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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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責任を負わぬ戦車

責任を負わぬ戦車
 最近紙上で、江西人が初めて戦車を見たと報じた。勿論江西人には良い眼福だ。
だが、ある人は不安そうに又戦車義捐金を取られるのでは、と怖れる。
私は別の事を下記する:
 自称「張」という人が「私は言論の不自由を擁護する者で…言論が不自由でこそ、
良い文章が生まれ、所謂、冷笑諷刺ユーモアその他の諸々が、責任を負わぬ文体で、
強制的圧迫の下で応用されて生まれる」と言った。
これは所謂責任を負わぬ文体だが、戦車との比較においてどうか、分からない。
 風刺などがなぜ責任を負わぬか、私はほんとうにわからない。
だが人々が「根拠の無い話」はなぜダメなのかという議論や、「暗闇から矢を放ち」
どのように天才を射殺するか、などを多年に亘って聞いてきた。
長い間、そうだということは何やら道理がありそうである。
大体のところ、人を罵るのは、好漢になれない肝の小さいものがすることだが、
厚い鉄板に隠れ――戦車から、パンパンと爆撃するのは痛快至極だが肝は大きくない。
 高等人はこれまで厚い物の後に隠れ、人を殺すのが上手かった。
昔は厚い城壁で、盗賊や匪賊を防いだ。今は鋼鉄の防弾チョッキ、鉄甲車、戦車だ。
「民国」と私有財産を保障する重厚な法律本もとても分厚いものである。
天子から卿大臣の棺材も庶民のよりとても厚い。面の皮の厚さも古礼に合っている。
 只、下等人が自衛したいといっても「責任は負えぬ」と嘲笑されるのが落ちだ。
 「さあ出てこい!出てこい!影に隠れて根拠の無いことを喚くのは卑怯者ぞ!」
 但、君が当局のペテンにはまり、本当に丸裸で前線に飛び出して行くと、
あたかも許褚(三国志の豪傑)のような好漢にみえるが、相手はすぐ一発ぶちかまし、
まったく何の遠慮もしない。しかる後、金聖嘆の「三国演義」を批す筆法をまねて、
罵声一発「誰がお前に丸裸で出てこいと言った」――死にそこない。
要するに、死ぬも生きるもすべて罪ありとなる。
実に人となるはとても難しく、戦車になるはとても容易なのがわかる。5月6日
 
訳者雑感:正月3日の「南方週末」の記事すりかえを巡る抗議とストライキに、
ネット市民や北京の出版社などが反応し、「言論の自由」をと叫んでいる。
以前の中国では、こういう当局の勝手な「すりかえ」は、それ自体も報じられず、
それゆえに、それに反対するストライキや抗議も報じられることは無かった。
「言論が不自由だから…」こうした抗議行動が讃えられている。
魯迅の時代ももちろん国民党政府を批判する記事・文章を新聞に発表しようにも、
当局が印刷を許可しなかったから、検閲を「すりぬけられる」文章をひねり出した。
それが良い文章かどうかは、わからない。ただ相当頭脳を使わないと書けない。
「南方週末」の記者たちはどうなるだろう。 2013/01/10記

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