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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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小説のテーマについての書信

L.S.様 (魯迅宛て)
 この様な失礼な手紙を出すのは、先生を煩わせるだけと思い、長く控えてまいりましたが、我々の心に描く先生なら、きっと熱心な青年が教えを請うのを、冷たくはされないだろうと思い、何度も思いあぐねた末、唐突ながら我々の文芸上の――特に短編小説についての疑問と迷いを書いた次第です。
 我々は幾つか短編小説を書きました。テーマは:一つは良く知っているプチブル青年で、彼が今日直面する顕在化している問題と潜伏している一般的な弱点を、風刺的な手法で描いたもの:もう一つは、よく知っている下層人――現代の大きな潮流の衝撃の圏外にいる下層の人間が、生活の重圧下でも強烈に生を求める欲望の漠然とした反抗の衝動を創作に
取りあげたもの――こうした内容の作品が果たして現代に貢献、意義があると言えるか?
最初ためらい、叉筆をとっても迷いが生じました。先生にお尋ねして指示を仰ぐべきだと考えました。文芸上の努力が今の時代には精力の無駄使いで、何の意味も無いことになるのを望まぬからです。
 我々はこの時代に我々の力を意義ある文芸にそそぎ、我々の微力を捧げて文芸に貢献しようと思います。先生の指摘されるような、少し名が売れたらすぐ他の方向に転じる文人にはなりません。今先生が指示して下されば、その指示は我々の一生に影響を与えます。これまで多くのプロレタリア作家の創作を読みましたが、虚構の人物を取り上げ、彼に身を翻らせ、革命を起こすというようなのは考えていません。何人かのよく知っているモデルを使って、真実を描きたい。この考えが妥当かどうか、よく分かりません。
従って何度も考え、非礼を顧みず、唐突に先生にお尋ねしようとしたのです。
 お元気にお過ごしください。 Ts.c.Y 及びY,b,Tより。

返信
 Y.T.ご両人様:
 来信拝受。返事が遅れました。流感にかかり頭が重く、目は腫れて一字も書けず、この頃ようやく回復しましたのでお返事します。同じ上海に居ながら1カ月も伸ばしてすみませんでした。
 お二人が問われているのは、短編小説を書く時のとりあげるべき材料についてですね。
そして作者の立場は手紙にあるようにプチブルの立場ですね。もし戦闘している無産者なら、ただそのまま書いたものが芸術的なものになるのなら、どんなことを描いても、どんな材料でも、現代と将来に必ず貢献できるでしょう。それは作者本人が戦闘者だからです。
 だがお二人はその階級ではないから、筆を動かす前に、お手紙の様な疑問が生じたので、思うに、それは今の時代はまだ意義があるが、永遠にこのような気持ちでいてはいけません。
 他の階級の文芸作hンは大抵今まさに戦っている無産者とは関係ありません。プチブルは無産階級と軌を一にしないで、それを憎悪とか同じ階級を風刺するのは、無産者からみれば、ちょうど聡明で才のある公子が家庭内のドラ息子を憎むのと同じで、身内のことで、
そんなことに構っていられないし、損得などいうまでもありません。例えば、フランスの
Gautierはブルジョアを痛烈に恨んだが、本人は根っからのブルジョア作家だった。下層人物を書くなら(私は彼らが「現代の大潮流の衝撃圏外」とは思わないが、所謂それを客観するのは、楼上からの冷めた目で、所謂同情も空虚なお布施で、無産者には何の助けにもなりません。しかも後になって、どうなるかも分かりません。例えばフランスのボード・
レールはパリコミューンが起こった時、大変感動し賛同したが、勢力が大きくなると、自分の生活に有害になると感じ、反動に変わりました。だが、今の中国では、二つのテーマはまだ存在意義があると思います。第一種は同じ階級でないと深く知ることはできないので、襲撃して仮面をはがすのは、内部の状況を熟知しない者より力があります。
 第二種は、生活の状況は時代に伴って変わりますから、将来の作者が読むことができるから、時代とともに記録してゆけば、少なくとも一時代の記録ができます。だから、現在と将来に対して意義がありましょう、しかしたとえ「熟知」していても「正確」とは限らず、その有意義な点を取り出し、指し示せればその意義は大きく明らかに拡大されます。
それが正しい評論家の任務です。二人はそれぞれ今書けるテーマについて、書き始めたらよいと思います。だが材料を選ぶのは、厳格で深く掘り下げ、小さな屑の様な意味のない
事で、一篇を仕上げて、自ら創作したと思っていてはいけません。
 こうして書いてゆくと、ある時必ずよく書けたと思えるようになります――このような
題材の人物はたとえ数十年後でも、残滓として残り、その時には更に深く描写してゆけば、
別の作者が別の見方もできましょう。しかし二人は目下前進中の青年だから、時代に対して、何とか力になり貢献したいとの意志を抱いているのですから、その時にはきっと徐々に自分の生活と意識を乗り越えて、新しい道を発見できることでしょう。
 要約しますと、私の意見は:今、何か書けるならそれを書くことです。時代におもねらず、また無理やり突然変異の革命英雄を描いて「革命文学」と自称することはない:但し、
そのいい加減のところで安住し、何の改革もせずに自分を沈没させ、時代への助力と貢献を失ってしまうのはいけません。
 以上、ご返事まで。お元気に。  L.S.啓上   12月25日

訳者雑感:
 二人の真面目な青年への返信を見て、夏目漱石が多くの青年たちに出した手紙を思い起こした。二人の手紙から受ける印象は、二人とも彼らに手紙を出してくる青年たちの心を読み取り、それを彼ら自身の創作の糧にもしていると思われる点である。
 同時代に生きる自分より若い人たちの感受性を、自分の中に取り込んで、自分のこやし
にもしていると言える。
    2011/10/26訳

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