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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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青年と父親

青年と父親    敬一尊
 「欧風東漸」で、中国の道徳が地に落ちたといわれている。
とくに近頃の青年は、父親を馬鹿にするようになった。
大きな心得違いだと思う。いろんな例からみて、父親は青年にとって、
確かに助けになり、有益である。それは「文学修養」のためだけではない。
 古い文章に――書名は失念した――ある道士が不老長寿の術を有していて、
百才を越えているが「若い美青年」のようで、20歳前後に見えた。
この活神仙が名士たちを招宴している時、突然、髪もヒゲも白い老人が現れ、
彼にお金をせがみに来た。彼は老人を罵って追いかえした。
みんなはびっくりして不審に思っていると、活神仙は慨然として言った。
「あれは私の倅で、私の言う事をきかず、修業もしないので、
60歳前なのに、老けこんでしまってあのざまだ」と。
みなはその時はたいへん感動したが、後に、実は道士の父親だと知った。
 もう一つ新しい文章に――「楊某の自白」というのがある。彼は志ある人で、
学説もたいへん正しく、空話をするだけでなく、実行に移す。
しかし、いくつかの(ソビエト)地区で老人が苦しんでいるのを見て、父親を思い、
たとえ彼の理想が実現しても、父親を楽隠居させることはできないし、
相変わらず苦しまねばならないと思った。そこで更にもっと正しい学説を得て、
元の理想を捨てて、孝行息子になった。(社会主義から転向したとの意)
父母が早逝していたら、学説はこんなうまく、立派なものになったろうか?
これも父親が青年に役に立つ点ではなかろうか。
 では、早く父を亡くした青年はもう方法がないだろうか?
私はあると思う。やはり古書を調べねばならぬが。
もう一篇あり――書名失念――老女が飯を乞うていると、忽然、金持ちが現れ、
彼女は長い間、生き別れていた母だとし、彼女の方も人違いをそのままにして、
彼の母親になった。
その後、息子が娘を嫁がせるとして、母親と宝飾店に金の飾りを買いに出かけ、
彼女が気に入ったものを女房に見せるためにといって手に取り、母には引き続き、
他のものを選んで欲しいと言い残して去った――、それから彼は戻ってこなかった。
 これはやはりあの道士に学んだようで、必ず実際の物が必要なやり方だ。
ただ単なる自白の類は、父がいなくても、たいした影響はない。
以前ある人が「虚君共和」を提唱したことがあり、今「親がいない孝行息子」
がいて何の問題があろうか?(康有為が君を虚にした共和制を唱えた:出版社)
張宗昌(軍閥で尊孔読経を提唱した)は孔子をとても尊敬しているが、
彼の邸宅に「四書」「五経」があるとは限らぬと思う。
     11月7日
訳者雑感:
 魯迅は若くして父を失った。家産も傾いた。
それで科挙への勉強を辞めて、学費の要らぬ南京の西洋式学校に入った。
その後8年ほど日本に留学したが、その間に母親の願を叶えて親孝行のために、
母の選んだ文字も読めぬ女性と結婚した。そしてすぐ又日本に戻った。
父親という存在を失くした魯迅にとって、青年には父親が如何に大切か?
反対され、叱られたり、時には男としての意地から口論になったりするのも、
それを鑑として反省しながら、世の中に出てゆく。
最近(1930年代)の中国の青年は親父を馬鹿にすると聞いて、これを書く気になった。
心得違いだとしながらも、尊敬したり、馬鹿にしたりする対象として、親父がいる。
若くして居なくなったらとても悲しいことだ。
     2012/09/24訳
 
  
 
 
 
 
 

 
 

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文豪「商定」

文豪「商定」    白在宜
筆先は尖らせ、切りこまねばならぬ。言論の道が狭くなり、現在はまさしく生計の道
と同じだから(以上は発表時には「他の所へ切り込めぬのでとなっていた」)、
文芸雑誌の誇大広告に対してチクリとやる他ない。
 雑誌の広告では、作者はみな文豪で、中国文壇はまさに光焰(コーエン)万丈のようだが、
他方では、鼻でふんとあしらわれてもいる。
然るに著作に励み、作品を名山に蔵し、考古団が掘りだすのを待つような作家はいない。
自費で薄い冊子を作って友人に送る詩人もめったに遭遇しなくなった。
今日では、前週に原稿を書き、翌週に発表し、前月に切り貼りし、翌月に発表するのは、
たいてい稿料の為だ。
作者は腹ぺこだが、社会のために専心務めていると言えば、きっと赤面するだろう。
人が稿料の為に書いているのを笑う著名人でも、その嘲笑の文章でも稿料を取るだろう。
だが、別途収入のある者、或いは女房の持参金で暮らせる文豪はこの例に非ず。
 だいたい、根っこはすべて金であるから、上海の種々の文豪は「商が定める」のは、
「もうかなり前からのことだ」
 商家がある原稿を印刷後、封建勢力が強い時は、作者は封建文豪と宣伝し、
革命の時は革命文豪というぐあいに文豪等を封ずるのである。
他の本が出てきたら、別の広告にあちらの作者は真の封建或いは革命の文豪ではない。
こちらの方こそが本物だといい、一群の文豪を封じる。
また他の一家が各種広告の論戦を編集印刷し、作者が論評を加えると新たな文豪が出る。
 もう一つは、いろいろな役割を分担する一団をつくり、数人の詩人と小説家と、
一人の評論家でもって相談しあい、何とか社というものを設立し、広告を載せる。
彼の文豪を打倒し、こちらの文豪を担ぎあげる。
結果はやはり又一群の文豪たちを封じる。これも一種の「商(相談)で定める」だ。
 大体が根っこは金儲けだから、その後の書価は文豪等の真正な価値を示すことを、
免れぬ。8割引、ひと山50銭というのも有りうる。だが例外もある:
書店が倒産して作品が安売りされても、文豪等の末路とは限らぬ。
それは彼らが既に「上に這い上がって」大学や役所で地位を得ていて、
もうそんな踏み台が要らないからだ。
      11月7日
 
訳者雑感:
 原題は、「商定」文豪。作家を文豪として売り出すのは「商家」と「談合」。
「商」の字は商売の他に、商量「相談し話しあいで決める」という意味もある。
上海の文壇では雑誌を売って金を稼ぐのが「根っこ」にあるので、
出版社と一段の同人結社が文豪を世に送り出していたことが分かる。
今日の日本文壇はどうであろうか?
出版社の編集者の究極の目標は、売れる作家を見つけてきて、ベ
ストセラー作家に仕立て上げることだろう。
日本では上海のように「同人たちが一セットになって、評論家も取り込んで」文豪を、
世に送り出すことはあまりなくなったが、大正のころまではあったから上海と似た状況。
 最近では出版社でなく、書店の店員が選ぶ「ベストセラ―」なるものが平積みされて、
大売り出しされている。
根っこのところは金儲けというのは変わらない。
     2012/09/20訳
 
 

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古書から生きた語彙探し

古書から生きた語彙探し    羅憮
 古書から生きた語彙を探すとは、言うは易いが、できない相談で、
古書から生きた語彙は探し出せない。
 『「文選」を読める青年』がいたとして数名の高校生ということになろうが、
「文選」を開いて、一心に生きた語彙を探すと、当然ながら多くの字は,
既に死語になっていることが分かる。では、どの様にして字の死活を分別するか?
多分、自分が理解できるかが判断の基準となろう。
しかし、六臣注(唐代の6人が注を入れた「文選」)を読んでからのは数にいれない。
元は死語だったが、六臣注で彼の脳に入って、それで生きた語彙になったのであり、
たとえ脳内で復活したとはいえ、まだ『「文選」を読めない青年』の脳では死語だ。
従って、白文(注の無い原書)を見なければダメだ。
 実際、注を見ないで分かるのが生きた語彙だ。
しかし彼はどうしてそれを見る前に理解できたか?
多分、いつか他の本で見たか、今も応用されている語彙だから分かったのだ。
それでは、「文選」から一体何を探せるだろうか?
 然るに、施氏は言う:宮殿などの描写をするのに有用だ、と。
なるほど尤もで、「文選」の多くの賦は宮殿について講じており、
更には何とか殿という特定の賦すらある。
青年が漢晋の歴史小説を書こうとし、当時の宮殿を描写しようとする時、
「文選」を調べるのはごく当然のことだ。
更に「四史」(史記・漢書など)「晋書」なども読まねばならぬ。
しかし、取りあげた僻字(見慣れぬ字)も死屍から拾いあげたに過ぎず、
少しばかり神秘的に言うなら、「復活」させたということになる。
清朝の故宮を書くとなると、「文選」との関わりはごく少ない。
 清の故宮すら書く予定も無いのに、そんなに広範な準備をするのは、
実に徒労で、時間もまったく足りない。
それ以外に「易経」や「儀礼」もあり、その中の語彙は周の占いと、
婚姻葬儀の大事を描写するのに役に立つし「文学修養の基盤」とすべしだ。
それでこそ如何にも「文学青年」らしい。
              11月6日
訳者雑感:
 日本人が中国から学んだ漢籍は、殆どが中国人学者の注が入ったものを読んで、
字句と内容を理解したうえで、返り点とか一二の符号のついた「漢文」を読みくだし、
暗誦しながら法則と思想を学んできた。
 中国人も現代の青年は、口語訳付きの物でないと理解できないので、
書店には、絵入り、口語訳付きの「古典」がたくさん並んでいる。
口語訳が付けられる前は、魯迅の指摘するように、唐とか宋明の時代の注釈付き、
所謂「文選六臣注」とか「楚辞注疏」というような「注」が無ければ正しく理解するのは、
とても困難だったろう。
40年前、田中首相が周恩来と国交回復に漕ぎつけたとき、
田中はその喜びを漢詩にした。
それを聞いた毛沢東は、田中が漢詩に興味が深いというので、彼の書斎に招いた時、
田中首相は漢詩がお好きだそうだから、と「楚辞注疏」を彼に送った。
毛沢東の故郷の先哲、屈原の「楚辞」を読むには、毛沢東すら「注疏」が無いと難しい。
今、私が訳している「魯迅の作品」も、「出版社注」が無ければ、とても難しい。
こうした「注」の無い原書からの翻訳はより困難だったに違いない。
1930年代の中国の時事、論敵の「文章」、上海の風俗や方言等等。
         2012/09/18訳
    
 
 
 

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糊塗は難し

糊塗は難し  子明
 篆書の話しを聞いて、私は鄭板橋の印章で「難得糊塗」(糊塗は難し)
があったことを思い出した。
4字の篆刻はみごとに彫られていて、名士の不平を頗る上手に表している。
刻印や、篆字を書くのはある風格を反映しており、正に「木版を弄する」に
似ている。だが「只単なる個人的事情」ではないことが分かる。(施氏の言)
「まちがった変種」と「魔物」を篆書したら「妖怪の誤り」を帯びるようだ。
(以上は施氏への風刺)
 然るに、風格と情緒、傾向の類は単にひとにより異なるだけでなく、
物事や時によっても異なる。
鄭板橋の「難得糊塗」は実は彼はまだ糊塗(馬鹿)になれていないのである。
現在、「仕を求めて獲れなくも、悲しむに足りず。隠を求めてその地を得られず、
こそこそ逃げるは天下の哀の至りなどというなかれ」という時代だが、
実に糊塗を求めて得られないのである。
 糊塗主義、唯是非観等は無いが――本来中国の高尚な道徳である。
彼は解脱、達観したといっているが、必ずしもそうではない。
実は固執し、何かを堅持し、例えば、道徳的な正統、文学的正宗の類だ。
これをついには言いだしてきて:道徳は孔孟の他に「仏教の因果応報設」
(老荘は別の帳面に載せる)そしてひとが仏教の影響を卑しめるのは、
「儒家の為に正統を争おう」とするからであり、元来、同善社(道経の組織)
のいう三教同源論はとうの昔から正統になっている。
では文学はというと、渋い字を使い、詩のなかの美句を用い、しなやかな作品で、
且つ新文学でということになる。
彼は「新文学と旧文学に分けることを否認」しているが、
大衆文学は「もとより賛成」だが、「それは文学の中では傍流」であるという。
正統と正宗、これははっきりしている。
 人生に倦怠(うんで怠惰になる)するのは糊塗ではない!
現実の生活はもうそんなに「窮乏」しておるのに、青年に対して「仏教の因果応報説」や、
「文選」「荘子」「論語」「孟子」の中で修養を求めるよう要請していたが、
後には修養もどこかにいってしまい、ただ語彙だけが残った。
「自然景観、個人の事情、宮殿建築…の類を、「文選」などの本から探し出すのは、
いっこうに構わない」という。(施氏の発言)
 かつて厳復は何とか言う古書――多分「荘子」から――「幺匿」(ヨートク)の2字を、
Unitの訳語としたが、古雅であり音も意味も相関はしている。
だが、後に通用したのは「単位」だった。
厳老先生のこの種の「語彙」は大変多いが、大抵は復活できないだろう。
現在、「漢以後の詞、秦以前の字、西方文化がもたらした字と詞を総合的に使って、
我々の輝かしい新文学を創れる」と考えている人がいる。
この輝きは、字と詞の中にあるだけで、それはきっと古い墓の中の貴婦人のようで、
全身に珠の光、宝物の気はあるだろう。
しかし人生は寄せ集めにあるのではなく、創造にあるのだ。
数千百万の活き活きした人が創造しているのだ。
恨むべくは、人生は騒擾忙乱により、「その地を得られず、こそこそ逃げ出す」
ようにさせ、字と詞の中に逃れ、以て「是非を免れんと願う」も得られず。
それで、篆書や篆刻をしようとするのだ!
      11月6日
 
訳者雑感:
 秦の時代に隷書が作られ、文字の統一が為された。
この文章でいう秦以前の文字は隷書の前の篆書をさすのだろう。
漢以後の詞(ことば)とは漢以後の竹や木、そして紙に記されたことばだろう。
それに西方文化がもたらした字と詞をうまく使って新しい文学を、という人がいた。
それは単なる寄せ集めに過ぎない。
字と詞の世界に逃れて、真剣に人生に立ち向わない。それが中国の高尚な道徳だった。
人生を糊塗して生きようとして来た。しかし実際は糊塗するのは難しい。
           2012/09/17訳
 
 
 
 
 
 
 
 

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忠厚に帰る

忠厚に帰る      羅憮
 租界では、憎い女に硫酸をかけるようなことはとっくに無くなった。
憎い弁護士に汚物をかけるということも2カ月ほどで終わった。
一番長いのは、憎い文人をデマで中傷することで、これは何年も続いているが、
只これからは増えることは無く、減って行くと思う。
 租界には元々閑人が多く、「遊び人」も暮らしてゆけるし、時に馬将も打てる。
お妾さんもおしゃべりして暇をつぶす。私も時々デマを専らにしている雑誌を見る。
だが見るのはデマそのものではなく、デマを書く作家の手口で、どんな奇抜な幻想を、
どのように風変わりに描写し、どの様に険悪な陥穽を築き、どの様に姿をくらますか?
そういうことの原形を見るのだ。
デマにも才能が必要で、うまく造れば、たとえそれが私へのデマでも、
彼の本領を愛するようになるかも知れぬ。
 しかし大抵はそんな才能は無く、デマ文学の作者はやはり「下手な笛吹きも数でこなす」
しかない。これは私一人の意見ではない。文壇のゴシップを種にした小説は流行しない。
何何外史というのも出てこなくなったのは、読者がもう拒絶しているのである。
手を変え、品を換えてみても、幾つかのパターンの繰り返しだから、記憶が悪くても、
何回もだと飽きてしまう。続けようとするなら才能が要る:さもなくば舞台から下り、
別の劇に替えるべきだ。
 例えば、以前演じた「殺子報」(淫悪な子殺しの旧劇)は、今回は「三娘教子」
(節義思想の宣伝劇)に換え、「御主人にはい、はい」と答えるようにすべし。
 文場は劇場と同じで、やはりもうすでに徐々に「民徳は厚きに帰す」となり、
ある人はすでに声明を出し、当事者を変え、以前「作家の秘史を載せたが、
文壇の佳人の話とはいえ、忠厚を傷つけてしまった。
以後、本誌はこの種のものは載せない… 以前の言の責めについて…責任は負えぬ」
(「微言」参照)「忠厚」のために、「佳人の話」を犠牲にするのは、惜しいが敬すべし。
更に敬すべきは、当事者の交替。彼の「責めを負わず」を敬すに非ず。彼の徹底を敬す。
昔「屠刀を放下、即成仏」した人は「官印を放下、即成仏」したためで、
そして、ついには「数珠を放下、即官になった」人が、この種の玩意を弄ぶのは、
世間から大きな信頼を得るにはほど遠く:人に何かをさせるのも困ったことだ。
 だがもっと困ったことは、忠厚文学はデマ文学に比べ読者へのインパクトが弱い。
だから、それより優れた才能のある作家でなければならず、すぐ探し出せないと、
その雑誌の人気は衰えてしまう。
やはりまずは、かつて「おふざけ役」の道化役者に、長いヒゲを着け、
老生(中年の役)の戯曲を唱わせるのが良いと思う。
それなら暫くは何とか特別の趣も出てこよう。
     11月4日
付記: 本篇は発表できなかった。翌年6月19日、記。
 
訳者雑感:
 本篇は発表できなかった。というのは何故だろう。
文場という中国語をそのまま訳さずに使ったのは、劇場と同じだという文脈から、
文で読者を楽しませる場、即ち雑誌世界だが、雑誌以外にもいろいろあろう。
1930年代の上海で、どれほどの種類の雑誌が発行されていたのだろうか?
2010年の中国各地、各都市の通りに棚をひろげて新聞雑誌を売る店が沢山ある。
毎週、何部ほど発行しているか知らぬが、おびただしい数の刊行物が並んでいる。
それだけ買う人もいるわけだ。デマ・ゴシップ・写真・漫画・エログロ何でもあり。
1930年代の方が規制も厳しかったろうが、低級なものも一杯あったろう。
そんな雑誌世界に「忠厚に帰る」と題して、改善を求めた本篇は発表する場が無かった。
まさしく発表の「文場」が無かったことになる。
    2012/09/15訳
 
 
 

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反芻

反芻    元良
 「荘子」と「文選」の議論については、一部の雑誌にはもう直接この問題を、
みんなで研究するように取り上げなくなり、別の話題に変えてしまった。
彼らは「文選」に反対した人たちも自分ではかつて古文を書いていたのであり、
古書を読んでいたと嘲笑している。
 これはほんとにすさまじいことになった。
つまり「子の矛で、子の盾を攻めよ」だ――すみません、また「古書」だ!
 牢獄に入れられたことのない人は、牢獄の真相を知ることはできない。
偉い人のお伴か、或いは本人が偉い人なら、電話してから視察に行くと、
獄吏がとても愛想よく接し、罪人も英語を自在に話すのを視察するだけ。
詳細に知りたいなら、かつて獄吏だった男か、釈放された罪人に聞く事だ。
無論彼はまだ悪習から抜け出せていないが、彼が牢獄には決して入られぬように、
と忠告する言葉は、偉い人が、模範監獄の教育や衛生状態は、
貧乏人の家よりよほど完備して立派だという言葉より、ずっと信用できる。
 しかし牢獄の臭いがしみつくと、それが悪いことと言えなくなるそうで、
獄吏や囚人は、すべて悪い人で、悪い人はそれを良いとは言わない。
良い人が、牢獄は良いところだと言ってこそ、本当に良いのである。
「文選」を読んだことのある人が、それを役に立たぬと言うのは、
それを読んだことも無いのに、役に立つという人の言葉より聞こえが良くない。
反「文選」に反対する諸々の君子は、勿論その多くは読んだことのある人だろうが、
読んだこと無い人もおり――例を挙げると――
 『「荘子」は4年前に読んだが、当時完全には理解できなかった、…
「文選」は全く読んでいない』
それなのに、その文章の結末に言うには
『浴槽の水が汚れたため、赤子まで棄てようとする、この考えに我々は賛同しかねる』
(「火炬」参照)
彼は水中の「赤子」を助けようとしているのだが、「浴槽の水」は見たことが無い、
のである。
 五四運動の頃、文語保護者は、口語文を書く人は文語文も書けるのだから、
古文を読まねばならぬ、と説いた。
今、古書擁護者は、古書に反対する人たちも、現実には古書を読んでおり、
文語文も書いているではないか、という。その主張のおかしさが分かる。
永遠に反芻し続けて、自分で吐き出すことができない。
きっと本当に「荘子」を完璧に読みこんだのだろう。  
11月4日
 
訳者雑感:
 古文・古書の世界を牢獄に譬えている。
魯迅は子供のころから成人して以降も、その古書の牢獄に入っていたから、
そこから出ることが如何に大切かを訴えている。
と言いながらもしばしば古書を引用する。
「以子之矛、攻子之盾」はこれを口語に換えると間が抜けて聞こえる。
古書の世界が牢獄との主張が分からないので、初め何を言いたいのか分からなかった。
模範的な監獄を見て来た偉い人は、古文をたいして読んでもいないのに、
古文は文雅でこれを読まねばダメだという。
 しかし古文の世界にはまり込んで、反芻しかしないで、不要な部分をはきだせない。
それが、中国が西洋の新しい学問を取り入れるのを遅らせた原因・背景である、
と主張している。
 井戸に落ちた赤子は助ける、というのは人として当然のことだ。
しかし、浴槽の水が汚れたため、その中にいる赤子まで棄てるのには賛同しない。
この引用は、「文選」を読んだことのないと言う人が、
古書を十分読んだ上で、古書反対を唱える人たちの主張に賛同しかねるという意。
井戸のきれいな水の中に誤って落ちた子は救うのは当然のことだが、
汚れた浴槽の水の中の赤子は生きていれば当然救いだすのだが、
死んでいれば施すすべは無い。
      2012/09/14訳
 
 
 
 

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野獣訓練法

野獣訓練法     余銘
 最近またとても有益な講演があった。
(ドイツの)HagenbeckサーカスのSawade団長が、中華学芸社の3階で、
題して「如何に動物を訓練するか」という講演だ。
不幸にも私は傍聴できず、新聞で一部の記録を読んだだけだが、
大変多くの警抜的な話しがあり――
「野獣は武力やげんこつで対応圧迫できると考えている人がいるが、間違いだ。
それはかつて蛮人が野獣に対して使った方法だ。今の訓練のやり方は違う」
「今使っているのは、愛の力で彼らの人間への信頼を獲得し、愛の力と暖かい心で、
彼らを感動させる……」
 こういう話はゲルマン人の口から出たとはいえ、我らの聖賢の古訓と合致する。
武力で対応するのはいわゆる「覇道」だ。
「力でもって人を服させても、心服に非ず」である。 
だから文明人は、「王道」を用いて以て「信頼」を得ねばならぬ。
「民の信が無ければ(国は)立たず」だ。
だが「信頼」(関係)ができたら、野獣は曲芸を演じねばならなくなる。
「調教師は彼らの信頼を得た後、訓練できる:
第一歩として、坐る位置や立つ位置を覚えさせ、ぴょんと跳びはね、立ち上がらせ…」
野獣を訓練するというのは民を牧す、に通じる。
我々の古代の人は、民を治める人物を「牧」と称した。
しかし「牧」すのは牛羊で、野獣より弱いから「信頼」だけに頼る必要は無い。
げんこつを使っても構わぬし、それも堂々とした「威信」である。
 「威信」で育成した動物は「ぴょんと跳び、立ち上がる」だけでは十分でなく、
結果として毛や角、血肉を献上せねばならぬ。
少なくとも毎日乳を搾られ、牛乳羊乳の類だ。
だがこれは古いやり方で、現代に当てはまるとは思わない。
 Sawadeの講演後、更に余興があり、「東方大楽」と「チエンズ(羽蹴り)」の映画が、
上映されたが、詳細は報じられず、内容は知る由もないが、報じてくれれば、
それも大変面白いものだったろうと思う。  10月27日
 
訳者雑感:
 日本では「信なくば立たず」「無信不立」と簡略化して三木、小泉氏などが、
首相になる際に、座右の銘として公表している。
多くの選挙民はこれを「当選する自信がなければ立候補しない」と解している。
しかし原典の<論語・顔淵>には「民無信不立」というのは、
宋代の邢晑(曰の下は内)疏:の解釈として
「治国不可失信、失信則国不立也」とあり、
「国を治めるに、(民の)信を失ってはならぬ、失えば、国は成り立たぬ」意。
野獣を訓練するにはまず信頼をというのが、ゲルマン人サーカス団長の言葉。
民を訓練するには、同じように愛の力と暖かい心で民を感動させねばならぬ、と。
小泉劇場では、それに感動した選挙民が雪崩を打って投票し、
沢山のチルドレンを誕生させたが、短命内閣が3人続いて、すっかり民信を失った。
国が立ちゆかなくなる訳だ。
もともと有りもしない「愛の力と暖かい心」をある様に見せかけたに過ぎぬのだ。
本来は冷たい心で、自我を通すことに専念し、戦犯を祭る神社に参拝するのが、
信念だった人間なのだから。
    2012/09/13訳
 
 
 
 
 

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中国文と中国人

中国文と中国人    余銘
 最近とても良い翻訳が出た:高本漢著「中国語と中国文」(張世禄訳)だ。
高氏はスエーデン人で本姓はKarlgren。ではなぜ高と「姓を」つけたか。
それは疑いもなく中国化したからだ。彼は確かに中国語学に多大な功績がある。
 彼は中国人についても深い研究をしていて、彼は文語を大変崇拝していて、
中国の文字も崇拝していて、中国人には不可欠なものと考えている。
 彼が言うには:「近来――高氏のこの本は1923年ロンドンで出版された――
数紙の新聞は口語を試用してみたが、あまり成功していない:
多分、その為に多くの購読者の怒りにふれたようで、そう思うのは、
彼らが文語を読めないと風刺しているというわけだ!」
「西洋諸国の多くの俳優は、舞台で随時たくさんの<ギャグ>入れるし、
作者の多くは、やたらに他の文章を引用する:
だがそうするのは下等な風味とみなされている。
それが中国では正反対で、巧妙で文雅でかつ絶妙な点を示すものとみなされている」
 中国文の「曖昧な点は、中国人はそのために、理解困難と感じないだけでなく、
却ってそれを会得しようと願っているほどだ」
 しかし高氏自身はこのことで却って侮辱を受けている:
「本書の著者は親しい中国人との談話で、彼への言葉は完全に理解できる:
だが、彼ら同士が話すのは、殆ど一言も分からない」
 これは当然それらの「親しい中国人」が彼は上流社会の言葉を理解できない、と
「諷示」しているのであり、外国人が中国に来て、ちょっと注意すれば分かるが:
普通の人の言葉は良く分かるが、上流社会の話しは訳が分からぬ、ということだ。
 そこで彼は言う:「中国の文字は美しくて愛らしい貴婦人のようであり、
西洋文字はよく役に立つがブスの下女のようだ」
 美しく愛らしいが役に立たぬ貴婦人の「絶技」は、正に「ギャグをいれる」
曖昧さの中にある。
これは西洋第一等の学者をしても、せいぜい普通の中国人程度で、
とても上流には這い上がることを望めなくさせた。
かくして我々は「精神的勝利」を得た。
これを保持する為、巧妙文雅で語彙も豊富に持たねばならない!
五四口語運動が「あまり成功しなかった」原因は大抵上流社会で、
彼らが、文語が分からぬと人から諷されるのを怖れたためだ。
「これも一理、あれも亦一理だ」――
我々はやはり曖昧なのがいいようだ。さもないと却って困難と感じてしまうから。
     10月25日
 
訳者雑感:出版社注では、本文は瞿秋白が上海で魯迅との会話の中から得たものを、
文章にし、それに魯迅が手を入れて公表したものという。
瞿秋白は当局から睨まれていて、その後逮捕され処刑されるのだが、魯迅は彼を大変
信頼しており、彼への支援を続けた。
他にも何篇か彼の作品を人に清書してもらい彼のペンネームで出している。
 
Karlgrenは中国語と中国文では著名な学者で魯迅の言う通り、第一等の学者である。
文字として文語文はなんの問題もなく読解できたろうし、口語はペラペラだったろう。
しかし、その彼にしてからが、中国人同士が話しだしたらチンプンカンプンとなる。
多くのネイティブに近い中国語を話す日本人も、京劇の文語のセリフは、字幕が無いと
十分理解することは難しいという。これは一般の中国人すらそうだという。
彼らにとっても京劇の素養もなく、文字資料で目を通したものでないと百パーセント
理解するのは困難だと聞いた。
ドナルド・キーンさんはどうだろうか?
   2012/09/12記
 
 
 
 
 

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外国にもある

 
外国にもある    符霊 
 凡そ中国にある物は外国にもある。
外国人は、中国は南京虫が多いと言う。だが西洋にもいる:
日本人は、中国人は文字を弄ぶのが好きだとけなすが、日本人にも同類がいる。
非抵抗はガンジーがおり:外国人殴打禁止をしたのはヒットラーがいる:
クインシ―はアヘンを吸い、ドストエフスキーは博打で身を滅ぼした。
スイフトは枷をはめられ(これはデフォーの誤記:出版社)、
反動にはマルクスがいる。(蒋介石政府は反政府行為を反動と決めつけた)
誘拐はリンドバーグ大佐の子がいる。(当時は誘拐が横行していた)
纏足とハイヒールの間に大差はない。
 ただ外国人は、我々中国人は公益を無視し、私利のみ追求し、金の亡者という。
これには弁解の余地は無い。
 民国以来どれほど多くの総統や高官が下野後、みなとても太り、詩を賦し、観劇し、
念仏を唱え、飽食しているのは、まさに批評家に証拠を与えているわけだ。
だが、思いがけず私は発見した:このような事は外国にもある! と。
 
 「17日ハバナ電――カナダに逃亡中のキューバ前総統マチャド氏は、…
彼のキューバに残した財産8百万ドルを、誰か回収してくれるなら、
援助を惜しまぬ、と。
又一方、キューバ政府は、マチャドと旧属僚38人に逮捕状を出し、
彼らの財産を差し押さえ、その額25百万ドルに達した…」
38人で25百万ドルとは、手段もたいしたことは無いが、ある程度稼いだのは確かだ。
 
『これは我々の「高官」たちの恥をそそぐに十分足るものだ。
だが私はやはり彼らが外国で土地を買い、外国の銀行に預金を持つことを望む。
そうすれば、我々が外国人と有利に交渉できるから』(『』内は全て傍点付き)
 もし仮に、世界中に南京虫のいる家が一軒だけだとして、他の人から指摘されたら、
実にいい気はしないが、捕まえるのも難儀なことだ。
ましてや、北京には一種の学説があり、南京虫は捕まえきれない、捕まえれば、
捕まえるほど多くなるというのだ。
すべて捕まえて見たところで、一体何の価値がなるのか、一種の消極的方法に過ぎぬ。
やはり何といっても、他の家にも南京虫がいてくれれば良いと思うのだ。
そしてそれを見つければなおさら良いと思うのだ。
発見するというのは、積極的なことだ。コロンブスとエジソンも発見や発明をした、
というだけにすぎない。
 そんなことに心身を疲れさすより、ダンスをしたりコーヒーを飲む方が良い。
それは外国にもあり、パリにはたくさんのダンスホールとカフェ―がある。
 『たとえ中国がすべて滅びたとしても、何も驚くにあたらない、
君聞かずや、Chaldaea(新バビロン王国)とMacedoniaのことを?
――外国にもあるのだ!    10月19日
 
訳者雑感:
 総統や高官が下野した後、云々は 歴代の韓国の大統領、台湾の陳水扁氏など
30年代の中国の状況は21世紀の東アジアでも相変わらずの状況だ。
今回の李氏の竹島上陸も下野後に逮捕されるのを防ぐため、反日愛国活動に貢献した、
ということで、減刑してもらうか、あわよくば不逮捕、不起訴に持ち込みたいというのが、
主たる動機だと言う説もあるほどだ。兄が逮捕されたのが引き金だとか。
 しかし民国時代は高官が身代金目的で誘拐されたり、暗殺されたりしたが、
優雅な暮らしを享受した高官もいたようだ。
 
纏足とハイヒールは元々の発想が同じで、西洋人は纏足を酷いことだとするが、
ハイヒールも50歩100歩だというのが魯迅の意見だが、それはどうか分からない。
 
この文章はかなり逆説的で、投げやり的な印象も持つが、南京虫が1軒だけにいたのなら
大変恥ずかしいことだが、世界中にいる云々の段は非常な風刺を感じる。
北京の学説だと、捕まえても、捕まえても減らない。より増えてしまうという。
 
最近の北京のトイレは臭いのと非衛生的との非難を受けて、衛生の基準を決め、
ハエは2匹までなら許容するがそれ以上のトイレを厳しく規制する云々という。
この辺の基準の置き方は、我々の感覚からするとだいぶ隔たりを感じる。
許容という概念が異なっている。1匹でもいたら非衛生だというのが日本の常識。
2匹までなら許容するというのは、どういう発想から来るのだろうか。
     2012/09/11訳

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「滑稽」の一般解釈

「滑稽」の一般解釈   葦索
 世界文学の研究者によれば:フランス人は機智に富み、ロシア人は風刺、
英米人はユーモアに富む由。その通りで、これは社会情勢がしからしめたものだ。
林語堂大師の「ユーモア」振興以来、この言葉は通用し始めたが、
普及するとすぐ危機が待ち伏せていて、それはちょうど軍人が仏の子と自称し、
高官が突如念珠をかけるようになって、仏法が涅槃に入るのと同様。
もし、滑稽、軽薄、猥雑がみな「ユーモア」に入るのなら、
「新劇」が、「X世界」(大世界等の盛り場)に入るときっと「文明劇」となるだろう。
 この危険は中国人がこれまであまりユーモアを持ち合わせてこなかった為だ。
滑稽はあったが、それはユーモアとは大きく異なり、日本人はかつて「ユーモア」を
「有情の滑稽」と訳したくらいで、単なる「滑稽」とは別なものである。
では中国にはただ滑稽文しかないかといえば、そうでもない。
中国の滑稽文と思われるのはやはり狡滑、軽薄、猥雑な話しで、ほんとの滑稽とは、
別のものである。
「狸と猫が太子を換える」という劇の鍵は、従来は真面目な言論と事実だ、
と思っていたのは、大抵は滑稽なものが多く、人々は見慣れてきて、
だんだんそれを当たり前のことと思い、狡滑なのも滑稽とかんちがいしてしまった。
 中国で滑稽を探すなら、所謂滑稽物でなく、まじめな物から探すべきだ。
しかしそれは少しよく考えないといけない。
 そうした名文は拾いあげればきりがない。例えば新聞にまじめなテーマで、
「中日交渉漸く佳境に入る」とか「中国はどこへ」とかいうのは皆そうである。
噛めば噛むほどオリーブのように味が出て来る。
 新聞広告にもある。ある雑誌に自ら「世論の新権威」と自称するひとが、
「一般人が言おうとしても言えなかったことを発表し」その一方で別の雑誌に、
「誤解しており、お詫びする」というが、「双方とも社会的名声のある雑誌」ゆえ、
「互いに相手のミスを攻撃せぬ方が良い」云々という輩がいる。
「新権威」は「誤解が得意」で、「誤解」は「名声のある人」に偏している。
「一般人が言いたくても言えない話」は誤解であり遺憾である:
これを笑わずにすまそうとするなら、思索を停止せねばならぬ。
 新聞の寸評にもある。
例えば9月の「自由談」の「登竜術拾遺」に、資産家の婿になるのも「兜竜術」
のひとつだ、と書いた。暫くしたら反攻を招き、初めに:
「キツネが葡萄を食べられないのは、酸っぱいからだというのは、
資産家の娘を娶ることができないから、資産家の岳父を持つすべての男に対する、
嫉妬の結果、攻撃するのだ」という。
これを見て、どういうことかちょっと分からなかったが、考えた結果、
この作者は「資産家の妻」の味がどれほど甘いか知っている事を明確に表明している。
このような妙文の多くは、外面的に堂々とした公文にもよくある:
それは決してギャグ化してなくても、それ自体がもともとギャグなのだ。
(雑誌の)「論語」の1年で、私は「古香斎」欄を愛読したが、
四川の営山県長が長い服を禁じた令に言う如く:
「服は体を蔽えば足ると知るべし。前も後ろも長くして布を浪費する必要はない。
国勢が衰弱しており… 時局の艱難を思えば、後患はどれほどか考えても恐ろしい」
又、北平社会局が女性の雄犬を飼うのを禁じた文に言う:
「女が雄犬と共に入ると、単に健康を害すのみならず、更には無恥な醜聞を発生し易く、
これは我が礼儀の邦から鑑みて、習俗として許すべからざるものである。
謹んでここに特令し厳禁する…凡そ婦女が雄犬を連れ歩き、飼うものがあれば、
之を斬首して赦さぬよう取り締まれ!」
 これはどこの滑稽作家といえども、なんのネタも無しに書けるものではない。
 だが「古香斎」に収められた妙文は往々、奇詭に傾き、滑稽さは平常の文に如かず。
ただそれが平常な話しほど、滑稽さを増すということになると、
そういう点から言えば、私はやはり「甘い葡萄」の方を推薦する。
                   10月19日
 
訳者雑感:
 資産家の婿となって有名になったのは漢代の司馬相如と卓文君の物語が有名だ。
京劇のテーマにも皇帝の娘婿になって出世する話がある。
これは田舎から糟糠の妻が都に夫を探しに来て、夫だとすがるのを人違いだとする、
冷たい仕打ちを咎める筋書きだが。
 文筆で出世するには、資産家の婿になり、その力を借りて名を売る。
戦前の上海にはそんな手合いが結構いたのだろう。或いは親の七光とか。
魯迅は上海で生まれた子に対して、「いい加減な物しか書けないような作家にはなるな」
と戒めている。魯迅の息子というだけで、書いたものが売れるのだ。
今の日本にも誰それの子ということで本を出せば、買う人がいる。
書店はといえば、内容云々より、売れるかどうかが先に来る。
 滑稽な話である。
             2012/08/29訳
 
 
 

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