友人の話では、杭州の英国教会の医者が、医書の序に中国人を土人と呼んでいるそうだ。これを聞いたとき、私はとても気分を害したが、つらつら考えてみるに、今は忍受するほかないと思い始めた。土人という言葉は、本来その地に生まれた人を指し、なんら悪意はなかった。後になってその意味が多くは、野蛮民族を指すことになり、新たな意味を持ち出して野蛮人の代名詞になった。
彼らがこれで中国人を指すのは侮辱の意味を免れない。だが私は今、この名を受け入れざる以外に方法は無い。この是非は事実に基づくことで、口頭での争いで決着しない。中国社会に食人、略奪、惨殺、人身売買、生殖器崇拝、心霊学、一夫多妻など凡そ所謂国粋なるものは、一つとして蛮人文化に合致せぬものは無い。辮髪をたらし、アヘンを吸うのは、まさしく土人の奇怪な編髪と、
インド麻(麻酔にも使用される)を食うのと同じだ。纏足に至っては、土人の装飾法の中でも第一等の新発明だ。彼らは肉体に種々の装飾を施し、耳朶に穴を開け、栓を嵌める。下唇に大きな孔をあけ、獣骨を差し、鳥のくちばしのようだ。顔には蘭の花を彫り、背に燕の刺青。女の胸にはたくさんの丸くて長いこぶをつける。しかし彼(女)らは歩けるし、仕事もできる。彼らは今一歩の寸前で、纏足ということにまでは、思い到らなかった。……世の中にこんなに
肉体を痛めつける女性を知らないし、こんな残酷なことを美とする男はいない。
まことに奇事、怪事也。
自大と好古も土人の一特性である。英国人George Grey(1812-1898)はニュージーランド総督の頃、「多島海神話(ポリネシア)」を書き、序に著書の目的を記し、まったくの学術目的ではなく、大半は政治的手段だが、彼はNZの土人には、理を説くことは不可能だと書いている。彼らの神話の歴史の中から類似の事例を示して、酋長祭司たちに聞かせれば、うまくゆくという。
例えば鉄道を敷く時、これがどれほど有益か口をすっぱく説明しても、決して聞く耳を持たない。もし神話に基づいて、某大仙人がかつて一輪車を推して虹の上を歩いた。いま彼にならって一本の道を造るといえば、ダメだとは言わなくなる。(原文は忘れたが、大意は以上の通り)
中国の十三経二十五史は、まさに酋長祭司らが一心に崇奉する治国平天下の
譜で、向後、土人と交渉する「西哲」が、もしも一篇手作りすれば、我々の
「東学西漸(東方の学が、西方に漸進する)」の手助けになり、土人を喜ばせることになろう。
しかし、その訳の序には何と書くべきかは、知らない。
2010/09/20訳
訳者の読後感:英国人の土人という指摘を捕えて、纏足に象徴される中国の所謂国粋がいかに出鱈目か、を痛烈に指摘し一刻も早い纏足禁止を訴えている。
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