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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 随感録 37

 近来、多くの人が拳法を普及させようと強力に提唱している。以前にもあったと思うが、あの頃(義和団の拳)提唱していたのは満州人の清政府の王公大臣だったが、今は民国の教育家で地位も身分も違う。彼らの宗旨が同じか否かは部外者には、知る由も無い。
 今教育家たちは「九天玄女が軒轅黄帝に伝授し、軒轅黄帝が尼姑に伝えた」という古来からの法を「新武術」と改称し、また「中国式体操」と称して、青年に練習させている。長所は沢山あるが二つ挙げると:
一.       体育面:
中国人は外国の体操をしてもあまり効果が上がらないそうだ。だから中国式体操(拳法)を習うようにすべきだ。私は外国式に両手でアレイや棍棒を持ち、手足を左右に伸ばすのは筋肉強化に「効験」があると思うのだが、それが効験が無いとは!それなら(水滸伝の)武松の枷抜けのような芸当を練習するしかない。これは中国人が生理的に外国人と違うからなのか。
二.       軍事面:
中国人は拳法ができるが、外国人はできない:互いが殴り合うような場面では、中国人が勝つのは言うまでも無い。たとえ外国人を「油をまいて滑らせて取り押さえる」式の法を取らなくても、「地を掃くように一網打尽」にできなくても、一斉に倒せるから、もう二度と立ち上がって来られない。というが、現在の戦争は銃砲を使うから、とても歯が立たない。銃砲は中国には「古来すでに有した」が今この時には無いのである。藤牌の操法(武術の法)があるといえども、練習しないなら銃砲をどうやって防ぐことができようか。私は思うに
(彼らは説明してくれないから、これは私の管見だが)拳法で戦ってみても、せいぜい銃弾が当たらないくらいのものである。(即ち内功?)このことはすでに試したことがあり、1900年の時にそれをしたが、残念ながら誠に名誉の完敗だった。さて、このたびはいかが相成りますことやら。
                       20109.11.訳
訳者雑感:中国の朝は早い。夜明けを待たずに家々から三々五々近くの公園に集まり、カセットからの伝統的な音曲にあわせて、太極拳や剣舞などを踊っている。ゆうゆうたる調べにのせて、ゆるゆると手足を揺らぐように舞わす。これは日本人が朝のラジオ体操でやるような、軍隊的な集団的規律の伝統的なものとは、基本から違うようだ。魯迅は揶揄しているのだが、中国の伝統は、ゆっくりと体を動かすことの方に重きを置いているようだ。好漢は兵にならない、
というように、集団的規律に基づき、きびきびとした軍隊的体操をすることは、
兵になるための、準備運動のように感じて、忌避してきたのかも知れない。
しかし軍事面で拳法が効験あるとは、時代錯誤も甚だしいが、竹やりと同じ発想かと思うと、負け戦の時の軍人の言い出すことはいずこも似ていると言える。
 魯迅自身も紹興の町から南京の学堂に進学したのだが、そこは軍の関係する学校で、それに見切りをつけて日本に留学したのだが、かれが学校で日本のような体操をしたのかどうかは、今後調べてみなければわからない。
 拳法にもブルース リーやジャッキー チェンの演じるような目にもとまらぬハヤワザをするのもあるし、京劇のチャンバラの場面では息も止まらぬ動きを見せるが、99%の大衆が演じるのはスローモーションのものである。
 

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