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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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曲芸を見る

曲芸を見る    游光
 私は「曲芸」を見るのが好きだ。
曲芸師は旅回りだから、各地の芸はたいてい同じで、
稼ぐには必ず二つの出しものが要る:クマと子供だ。
 クマは餓えて痩せこけ、ほとんど跳びまわる力も無さそうで、
もちろんこれは強壮にさせぬためで、もしそうなると御せないからだ。
半死の状態だが、それでも鉄輪で鼻を穿たれ、綱で繋がれ、芸を見せる。
時々少しの餌をもらえるが、それは饅頭の皮を湿らせた小片で、
尚かつ杓子で高くかかげ、クマを立たせ、頭を伸ばし、口を開けさせ、
長いこと苦労してやっと腹に入る。
曲芸師はそこでお金を集める。
 このクマの曲芸は中国人が始めたのではない。
西洋人の調査によると、まず小熊を山から捕えてくる:
大人のクマは使えない。大きくなってから野性をなおすことはできない。
小熊もやはり「訓練」が必要で、「訓練」方法は「打つ」と「飢え」で、
その後、虐待により死んでゆく、という。
 これはその通りだと思う。クマは曲芸をしている時、痩せ衰えて、
クマの気息すらない。所によって「狗熊」と蔑称されている。
 子供が出て来るのも、たいへん苦しそうで、大人が腹の上に乗っかり、
両手をねじられ、とてもつらそうに困り切った顔をして、
観客の救いを求める。
6枚、5枚、更に4枚、3枚…が投げられ、曲芸師はそれらを集める。
子供はもちろん訓練されていて、苦痛もそのふりをしているだけで、
曲芸師とグルになって騙しているのだが、金の為には止むを得ぬ。
 午後の銅鑼で開演し、このような芸を夜まで演じる。
幕を下ろすと客は散る。銭を出したのもいるが出さぬものもいる。
毎回幕が下りた後、私は歩きながら思う:
二つの出し物の内、一つは虐待されて死に、次の小熊を探してくる:
もう一つの方は、大人になったら、別な子供と小熊を探してきて、
旧来通りの曲芸をする。
事はまことにたいへん簡単だが、少し考えるとどうも索然として味気ない。
しかし私はよく見にゆく。これ以外に何を見ろというのか?諸君。
      10月1日
訳者雑感:
魯迅は毎回見終わった後、味気ないと感じながら、しばしば見に出かけた。
アメリカ映画のターザンものも何回も見に出かけている。
他に娯楽が無かったのだろうが、何度も見に行っているようだ。
中国語の題は「看変戯法」で辞書には手品と訳されている例が多い。
しかし本文の2つの出し物からすると曲芸とか曲技のようだ。
銭を稼げるのはクマと子供だが、他の出し物もいろいろあったろう。
今日、上海雑技として世界的に有名になったが、この雑技と言う言葉は、
新中国になってから、周恩来か誰かが命名したものと聞いたことがある。
それ以前は「変戯法」と呼ぶのが一般的だったのだろう。
それでこうした出し物をいろいろ調べてみた。
馬戯はサーカス、戯法は手品、魔術、奇術、口技は声色や物まね、
走網絲は綱渡り、車技は曲のり、これ以外にも猿回しとか雑多な曲技、
曲芸があり、百戯とも言う。ハラハラドキドキさせる技だ。
動物と人間の曲芸を2-3時間で見せるのが雑技だ。
魯迅はクマと子供だけでなくいろいろな雑技を見るのが好きだったのだろう。
本文で2つ取りあげたのは、曲芸師の収益源がこれらだと思ったのだろう。
雑文を生計の収益源にしていた魯迅が後に雑技と呼ばれるようになる戯法、
百戯を見るのが好きだったのも何か縁がありそうだ。
京劇のオリジンは元曲といわれるが、宋元時代に雑劇と呼ばれていたそうだ。
雑誌、雑貨、いろいろなものを取り混ぜる。
中国語で雑家とは日本語の雑学家のこと。雑は面白い。雑感も。
     2012/08/04訳
 
 
 
 
 
 
 
 

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