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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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礼  葦索
 新聞を読むのは有益だ。うっとうしい時もあるが。
例えば、中国は世界で国恥記念日の最多国で、その日は新聞に例によって、
幾つかの記事や文章が載る。だが、余りにも重複したり、長すぎたり、
千篇一律で、今日も、明日も、次回も使え、去年の物を来年も使える。
新たな事情が起こらぬ限り、よしんば起こっても、常套句はそのまま使える。
どうもそのような句しか使わぬようだ。
だから健忘症でない人はうっとうしく感じ、新しい啓示を発見できない。
 だが私はやはり読む。今日偶々北京で抗日英雄、鄧文の記事を見た。
最初は報告、次に講演、最後は「礼が終わり、奏楽して散会」とある。
そこで新しい啓示を得た:凡そ記念とは「礼」そのものである、と。
 中国は元来「礼儀の邦」で、礼に関する書には三大書がある。
外国にも翻訳されており、特に「儀礼」を訳した人を私は敬服する。
君に事(つか)える、は今やもうしなくてよくなった:
親に事えるのはもちろん孝を尽くすのだが、歿後のつかえ方は、祭礼にあり、
それぞれ礼がある:今の忌日に拝むことや、陰寿を行うなどの類だ。
新しい忌日が加わり、旧いのは少し淡く「新鬼は盛大に、故鬼はささやかに」だ。
 我々の記念日も旧いものの幾つかは余り盛大ではなく、
新しいものも幾つかは冷淡になり、只時が過ぎゆくのを待つ他ないのは、
人の忌辰を拝むのと同じだ。
 中国は家族を基礎とする国だというのは、誠に識見である。
中国はまた元来「礼譲を国と為す」とし、礼があるなら必ず譲ることができるし、
譲ることが多くなれば、礼もより繁くなる。この事はこの辺にしておこう。
 古い時代に黄老を以て天下を治め、或いはまた孝を以て天下を治めた。
現在は多分礼を以て天下を治める時期に入っただろう。
このことをはっきり認識すれば、民衆が記念日について冷淡だと責めるのは、
間違いだということが分かる。「礼」に曰く:「礼は庶人に下さず」:
物質的にどんな物も棄てられないというのも間違いであり、
孔子も言ったではないか:「賜也、汝が其の羊を愛し、我は其の礼を愛す!」と。
 「礼に非ざるは視るなかれ、礼に非ざるは聴くなかれ、礼に非ざるは動くなかれ」
静かにじっと待て、他の人が「不義を多く行えば必ず自斃する」を、礼也。
      9月20日
訳者雑感:魯迅が最後にいう「不義を多く行えば必ず自斃する」のを静かに待て、
というのは、中国に国恥日を世界一多くした侵略者のことであろう。
抗日英雄の記念日の礼から得た新しい啓示である。2012/07/27訳
 
 
 
 
 

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