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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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野獣訓練法

野獣訓練法     余銘
 最近またとても有益な講演があった。
(ドイツの)HagenbeckサーカスのSawade団長が、中華学芸社の3階で、
題して「如何に動物を訓練するか」という講演だ。
不幸にも私は傍聴できず、新聞で一部の記録を読んだだけだが、
大変多くの警抜的な話しがあり――
「野獣は武力やげんこつで対応圧迫できると考えている人がいるが、間違いだ。
それはかつて蛮人が野獣に対して使った方法だ。今の訓練のやり方は違う」
「今使っているのは、愛の力で彼らの人間への信頼を獲得し、愛の力と暖かい心で、
彼らを感動させる……」
 こういう話はゲルマン人の口から出たとはいえ、我らの聖賢の古訓と合致する。
武力で対応するのはいわゆる「覇道」だ。
「力でもって人を服させても、心服に非ず」である。 
だから文明人は、「王道」を用いて以て「信頼」を得ねばならぬ。
「民の信が無ければ(国は)立たず」だ。
だが「信頼」(関係)ができたら、野獣は曲芸を演じねばならなくなる。
「調教師は彼らの信頼を得た後、訓練できる:
第一歩として、坐る位置や立つ位置を覚えさせ、ぴょんと跳びはね、立ち上がらせ…」
野獣を訓練するというのは民を牧す、に通じる。
我々の古代の人は、民を治める人物を「牧」と称した。
しかし「牧」すのは牛羊で、野獣より弱いから「信頼」だけに頼る必要は無い。
げんこつを使っても構わぬし、それも堂々とした「威信」である。
 「威信」で育成した動物は「ぴょんと跳び、立ち上がる」だけでは十分でなく、
結果として毛や角、血肉を献上せねばならぬ。
少なくとも毎日乳を搾られ、牛乳羊乳の類だ。
だがこれは古いやり方で、現代に当てはまるとは思わない。
 Sawadeの講演後、更に余興があり、「東方大楽」と「チエンズ(羽蹴り)」の映画が、
上映されたが、詳細は報じられず、内容は知る由もないが、報じてくれれば、
それも大変面白いものだったろうと思う。  10月27日
 
訳者雑感:
 日本では「信なくば立たず」「無信不立」と簡略化して三木、小泉氏などが、
首相になる際に、座右の銘として公表している。
多くの選挙民はこれを「当選する自信がなければ立候補しない」と解している。
しかし原典の<論語・顔淵>には「民無信不立」というのは、
宋代の邢晑(曰の下は内)疏:の解釈として
「治国不可失信、失信則国不立也」とあり、
「国を治めるに、(民の)信を失ってはならぬ、失えば、国は成り立たぬ」意。
野獣を訓練するにはまず信頼をというのが、ゲルマン人サーカス団長の言葉。
民を訓練するには、同じように愛の力と暖かい心で民を感動させねばならぬ、と。
小泉劇場では、それに感動した選挙民が雪崩を打って投票し、
沢山のチルドレンを誕生させたが、短命内閣が3人続いて、すっかり民信を失った。
国が立ちゆかなくなる訳だ。
もともと有りもしない「愛の力と暖かい心」をある様に見せかけたに過ぎぬのだ。
本来は冷たい心で、自我を通すことに専念し、戦犯を祭る神社に参拝するのが、
信念だった人間なのだから。
    2012/09/13訳
 
 
 
 
 

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