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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「野草」英訳本の序

 Y.S氏が彼の友人経由「野草」の英訳を見せ、何かひとこと書けという。私は英文が
分からぬので、自分のことしか書けない。但私は訳者が彼の希望の半分しか応えられぬことを怨まないで欲しい。
 20数編の小品は、各篇に注記したように、1924―26年、北京で「語絲」に載せたもの。
大抵は折々の小さな感想に過ぎぬ。当時直接ものを言うのが憚られたので、時には大変あいまいな措辞となった。
 今、いくつか例を挙げる。当時盛んだった失恋詩を風刺するため「我が失恋」を書いた。
世間に傍観者が多いのを憎んで「復仇」第一篇を書き、青年が意気消沈しているのに驚き、
「希望」を書いた。「この様な戦士」は文人学者たちが軍閥に協力するのに感じて作った。
「臘月」はエゴイストが自己保身するのを書き、段祺瑞政府が徒手の民衆を射殺した後、
「淡い血痕の中に」を書き、その時私は既に別の場所に避難していたが:奉天派と直隷派の軍閥戦争時「まどろみ」を書いた。その後私はもう北京におられなくなった。
 だからこれも大半は寂れ果てた地獄の周辺に咲いた血の気の失せた白い小さな花で、当然ながら美しくもなんともない。ただ、この地獄も必ずなくさねばならない。これは何人かの雄弁さと辣腕の手により、当時まだ志を得ぬ英雄たちの顔の色と語気が、私に訴えかけてきた言葉である。それで私は「失われた地獄」を書いた。
 後になるともうこうした物は書かなくなった。日々変化する時代に、もはやこうした文章を書くことが許されなくなり、甚だしきはこの様な感想の存在さえ許さなくなった。思うにそれで良いか、と。訳書の為の序もこの辺りで終わるべきだろう。 11月5日

訳者雑感:魯迅は作品中に英語の文章をそのまま引用しており、英語の本は問題なく読めた筈だが、自作の「野草」の英訳について何か書いてくれと言うのに対して、「英語は分からぬ」として、作品の成立背景と意図を簡潔に記すのみで「序」を終えた。
 1926年の北京の上空には軍閥の軍用飛行機が飛び交い、段祺瑞政府は徒手空拳の学生や
民衆が請願に来たのを無差別に銃殺した。まさに地獄であった。それをなくすべきとして、
この「野草」を書けと、「志を得ぬ英雄たちの顔の色と語気」が(その地獄でうめきながら)
彼にこれを書かせたのだ。
 「絶望が虚妄なのは、希望がそうであるのと同じだ」
希望が虚妄なのだから、絶望が虚妄だとして絶望するにはあたらない。
  2011/10/16訳

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