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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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北斗雑誌社の問いへの返答

――どう創作するか
 編集者殿:
 お尋ねの件は米国の作家や上海の教授に訊いてください。「小説の書き方」「小説作法」については彼らの方が得意です。私は20余編の短編小説を書きましたが、何の「定見」も無く、中国語は話せるが「文法入門」は書けぬこと同じです。が、せっかくのお尋ねをむげにもできませんから、私のこまごまとした経験を下記します――
1.いろんな事に留意し、できる限り多く見た。少し見ただけですぐ書くことはせず。
2.書けぬ時は無理して書かなかった。
3.モデルは特定の一人じゃなく、たくさんの人からよりあつめた。
4.書き終えたら少なくとも2度読み返し、極力無くてもよい句、段は惜しむことなく
削除した。むしろ小説の材料をSketchはしたが、Sketchしたものを小説に引き伸ばさぬようにした。
5.外国の短編小説を読んだ。殆どすべては北欧・東欧のもの。日本の作品も読んだ。
6.自分以外誰も分からぬ形容詞を造語しなかった。
7.「小説作法」の類は信用しなかった。
8.中国の所謂「評論家」の類の話を信用せず、信頼できる外国の評論家の評論を読んだ。
 今言えるのはこれだけです。以上ご返事まで。よろしく。

訳者雑感:ここに書かれているのは、魯迅自らが省みての言葉だ。これはこれから創作を
する人のための「作法」「書き方」についてではない。彼がこういうふうにしてきた、という経験をことこまかに記述したものだ。
 彼にはこれしか書けなかった、という述懐でもある。中長編小説などの創作をするような素地とか気質は元来無かったかもしれない。
 彼の作品は読み終えた後、彼の描きたかったことの映像がくっきりと残るのは、それが彼が丁寧に無駄を省いてクリアカットしたからだろう。彼はSketchを書くのに長けていたが、それを引き伸ばして中長編にすることは苦手だったかもしれない。
   2011/10/21訳


高校生雑誌社の質問に答えて」
 『先生の前に高校生が来て、この内憂外患迫る大変な時代に、どんなことを話し、どのような方針で努力せよ、と言われますか?』との問いに:
 編集者殿:
 貴方にお尋ねしたいが、今言論の自由はありますか?もし、無いというなら、何も答えられなくても、お咎めになることはないと思う。もしも「目の前に立った一高校生」ということで何か言えといわれるなら:何はさておき、言論の自由を勝ち取るよう努めよ、と答えるでしょう。



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