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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「パリ解放」を読んで、その2

「パリ解放」を読んで、その2
前文で、アメリカはもうモンロー主義に戻ることはないだろうか、で擱筆した。
その後、訳者のあとがきの最後の言葉が頭から離れなかった。
4.
彼女は、本文474頁のマーシャル・プランに関する段で、
ECSC生みの親、ジャン・モネを取り上げ、
彼が戦時中に考えついた計画として:下記している。(一部省略)
 
『もし超大国に支配されたくないのであれば、ヨーロッパ大陸には強さと統一が必要だ』
……(最初イギリスに申し入れたが、イギリスは英仏をしっかり抱き合わせようとする
(アメリカの)ハリマンのこの試みに憤慨していた。
それでも外交攻勢を試みたが、イギリスの心は欧州には無かった。
次にドイツとこの計画を進めることになり…
『どちらもが相手を殴るのに充分な距離まで身をほどくことができない程、
しっかり抱き合わせる』
(Schuman to Sir Oliver Franks, quoted Peter Hennesy 「Never Again」P399)
という言葉に表されるようにならなければ、という考えであった。
 これにドイツのアデナウアーが熱心な支持を与えた。
一方イギリスのベヴィンは一刀両断に切り捨てた。
 
 私は東アジア経済共同体のようなものを作って日中がせめてECSC並みの、
石炭鉄鋼共同体でなく、海洋資源共同体として「互いに殴るのに充分な距離まで、
身をほどくことができない程、しっかり抱き合わせる」ことができれば、と思う。
 
イギリスがEUから距離を置いている様に、日本も中国大陸から、ある程度の距離を
保っておかねば具合が悪いと考えている人が沢山いる状態で、日中がEUの様な状態になるという構想は、台湾と大陸が一つになる前に実現する可能性は極めて低いと思う。
 
 中国そのものがEUより大きな大陸国家で、あるフランスの歴史家は、その4千年の間、
千年は統一国家として安定した状態にあったが、残りの3千年は常に内乱・内戦状態であった、と言う。今もチベットやウイグルなどで自治・独立を目指した運動が絶えない。

 同書の435頁で、クラフチェンコ裁判の結果、
『これをきっかけにフランスはソ連が、労働者の天国ではないと考え始めた』
(1947・48年に仏共産党の敗北後)という段で、その時、ソ連の「強制労働収容所」
の実態が暴かれた。
 その後、周知の通り、スターリン批判から始まる修正主義への方針転換を経ても、
ソ連の体制は多くのスラブ人にとっても、又各共和国の非スラブ人にとっても、
理想的な国家形体ではない、ということが実感され、ソ連は解体した。
 
 2012年2月の中国全国人民代表大会で、温家宝首相が、薄熙来氏を失脚させた。
彼のした事が「文化大革命」の惨劇が再発することになる恐れがある、として。
 30数年前から始まった「経済の改革開放」政策で、確かに中国は見違えるほどの
経済成長を遂げた。80年代のソ連とは比べようも無いほど西側に追いつきつつあるが、
多くの底辺の人々の暮らしは、80年代のソ連とあまり変わっていないとも言える。
 だが、今回のこれが農民・農民工(出稼ぎ労働者)にとって「ソ連が労働者の天国ではない」とフランス人が考え始めた」様な一つのきっかけになる可能性は否定できない。
 ソ連の「強制労働収容所」と似たような仕組みとして、薄熙来氏を初め、多くの地方の
トップたちが、自分の政策や手法に抗議するものを、うむをいわさず「4年間拘束できる」
ことが暴露され、牢に入り切れないほどの人たちが「拘束」されている事実が判明した。
 
 今の「改革開放時代の拘束」は、ソ連のような「強制労働収容所」程ではないとしても、
地方政府の「資本主義的・開発独裁的・不動産、工場団地造成販売式」で庶民には想像も
できないほどの巨額の「財産」を搾取・収賄で一人占めできる「体制」を保つ為に、
「4年間拘束」が増えれば増えるほど、その崩壊のリスクは高くなるだろう。
 
 中国は、3権分立は欧米の制度だとしてこれを否定しており、立法と行政の2院制で、
司法は行政の下に置き、地方行政は正に行政のトップ即ち共産党のトップの「天の声」で決まってしまう。暴力団排除も反政府活動家排除も同じ人間が執行する。
大連や重慶の市民の中には薄熙来氏が暴力団を徹底排除し、街が明るくなったと支持する人もいる。その同じ手法で、反政府、自分のやり方を批判攻撃する相手を排除したのだ。
 
 「パリ解放」の著者たちも言うように、1789年のフランス革命の歴史が、戦後の仏仏戦争(ペタンと左派、ドゴールと共産党の間の)に大きな影響を及ぼしている様に、
2012年の中国内部での中中戦争は、辛亥革命・文化大革命の歴史を引きずっている。
それで尖閣問題を先鋭化し、国民の目を外に向けさせようとしている点は否定できない。
国王を殺し、民衆同士が二つ或いは三つに分かれて、血で血を洗うような激しい革命は、
フランス人と中国人の両民族に共通するように感じるのはなぜだろうか。
   2012/10/19記
 
 
 
 
 
 

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