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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 理想家と経験論者 随感録 39 (1919年1月)

 「新青年」第5巻4号は、演劇改良特集の趣で、門外漢の私は何も言えない。が「演劇改良を再び論ず」と題して、「中国人が理想という時は、軽薄のニュアンスがあり、理想すなわち妄想で、理想家は妄人だ」というくだりが、私にあることを思い起させ、これには、ひとこと言わざるを得ない、とあいなった。
 私の経験では、理想の価値低下は、この五年来のことで、民国になる前は、まだこれほどではなく、多くの国民も、理想家とは我々の進路を示してくれる人だと認めていた。民国元年前後に、理論的なことがはっきり現実となり、そこで理想家も、その深浅真偽のほどは暫し置くとして、一斉に台頭してきた。一方では旧官僚の政権窃取があり、遺老らが冷遇に業を煮やし、下山準備をし、みなこれら理想派に痛恨の怨みを抱いた。
聞いたことのないような学説法理を持ち出して、目の前を塞ぎ、かってに揺さぶりをかけることができなくなった。そこで三日三晩沈思し、ついにある兵器を考え出した。それで「理」の字の悪の元凶を一律に粛清した。これを「経験」と呼び、更に雅号を添え、高雅の極みは「事実」と称した。
 経験はどこから来たかと言えば、清朝以来のもので、経験が彼の口からでまかせを言う技力を高め「犬には犬の道理、鬼には鬼の道理がある。中国には外国とは違う中国独自の道理がある。道理はそれぞれ違うから、理想は同じとするのは痛恨に耐えない」このとき、まさに上下一心となり、財政を整え、民族を強化せねばならぬ時なのに、「理」の字を帯びたものの大半は「洋貨(舶来品)」だから、愛国の士は義として断固排斥すべし、と言いだした。だから一瞬のうちに価値が下がり、またたくまに嘲罵され、一瞬のうちにその影響すらも、義和団の時のキリスト教民と同様、群衆とともに棄市(晒し首)するという大罪を犯した。
 人格の平等というのも、もともと外来の古い理想であることを我々は知っておかねばならない。現在「経験」がはびこり、これを巻き添えにして、妄想だとされ、首謀と追従者も区別なく、すべて権力者の靴に踏みにじられ、祖伝の規則に従わされた。それからあっという間に、4-5年が過ぎ、経験論者も5歳年をとり、彼らも経験したことの無い生物学的な学理である「死」にだんだん接近している。
しかし外国とは違うというこの国は、依然として理想的な住み家ではない。権力者の靴に踏みにじられてひどい目に遭った諸公が、もうすでに大声で叫び出し、自分たちも経験を積んだと言い始めた。
 だが我々は知っておかねばならない。従来の経験は皇帝の足の下で踏みにじられて学んだものだが、現在の経験は皇帝の奴隷に踏みつけられて学んだものであることを。
奴隷の数はとても多い。心伝(不立文字、の禅宗用語)の経験論者も更に多い。
経験論者の二代目の全盛時代になると、理想は単に軽薄と疎んじられるだけでなく、理想家は単なる妄人にみなされているが、それでもまだ僥倖と言える。
 今は、理想と妄想の区別がはっきりしないが、もう少しすると、「できない」と「しようとしない」の区別もあいまいになり、庭の掃除と地球開拓を同列に論じるだろう。理想家はこの庭は汚れているので掃除しなければならない、と言う。――そのとき、こういう話をする人は、理想党の中にもいるだろうが―
彼はなんと、こんなことを言い出すのだ。彼らは従来からここで小便をしてきたのだから、どうして掃除をするのか?そんなことはできない。断固できない。
 その時、従来からこうしてきた、と言うのは困ったものだ。
無名のできものでも、中国人の体に出てきたら、「紅く腫れた処は桃花の如く、艶かで、潰爛(かいらん)せるときは、その美、ヨーグルトのごとし」となる。
国粋のあるところ、妙なること曰く言い難し。あの理想家の言う学理や法理は
みな外来のものだから、全くこの国では生きてゆけないことになる。
 しかしとても奇怪なことは民国710月下旬(1918年第一次世界大戦終了)
突然多くの経験論者と、理想家経験論者双方や、いずれとも未定の人も、こぞって公理が強権に勝ったと言い:公理を称賛し持ち上げだした。このことは、
経験論者の範疇を超えているのみならず、「理」のつく文字のうるさいものが、
増えたのだ。これは今後どのように収斂されるか。私は経験がないので妄断は
控える。経験豊富な諸公におかれても、考えても未経験なことに口出しはできまい。
 他に方法も無いから、ここにこれを提出して、人から軽薄と言われている理想家の教えを請うこととしよう。
                            2010/09/18
訳者あとがき:
 本品は19178年というロシア革命、第一次世界大戦終了という時代背景と、
中国のいわゆる王政復古という「馬鹿げた茶番劇」が繰り返されてきたことを
念頭に置かないと、何を訴えたいのか理解困難である。
 共和革命として(外来思想、理想)を形だけは実現したが、やはり中国人には、
理想を掲げて霞を食うような生き方はできない。もとの皇帝を戴く王政に戻せという動きが、袁世凱、張勲の復辟として起こった。中国はもともとの経験に裏打ちされた「保守穏健」な「進歩成長」などを目指さぬ、旧態依然とした政体が、一番適しているという主張が、上記の経験論者の声だ。
 その一方で、ロシア革命が起こり、第一次大戦が「公理の強権に対する勝利」
として現実の世界で起こった。世界の進歩成長に取り残されたままで良いか!
その問題を理想家たちに問いかけたのだと理解する。

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