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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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随感録 43 (秋の取り入れ)


 進歩的美術家、これが私の中国美術界への要望である。美術家は当然ながら、精熟した技巧を身に付けなければならないが、その上に進歩的な思想と高尚な人格をもたねばならない。彼の作品は、表面上は一枚の絵、一個の彫像だが、その実、彼の思想と人格の表れである。我々が喜んで観賞するだけでなく、感動し、精神的影響を与えることができる。
 我々の要求する美術家は、道を示せる先覚者であって、(御用団体的)「公民団」の首領のようであってはこまる。我々の求める美術作品は中国民族の知能の最高峰の標本を示すもので、水平線以下の平均点的なものではない。
 最近、上海某紙の増刊号「溌克」(Puck英国の伝説中のいたずら好きの小妖精の名)の
数枚の風刺画を見た。画法は西洋の模倣で、私はなんかおかしいと感じた。なぜものの考え方までこんなに頑固で、人格もこんなに卑劣で、まだ学校に上がる前のこどもが、白壁に「あいつはおいらのせがれ(相手を見下すことば)」としか描けないのと同レベルだ。
 外国の物は中国に来ると、みな黒い染料壺に入れられ、元の色を消されてしまうようだ。
美術もその一つで、骨格を学んでも、均整のとれていない裸体画は猥褻画になり、明暗をはっきりできない静物画は、看板にしかならない。毛と皮は新調しても、心は旧のままだと、結果はこうなる。風刺画が人身攻撃の道具となるに至っては、もう怪しむまでもない。
 風刺画と言えば、米国の画家L.D.Bradly(1853-1917)を思い出さずにはいられない。彼は風刺画を専らとし、欧洲大戦について特に有名で、惜しくも一昨年亡くなった。私は彼の
「秋 収穫(とりいれ)の月」(The harvest moon)を見た。上部には髑髏のような月が
荒れた畑を照らす。畑には一列一列と兵隊の屍が並ぶ。おお、これこそ真に進歩的美術家の風刺画だ。中国にもきっと将来このような風刺画家が現れることを望む。
           2010/09/21訳
訳者雑感:中国語は罵っているように響くとは、いろんな人が言っている。これは単に口からだけでなく、落書きにもあるようだ。学校に上がる前のこどもすら、字を書き間違えながらも罵るのを覚える。白壁に描いた字の「せがれ」は「而子」と間違えている。
簡略字の無かった魯迅の時代の「児子Erzi」という漢字は就学前の子には難しくて、同じ発音の而子で代用しているのか、間違って覚えているのかもしれない。日本でも「誰誰
ちゃんのバカとか、口で面と向かって言えないときに、落書きするのを見かける。
 中国の壁にある落書き的警告で、直訳すると「ラバはここで小便する」とあり、中国の友人に
訊いたら、ラバは子のできない動物だろう。それが中国人にとっての最大の罵りさ、と。
英米の風刺と、中国の風刺は出発点からいささか異なるようだ。発想の違いだろうか。
 

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