の英国教会の医者が、医書の序に中国人を土人と呼んでいるそうだ。これを聞いたとき、私はとても気分を害したが、つらつら考えてみるに、今は忍受するほかないと思い始めた。土人という言葉は、本来その地に生まれた人を指し、なんら悪意はなかった。後になってその意味が多くは、野蛮民族を指すことになり、新たな意味を持ち出して野蛮人の代名詞になった。
 彼らがこれで中国人を指すのは侮辱の意味を免れない。だが私は今、この名を受け入れざる以外に方法は無い。この是非は事実に基づくことで、口頭での争いで決着しない。中国社会に食人、略奪、惨殺、人身売買、生殖器崇拝、心霊学、一夫多妻など凡そ所謂国粋なるものは、一つとして蛮人文化に合致せぬものは無い。辮髪をたらし、アヘンを吸うのは、まさしく土人の奇怪な編髪と、
インド麻(麻酔にも使用される)を食うのと同じだ。纏足に至っては、土人の装飾法の中でも第一等の新発明だ。彼らは肉体に種々の装飾を施し、耳朶に穴を開け、栓を嵌める。下唇に大きな孔をあけ、獣骨を差し、鳥のくちばしのようだ。顔には蘭の花を彫り、背に燕の刺青。女の胸にはたくさんの丸くて長いこぶをつける。しかし彼(女)らは歩けるし、仕事もできる。彼らは今一歩の寸前で、纏足ということにまでは、思い到らなかった。……世の中にこんなに
肉体を痛めつける女性を知らないし、こんな残酷なことを美とする男はいない。
まことに奇事、怪事也。
 自大と好古も土人の一特性である。英国人George Grey(1812-1898)はニュージーランド総督の頃、「多島海神話(ポリネシア)」を書き、序に著書の目的を記し、まったくの学術目的ではなく、大半は政治的手段だが、彼はNZの土人には、理を説くことは不可能だと書いている。彼らの神話の歴史の中から類似の事例を示して、酋長祭司たちに聞かせれば、うまくゆくという。
 例えば鉄道を敷く時、これがどれほど有益か口をすっぱく説明しても、決して聞く耳を持たない。もし神話に基づいて、某大仙人がかつて一輪車を推して虹の上を歩いた。いま彼にならって一本の道を造るといえば、ダメだとは言わなくなる。(原文は忘れたが、大意は以上の通り)
 中国の十三経二十五史は、まさに酋長祭司らが一心に崇奉する治国平天下の
譜で、向後、土人と交渉する「西哲」が、もしも一篇手作りすれば、我々の
「東学西漸(東方の学が、西方に漸進する)」の手助けになり、土人を喜ばせることになろう。
 しかし、その訳の序には何と書くべきかは、知らない。
        2010/09/20
訳者の読後感:英国人の土人という指摘を捕えて、纏足に象徴される中国の所謂国粋がいかに出鱈目か、を痛烈に指摘し一刻も早い纏足禁止を訴えている。
 

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随感録 41 (類猿人)

 匿名の手紙に「石ころでも数えていろ」(江蘇方言)という句があった。
才能が無いのなら、改革提唱あきらめて、石ころでも数えておるほうがましだ、と勧告するもの。
 それで本誌の通信欄に四川方言の「石炭を洗う」というのが載っていたのを思い出した。他省の方言にも似たのがたくさんあるだろう。このように人を自暴自棄にさせる格言を守る人が少なからずいることを危ぶむ。
 凡そ中国人が話す時、事を為す時、もし伝来の積習に少しでも抵触するなら、一度とんぼ返りをやって見せねばならない。そうすれば上手く行く。
そこでやっと立場を確保でき、更には丁重で熱くもてはやされる。
 そうしないと、異を唱えたという罪名を着せられ、もはや話をするのも許されず、或いは大逆を犯したとして、この世からはじき出される。こうした人は、以前は九族皆殺しにされ、隣家にも累が及んだものだ。だが、今日では、何通かの匿名の手紙(罵られる)だけで済むようになった。しかし意志の弱い人は、それだけで委縮して、知らぬまに「石ころを数える」方に入党してしまう。
 だから今の中国では社会的改革は一向に進まず、学術的にも何も発明されず、芸術的にも何の創作も無い。多くの人が継続して行う研究や、前人の後を受け継ぐ探検に至っては言うまでも無い。国人の事業は大抵、当世風にうまく経営するのに専念し、それ以外は全て冷笑に付している。
 が、冷笑する人は、改革に反対するが保守の能力は無い。即ち文字の面で言うと、口語はもとより歯牙にもかけないが、古文を書くこともできない。彼の学説に依れば、本来的には「石ころを数える」組に行くべきである。だが彼はそうしないで、たがおかしなことに冷笑するのみ。
 中国の人はたいていこんな風にして成功し、又こんな風に委縮腐敗し、老いて死んできた。
 私は人と猿は同類という学説に、大筋では何の疑義もない。が、太古の猿が何の努力もしないで人に変じ、今に至るも子孫を残し、猿回しを人に見せているのか理解できない。そのとき、一匹でも立ちあがって、人間の言葉を学ぼうとしなかったのか?それとも何匹かは学ぼうとしたが、猿の社会から新しい異見を出したとして攻撃され咬み殺されたのか。それでついに進化しなかったのだろうか?
 ニーチェのような超人は、余りにも渺茫としてつかみどころが無いが、世界に現有の人種だという事実からすると、将来はきっと更に高尚で円満な人類の出現を確信できる。その時には、類人猿の上に、「類猿人」という名が添えられるのではなかろうかと心配になる。
 だから我々がいつも畏れるのは、中国の青年がこの寒気のする状態から抜け出し、ひたすら向上にまい進し、自暴自棄者の話に耳を貸さぬことを願う。
仕事ができる人はそれをし、声を出せる人は声を出す。一分の熱で一分の光を発し、蛍の光と同様、真っ暗な中でも、わずかな光を出せば良い。松明を待つ必要はない。
 その後、もし松明が来ない時は、自分が只一つの光である。もし松明が来たり、太陽が出れば、我々は喜んでこれに心服し消え去ろう。何の不平も無い。そして更にはこの松明と太陽を賛美する。なぜならそれは私を含む人類を照らしてくれるから。
 私は中国の青年が、ただ上を向いて歩み、この冷笑する闇の矢に取りあわぬ
ことを願う。                                                          
 ニーチェは言う。「人間はまさに一筋の濁流だ。海はこの濁流を容れ、浄化す
ることができる」
 「おお、私は君たち超人に言う。これが正しく海だ。こここそが、君たちの
大きな侮蔑を容れられる」(「ツアラストラはこう語った」序言第3節)
 
 たとえ浅い池水に過ぎぬとも、大海に学ぶことはできる。
周りはみな水だから、相通ずる。
何粒かの石ころを暗がりから投げつけられても、何滴かの汚水を背後から
はねかけられても、気にするな!
 これは大きな侮蔑にもならない――大きな侮蔑は胆力がいるものだから。
        2010/09/20
 
訳者雑感:
魯迅の畏れている進化、改革を拒む中国人は、「類猿人」になりさがってしまう
ということが、読後に強く印象に残った。
 
 

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随感録 40 (愛情)


 終日家にいて、窓外の四角い黄色の空が見えるだけで、何の感慨も起きない。
手紙も数通来るが、「永らく御無沙汰…尊顔を拝したく存じ」の類。来客も数名あるが「今日は良い天気で」など祖伝の決まり文句のみ。手紙の文章も、話も口先だけで心はこもっておらず、見聞きすることも、なんら感じる処もない。
 その中で、知らない青年からの詩が私の興を呼び起こした。
 
    「愛情」
 私は哀れな中国人。愛情! 私はそれがなにかを知らない。
 私には父母がいる。私を教育し私にとても良くしてくれる。私も二人にとてもよくする。私には兄弟姉妹がいて、幼いころともによく遊び、大きくなってからも互いに切磋し、私にとてもよくしてくれ、私も彼らによくした。だが誰も愛してくれなかった。私も誰も愛したことは無かった。
 私は19歳。父母は私に妻を娶った。それから数年経ち、我々二人は仲睦まじくしている。しかしこの婚姻はすべてひとの勧めで、人が結びつけたもの。彼らのある日の戯言が、我々の百年の盟約となった。二匹の家畜が主人の命令を聞くように。「さあお前たち、仲好く一緒に暮せ!」と。
 愛情、ああ可哀そうに、私はそれが何か知らない!
 
 詩の良し悪し、意味の深浅はしばらくおき、私は、これは血の蒸気、醒め来たった人の心の声だと思う。
 愛情とは何か?私も知らない。中国の一対のまたは一群の男女がともに暮らす中で、誰か知っているだろうか? 私は知らない。
 しかし従前は苦悶の叫びを聞くことも無かった。
たとえ苦悶しても、叫び出すと、間違っていると非難され、老いも若きも一斉に首を振り、こぞって痛罵した。
 しかるに愛情の無い結婚の悪しき連鎖は、連綿としてとだえることなく続いた。形式的な夫婦は全くあい関せずで、若いものは別に情婦を持つなり、娼館に行くなどし、老いては妾を買う。良心は麻痺し、夫々に妙法を編みだした。
だから今でも問題にすらならない。だが「嫉妬」の字を生みだしたのは、彼らの苦心して生きてきた痕跡である。
 しかし東の空は白み、人類が各民族に求めるのは「人」だという方向に向かっている。それは当然「人の子」でもあるが、我々が今、持っているのは単なる「人の子」であり、また息子の嫁であり、娘の夫であって、人類の前に差し出すことができないしろものである。
 だが、悪魔の手からも光の漏れるところがあり、光明をすべて遮ることは、
不可能である。人の子は目覚めた。彼は人類には愛情があるべきと悟り、従前通りの若者、老いた者が犯した罪を知り、苦悶を感じ、叫び声をあげ始めた。
 女性の方は本来なんら罪も無いのに、今も古い習慣の犠牲になっている。我々はすでに人類の道徳を自覚し、良心に従い、青年老人の罪を犯すのを肯んじないし、また異性を責めることもできない。自分一代を犠牲にして、4千年の古帳簿を閉じるのだ。
 一代を犠牲にするのは、とても恐ろしい。だが血はきれいになり、音声も醒めて真実の声となる。我々は大きく叫ぶことができる。ウグイスがウグイスらしく鳴くように、フクロウはフクロウらしく鳴くようにしようではないか。
 我々は娼館から出てきたその足で、「中国は道徳第一」などと偉そうなことを平気でいう連中から学ぶ必要は金輪際ない。
 我々は愛の無い悲哀を叫び、愛すべきものの無い悲哀を叫ぶ。… 
古い帳簿が消えてなくなるまで叫ぶのだ。
古い帳簿はいつ消えるのか?
 私は言う。
「我々のこどもを完全に解放したときに」と。
                       2010/09/19
 訳者雑感;
 北京の有名な夜遊びの場「天上人間」が大掛かりな手入れを受けたというニュースが在留邦人の間で取りざたされた。日本語的な音感では天上にいる人間と誤解しやすいが、これは人間という漢字の持つ意味が、異なるせいだ。ここでは天上世界、即ち天国というニュアンスで、男性天国とでも呼ぶべきか。
重慶とか内陸の交通の要衝でも、大掛かりな手入れで、多くの「娼館」が閉鎖されたと報じているが、数か月後には、名を換え、手を換えて蘇生する。
 さすがに蓄妾とか、大きな屋敷に何名もの妾を囲って上述の一群の男女(と言っても1対複数が多いが、複数の方にも愛人がいたりしたが)がともに暮らすということは表面上無くなったが、場所を分散して存続している。
 魯迅の最後の言葉は、まだ実現していない。
 

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 理想家と経験論者 随感録 39 (1919年1月)

 「新青年」第5巻4号は、演劇改良特集の趣で、門外漢の私は何も言えない。が「演劇改良を再び論ず」と題して、「中国人が理想という時は、軽薄のニュアンスがあり、理想すなわち妄想で、理想家は妄人だ」というくだりが、私にあることを思い起させ、これには、ひとこと言わざるを得ない、とあいなった。
 私の経験では、理想の価値低下は、この五年来のことで、民国になる前は、まだこれほどではなく、多くの国民も、理想家とは我々の進路を示してくれる人だと認めていた。民国元年前後に、理論的なことがはっきり現実となり、そこで理想家も、その深浅真偽のほどは暫し置くとして、一斉に台頭してきた。一方では旧官僚の政権窃取があり、遺老らが冷遇に業を煮やし、下山準備をし、みなこれら理想派に痛恨の怨みを抱いた。
聞いたことのないような学説法理を持ち出して、目の前を塞ぎ、かってに揺さぶりをかけることができなくなった。そこで三日三晩沈思し、ついにある兵器を考え出した。それで「理」の字の悪の元凶を一律に粛清した。これを「経験」と呼び、更に雅号を添え、高雅の極みは「事実」と称した。
 経験はどこから来たかと言えば、清朝以来のもので、経験が彼の口からでまかせを言う技力を高め「犬には犬の道理、鬼には鬼の道理がある。中国には外国とは違う中国独自の道理がある。道理はそれぞれ違うから、理想は同じとするのは痛恨に耐えない」このとき、まさに上下一心となり、財政を整え、民族を強化せねばならぬ時なのに、「理」の字を帯びたものの大半は「洋貨(舶来品)」だから、愛国の士は義として断固排斥すべし、と言いだした。だから一瞬のうちに価値が下がり、またたくまに嘲罵され、一瞬のうちにその影響すらも、義和団の時のキリスト教民と同様、群衆とともに棄市(晒し首)するという大罪を犯した。
 人格の平等というのも、もともと外来の古い理想であることを我々は知っておかねばならない。現在「経験」がはびこり、これを巻き添えにして、妄想だとされ、首謀と追従者も区別なく、すべて権力者の靴に踏みにじられ、祖伝の規則に従わされた。それからあっという間に、4-5年が過ぎ、経験論者も5歳年をとり、彼らも経験したことの無い生物学的な学理である「死」にだんだん接近している。
しかし外国とは違うというこの国は、依然として理想的な住み家ではない。権力者の靴に踏みにじられてひどい目に遭った諸公が、もうすでに大声で叫び出し、自分たちも経験を積んだと言い始めた。
 だが我々は知っておかねばならない。従来の経験は皇帝の足の下で踏みにじられて学んだものだが、現在の経験は皇帝の奴隷に踏みつけられて学んだものであることを。
奴隷の数はとても多い。心伝(不立文字、の禅宗用語)の経験論者も更に多い。
経験論者の二代目の全盛時代になると、理想は単に軽薄と疎んじられるだけでなく、理想家は単なる妄人にみなされているが、それでもまだ僥倖と言える。
 今は、理想と妄想の区別がはっきりしないが、もう少しすると、「できない」と「しようとしない」の区別もあいまいになり、庭の掃除と地球開拓を同列に論じるだろう。理想家はこの庭は汚れているので掃除しなければならない、と言う。――そのとき、こういう話をする人は、理想党の中にもいるだろうが―
彼はなんと、こんなことを言い出すのだ。彼らは従来からここで小便をしてきたのだから、どうして掃除をするのか?そんなことはできない。断固できない。
 その時、従来からこうしてきた、と言うのは困ったものだ。
無名のできものでも、中国人の体に出てきたら、「紅く腫れた処は桃花の如く、艶かで、潰爛(かいらん)せるときは、その美、ヨーグルトのごとし」となる。
国粋のあるところ、妙なること曰く言い難し。あの理想家の言う学理や法理は
みな外来のものだから、全くこの国では生きてゆけないことになる。
 しかしとても奇怪なことは民国710月下旬(1918年第一次世界大戦終了)
突然多くの経験論者と、理想家経験論者双方や、いずれとも未定の人も、こぞって公理が強権に勝ったと言い:公理を称賛し持ち上げだした。このことは、
経験論者の範疇を超えているのみならず、「理」のつく文字のうるさいものが、
増えたのだ。これは今後どのように収斂されるか。私は経験がないので妄断は
控える。経験豊富な諸公におかれても、考えても未経験なことに口出しはできまい。
 他に方法も無いから、ここにこれを提出して、人から軽薄と言われている理想家の教えを請うこととしよう。
                            2010/09/18
訳者あとがき:
 本品は19178年というロシア革命、第一次世界大戦終了という時代背景と、
中国のいわゆる王政復古という「馬鹿げた茶番劇」が繰り返されてきたことを
念頭に置かないと、何を訴えたいのか理解困難である。
 共和革命として(外来思想、理想)を形だけは実現したが、やはり中国人には、
理想を掲げて霞を食うような生き方はできない。もとの皇帝を戴く王政に戻せという動きが、袁世凱、張勲の復辟として起こった。中国はもともとの経験に裏打ちされた「保守穏健」な「進歩成長」などを目指さぬ、旧態依然とした政体が、一番適しているという主張が、上記の経験論者の声だ。
 その一方で、ロシア革命が起こり、第一次大戦が「公理の強権に対する勝利」
として現実の世界で起こった。世界の進歩成長に取り残されたままで良いか!
その問題を理想家たちに問いかけたのだと理解する。

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随感録 38  (自大)


随感録38
 中国人は自大、尊大なところがある。残念なのは、「個人としての自大」ではなく、すべて「群れとしての愛国的自大」である。これが文化競争で敗けた後、
再び奮い立って前に進みだせない原因だ。
「個人の自大」は人と異なることで、凡庸な群衆への宣戦で、精神病的な誇大妄想狂以外、この種の自大な人は、大抵何かの天才で、Nordau説では、何分かの狂気である。彼らは自分を思想見識上、凡庸な大衆より抜きんでていると思っており、凡庸な大衆に認められないと世俗を憤り、だんだん厭世家に変じ、
「国民の敵」になってしまう。しかし新しい思想の多くは、彼らから出ている。政治的 宗教的 道徳的改革も彼らが発端となっている。だからこのような
「個人的自大」の人が多い国民は、本当の福があり、幸運である!
「群れ的自大」「愛国的自大」は同じ意見の者同士が党を組み、異端を排除することで、少数の天才に宣戦することだ;――他国の文明に宣戦するのは、その次の段階。自分には大した才能も無く、人に誇れるものも無い。だから自分の国をバックとするのだ。自国の習慣制度を高く持ち上げ、大仰に賛美する。
彼らの国粋はかくも栄光に輝き、彼らもまたその栄光に浴すのだ。もし攻撃に遭ったら、彼らは必ずしも自分で応戦するとは限らない。黒幕の裏に隠れて、目と舌だけを使う人間はとても多く、Mob(烏合の衆)を使うのが得意で、
一斉にわいわい騒ぎを起し、勝ちを制することができる。勝てば自分はその中にいたわけだから、自分も勝ち組だ。もし負けたら群れの中には大勢の人がいたのだから、自分ひとりだけが損したことにはならない。凡そ群衆として事を起す時は、多くはこんな心理で、彼らの心理は正しくそれだ。彼らの挙動は猛烈なように見えるが、実はその逆で、卑怯である。結果は、尊王復古、扶清滅洋などが関の山で、すでに多くの教訓を得てきた。だからこの「群れとして愛国自大」な国民はほんとうに哀れで、不幸である。
 不幸にして中国はただこのような自大に偏っていて:古人のしてきたこと、説いてきたことは、一つとして悪いものはなく、それを遵守してきていないのではないかと、くよくよしているだけだから、どうして改革しようなど畏れ多くてそんなことができるわけがない。
 このような国を愛する自大な人の意見は、各派すこしずつ異なるが、根底は同じで、数えると下記の五種である。
 
甲説:「中国は地大物博で開化も最も早く、道徳水準も天下一」これ全くの自大。
乙説:「外国の物質文明は高いが、中国の精神文明は彼らより良い」
丙説:「外国の物は中国に昔からあり、科学は即ち某子すでに説くところ」
 この二種は「古今中外派」の支流で、張之洞の、「中学為体西学為用」的な人物。
丁説:「外国にも乞食はいる――草ぶき小屋――娼婦――虱もいる」
これは消極的抵抗派。
戊説:「中国は野蛮な所が良い」「中国の思想は乱れていてでたらめだというが、それはとりもなおさず、我が民族の築いてきたものの結晶である。先祖以来乱れて来て子孫にまで引き継がれ、過去から乱れ始め、未来もそのまま続く。我々は4億人いる。誰か我々を絶滅できるか? これは丁より更にひどい。人を貶めるのではなく、自分の醜さを人に自慢し:論調の強硬な点は、「水滸伝」の牛二のようだ。
 五種の内、甲乙丙丁は荒唐無稽だが、戊と比べると、情としてまだましかと、
感じる。彼らにはまだいい意味の勝ち気が残っている。例えば落ちぶれた家の
子は、人の家が隆盛なのをみると、大抵は大きな話を始め、金持ちの格好を
したがる:或いは、他人の小さな欠点をあげつらってしばし自らを慰める。
これもおかしな話だが、鼻を失っても、祖先伝来の病と言い張って、大衆に見せ
びらかすのよりはましだ。
 戊の憂国論は、最近出てきたのだが、一番寒気を催すもので:腐れ根性は
とんでもないだけでなく、実のところ、彼の言い分が現実なのだから、
よけい恐ろしい。でたらめな先祖がでたらめな子孫を育てる、というのはまさに
遺伝だ。民族根性ができてしまった後、好悪いずれにせよそれを変革するのは
容易ではない。フランスのG.LeBon著「民族進化の心理」にこの事に触れて、
(原文は忘れたので大意を書く)「我々の一挙一動は自主的なものに見えるが、多
くは、死者の牽制を受けている。我々の代の人間はそれまでの数百代の死者と
比較すると、数の上では全く敵しない」我々の数百代の先祖の中にはでたらめな
人も少なくないし、道学を講じた儒者もおり、陰陽五行を説いた道士もおり、
静坐して練丹した仙人も、化粧してチャンバラをした芸人もいよう。だから我々
は今、「いい人間」になろうとしても、血管中のでたらめな分子が悪さをするのを
防げない。我々も何の自主性もなく、ほんの一変するだけで、丹田や隈どりを
研究する人間になってしまう。これは本当に心寒させるものだ。私はこのよう
なでたらめな思想の遺伝的災いも、梅毒のような猛烈なものにならぬことを望む。
百人中一人も助からないなどとなっては大変だ。たとえ梅毒と同じくらい激しく
ても、今や606が発明され、肉体的病は治せる:私は707ができて思想上の病を
治せることを望む。この薬はすでに発明されている。即ち「科学」というものだ。
あの精神的に鼻をなくした友に、「祖伝の老病」だなどと訳のわからない旗印で、
この薬の服用に反対しないで欲しい。中国のでたらめ病は、きっとある日、全快
する。先祖の勢力は大きかったが、今から改革を決意すれば:でたらめな考えを
一掃し、でたらめを助ける事物(儒教道教両者の文書)を一掃し、そして対症薬
を飲めば、即効は無理としても、それらの病毒は混じり合って薄くなり消える。こうして何代か後に我々が先祖になる頃には、でたらめな祖先の勢力を若干
減らすことができるだろう。その時が転機で、LeBonの説は畏れることはない。
 以上が私の「成長進歩しない民族」の治療方法で:「絶滅」のくだりは全く話
にもならないから、触れる必要もなかろう。「絶滅」の恐ろしい二字は我々人類の
言うことだろうか。ただ張献忠(明末の農民起義の首領)らが、これを言い出し
ただけで、今に至るもそれは人類から唾棄嘲罵されている。そして実際問題とし
て、何の効果があるというのか?
 ここで一言、戊派の諸公に勧めたい。「絶滅」という言葉はただ人を脅かすだけ
で、自然を脅すことはできない。自然は情け容赦なく、自ら絶滅への道を歩む
民族は、どうぞご勝手にとして、遠慮はしない。我々は自ら生きようとし、他の
人々も生きるのを望み、他の人々が絶滅するのも忍びず、彼らが自ら絶滅への
道を歩むのを恐れる。我々を巻き添えにしえ絶滅しようとしかねないので、これ
は大変なことになる。もし現状を改めずとも、興隆できて本当に自由で幸福な
生活が得られるなら、野蛮でも良いだろう。しかし誰が「それで結構」と答え
ることができるだろう?
       2910.9.16.
 
訳者雑感:魯迅はこの数篇で、先祖伝来のでたらめな考えかたを「科学」という
薬で、徐々に薄めて消しさることを訴えている。1920年前後の中国を支配して
いた軍閥政府は、中華3千年の伝統に裏打ちされた、儒道両派の頑強、頑迷な
考え方こそが、中華民族の統治に最適と考えていた。これを打破しないかぎり、
成長進歩して世界の諸民族と対等な水準にまで追い付かない限り、中国の未来は
無いと何度も何度も読者に語りかけている。
 2010年の万博開催を一つの区切りとして見ると、確かに魯迅の切望した世界の
諸民族と同等以上の水準に達したような印象を与える。それは沿岸地区の限定
された人々だけかも知れないが、90年前には甲乙などの五種の説を唱えた人たち
には、想像すらできなかったものに違いない。これは「科学」という薬もさるこ
とながら、「経済的豊かさ=金銭」をもたらした「開発独裁」に負うところ大で
あると、認めざるを得ない。その根底にある国民統治の思想的背骨は「儒道両派」
であることは認めたくなくとも、完全には否定できない。
 
 
              

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 随感録 37

 近来、多くの人が拳法を普及させようと強力に提唱している。以前にもあったと思うが、あの頃(義和団の拳)提唱していたのは満州人の清政府の王公大臣だったが、今は民国の教育家で地位も身分も違う。彼らの宗旨が同じか否かは部外者には、知る由も無い。
 今教育家たちは「九天玄女が軒轅黄帝に伝授し、軒轅黄帝が尼姑に伝えた」という古来からの法を「新武術」と改称し、また「中国式体操」と称して、青年に練習させている。長所は沢山あるが二つ挙げると:
一.       体育面:
中国人は外国の体操をしてもあまり効果が上がらないそうだ。だから中国式体操(拳法)を習うようにすべきだ。私は外国式に両手でアレイや棍棒を持ち、手足を左右に伸ばすのは筋肉強化に「効験」があると思うのだが、それが効験が無いとは!それなら(水滸伝の)武松の枷抜けのような芸当を練習するしかない。これは中国人が生理的に外国人と違うからなのか。
二.       軍事面:
中国人は拳法ができるが、外国人はできない:互いが殴り合うような場面では、中国人が勝つのは言うまでも無い。たとえ外国人を「油をまいて滑らせて取り押さえる」式の法を取らなくても、「地を掃くように一網打尽」にできなくても、一斉に倒せるから、もう二度と立ち上がって来られない。というが、現在の戦争は銃砲を使うから、とても歯が立たない。銃砲は中国には「古来すでに有した」が今この時には無いのである。藤牌の操法(武術の法)があるといえども、練習しないなら銃砲をどうやって防ぐことができようか。私は思うに
(彼らは説明してくれないから、これは私の管見だが)拳法で戦ってみても、せいぜい銃弾が当たらないくらいのものである。(即ち内功?)このことはすでに試したことがあり、1900年の時にそれをしたが、残念ながら誠に名誉の完敗だった。さて、このたびはいかが相成りますことやら。
                       20109.11.訳
訳者雑感:中国の朝は早い。夜明けを待たずに家々から三々五々近くの公園に集まり、カセットからの伝統的な音曲にあわせて、太極拳や剣舞などを踊っている。ゆうゆうたる調べにのせて、ゆるゆると手足を揺らぐように舞わす。これは日本人が朝のラジオ体操でやるような、軍隊的な集団的規律の伝統的なものとは、基本から違うようだ。魯迅は揶揄しているのだが、中国の伝統は、ゆっくりと体を動かすことの方に重きを置いているようだ。好漢は兵にならない、
というように、集団的規律に基づき、きびきびとした軍隊的体操をすることは、
兵になるための、準備運動のように感じて、忌避してきたのかも知れない。
しかし軍事面で拳法が効験あるとは、時代錯誤も甚だしいが、竹やりと同じ発想かと思うと、負け戦の時の軍人の言い出すことはいずこも似ていると言える。
 魯迅自身も紹興の町から南京の学堂に進学したのだが、そこは軍の関係する学校で、それに見切りをつけて日本に留学したのだが、かれが学校で日本のような体操をしたのかどうかは、今後調べてみなければわからない。
 拳法にもブルース リーやジャッキー チェンの演じるような目にもとまらぬハヤワザをするのもあるし、京劇のチャンバラの場面では息も止まらぬ動きを見せるが、99%の大衆が演じるのはスローモーションのものである。
 

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 随感録 36


 随感録 36
 今多くの人がとても畏れていること;そういう私もそうなのだが、多くの人は「中国人」という名が消滅するのではないか、ということで:私が畏れているのは中国人が「世界人」から押し出されるのではないか、ということである。
 中国人と言う名は決して消滅しないと思う。少なくとも人種が残る限り中国人に違いない。例えばエジプトのユダヤ人のように、彼らが今なお「国粋」を保持しているかどうかに拘わらず、今でも(出)エジプトのユダヤ人と呼ぶし、この呼称を改めてはいない。これからすると、名を保存するのは、必ずしも労力や心を費やさなくてもいいようだ。
 だが私は今日の世界で、共に成長し、一定の地位を求めようとするなら、相当の進歩的知識、道徳、品格、思想を持たないと、しっかりした地歩を築けないと思う:これには極めて大変な労力と心を費やさねばできない。しかし「国粋」の多い国民は、更に一層大きな労力と心が必要だ。なぜなら彼の「粋」が大変多いからだ。粋が多すぎて特別なものになっている。とても大変特別なものだと、さまざまな人々と共に成長して地位を保つことが難しい。
 ある人は言う:「我々は別個に成長してゆこう:さもなくば、何を以て中国人とするか!」
 そんなことをしていては「世界人」の中から押し出されてしまう。
 そして中国人は世界を失うことになる。暫くはこの世界に住まねばならぬのに!
 これが私の大きな心配だ。
                      2010/09/10訳
訳者雑感:
 先の大戦後、イスラエルができるまで、ユダヤ人は(出)エジプトのユダヤ人と呼ばれていたそうだ。たしかに今の土地はもともと彼らがエジプトから脱出してきたところだ。
かといってエジプトである一定の場所で一定の地位を保持して生きていたとかどうかは、
知らない。今フランスを追われたロマ人は、もといたルーマニアに戻ろうとしても、ルーマニア政府からも拒否反応に遭っている。と言って今更出身地と言われるインド北部にも
もはや何の手ずるもないことだろうからEUという「世界」から押し出されたロマ人はどうすればよいのだろうか?
 1920年頃の中国大陸に住んでいた中国人は、帝国主義列強に浸食され、瓜のように切り分けられて、それぞれが外国と手を結んだ軍閥に支配されていた。魯迅の畏れていたのは、
民族呼称としてはユダヤ人のように残っても、世界地図の中から、中国という名前が押し出されて、消滅してしまう危機感であったろう。
 中華民族の伝統として世界で一定の地歩を築く。そのために大変な労力と心を費やすこと、それが自分の務めだと任じて書き続けたことと思う。
 今日の電子版の「一語驚壇」(9月8日付)に教科書から阿Qが削除されることに関して
10個くらいの投稿を掲載している。印象的なのを挙げると、
1.教科書から阿Qはいなくなったが、現実生活に阿Qがやって来た!
2.魯迅は今教科書から退場した。もう時代遅れとなったためだ。それでは、孔孟も退出すべきではないか? 警醒を失った民族は、将来、自分の進むべき道をうまく歩みだせないだろう。
3.魯迅を超えられないから、魯迅を追い出すことができないというわけでもなかろう!
魯迅の才がなくても、魯迅の文章を扼殺する権利は有しているから。
4.今欠けているのは魯迅のような鋭利な筆峰の文人、余計なのは:功徳を称賛するだけ
の提灯持ち。
 

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本日秋風が吹いたから 「熱風」

「熱風」 随感録三十五  1918年 
 清末から今日まで、多くの人々が「国粋保存」と口にするのをしばしば聞いてきた。
 清末にこれを説く人は二グループで、一つは愛国志士、もう一つは外遊から帰国した大官。彼らの唱えるお題目の背後にはそれぞれ別の意味合いがあった。志士のいう国粋保存は、明朝の古い時代を光復せよ、との意味で、大官は、留学生に辮髪を切るなと言う意。
 今、民国が誕生したから、上述の二つの問題は完全に消滅した。だから今これを言う人の背後にどういう意味があるのか知り得べくもない。そして国粋保存の表向きの意味すらわからない。何を「国粋」と呼ぶのか?字面からすると、一国独自の他国は無い事物だろう。言いかえれば、特別なものだ。しかし特別なものが良いとは限らないから、なぜ保存せねばならないのか?
 例えば、ある人の顔にこぶができたり、額におできができたとする。たしかに他人とは違い、彼の独自なものだから彼の「粋」と言えよう。だが私は、この「粋」は取ってしまう方が良く、他人と同じになる方が良いと思う。
 もし中国の国粋は特別なもので、良いものだというのなら、なんで今これほどまでに無茶苦茶になってしまったのか。新派も首を振り、旧派も嘆息する。
 もし、それは国粋保存ができなくなったのは「海禁」をやめたせいだからというのなら、
「海禁」をやめる前までは、国中はすべて「国粋」だったのだから、当然良かったというのなら:なぜ春秋戦国、五胡十六国時代には戦乱が止まなかったのか?古人も嘆息する。
 もし、それは成湯や文王武王周公を学ばなかったせいだと言うのなら:なぜ成湯や文王武王周公の時代の前に、桀紂の暴虐があり、その後に殷の後裔たちが乱を起し、しまいには、相も変わらず春秋戦国、五胡十六国のような戦乱の止まぬ状態になってしまったのか。
古人もみな嘆息する。
 吾友人がいいことを言った:「我々に国粋を保存せよと言うなら、国粋も我々を保存してくれなきゃ困る」
我々を保存する。たしかにこれが第一だ。それが我々を保存する力があるかどうかが、大事なことで、国粋かどうかは構わない。
                     2010/09/09 訳
 
訳者雑感:
国学と国粋、最近の中国の書店には、国学関係の本がたくさん並んでいる。百年前に書かれたような本が、いろいろな古典作品の絵入り、写真入りで手に取って見るだけでも、確かに美しい装丁で、「国粋」を保存してきた伝統が蘇ったような気がする。
国学とは国の伝統的なものを学び究めること。国粋とは自国文化に対する保守的、或いは極端に言えば、盲目的崇拝。国粋を保存すれば、国粋は自国民を保護、保存してくれるか?魯迅の時代は、国粋が国民を保護してくれるどころか、その逆で、国粋の保存を主唱する手合いが、国をめちゃめちゃにしてしまった時代であった。それが80年経った今、
民族を保護保存してくれるものは何か、いろいろ探してみて、やはり国粋に行きついたようだ。だが、それもまだ少数派で、多数派にはなっていない。
デモクラシーを守ったら、デモクラシーは国民を守ってくれるか?
答えはイエス、と大きな声ではまだ言い切れないのが現実。中華人民共和国には、他の国のように名ばかりとは言え、民主主義という名を冠した国とは違う成りたちがある。
国粋を守っても、国粋は国民を守ってくれるかどうか。国粋は博物館や標本室に保存しておいて、時折見に出かけるのは良い。生活の中にまで国粋があふれかえると、息苦しくなることだろう。しかし、このところの国学の復興は、何を物語っているのだろう。
 
 
 
 

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