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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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現代映画と有産階級 その4

訳者付記(訳者としての魯迅の)
 本編の題は元来「宣伝扇動手段としての映画」だった。 所謂「宣伝・扇動」は、元は支配階級のその方面を指して言った言葉で「造反」とは全く無関係だった。 この呼び方を今は多くの人が嫌っている。支配階級のその筋は特にそうだ。その原因は本文の第7章「映画と小市民」の前段に明らかだ。  また本編はもともと「映画と資本主義」の一部だったが、未完のままで、 これは「新興芸術」1-2号の初稿から翻訳した。作者は編末に声明を出し、 それを訳出すると 『私の「映画と資本主義」は元来本稿に続けて社会的逃避映画、プロレタリア階級の宣伝映画など、順次テーマとして完成の予定だった。が、僅か有産階級映画を上記の様に研究したのみで、暫時筆を置くことになった。
 叉本稿は項目ごとに、独立の研究の様に広範な材料を取り上げ、極めて概括的な一瞥を与えているに過ぎず、この点、全編は常識的に過ぎることになった。私自身も頗る残念に思う』
 ただ私は偶然これを読み、大変有益と思った。上海の新聞に映画の広告は毎日大概全2ページを割き、次から次に競って何万人動員、製作に何百万かけ云々と誇り「とても風情のある、ロマンチック、エロチック(或いは悲しくも美しい)、肉感的、滑稽、恋愛、熱情、 冒険、勇壮、任侠、神秘奇怪…空前の大作」などこれを見ないと死んでも死にきれないと、感じさせるほどだ。今この小さな鏡で照らすと、こうした宝は十中八九はこの本文に挙げられたものの一類に帰納でき、どんな目論みで、何を目的にしているか全て分かる。但し、それらの映画は本来中国人を対象としていないから中国に持ち込まれた目的は、製作字の目論みと異なり、旧式の銃砲を武人に売って、ちょっと金もうけするのと同じだ。中国人はこうした見解に対して、勿論彼ら本国人とは異なり、広告宣伝の客を引き付けようとする文句を見ただけで、そのことが良く分かり、各種のフィルムは大抵ただ「とても風情のある、ロマンチック、エロチック(或いは悲しくも美しい)、肉感的…」となる。然るにぼわーっとした中にも効き目があり、彼らが「勇壮な任侠」の戦争大作を見て、 思いがけなく、ヒーローはかくも英武にすぐれていると感じ、自分は奴才に過ぎず、 また「とても風情のある、ロマンチックな愛情大作を見て、その夫人はかくも「肉感」があると感じどうにもしかたなく――自分が他に及ばぬと引け目を感じ、白系ロシアの妓女を買って自ら慰むくらいは今もできる、と。  アフリカの土人は白人の鉄砲を大変好み、米国の黒人はいつも白人の女を強奸しようと思い、火あぶりの刑にあってもそれを止めさせられない。彼らが実際に「大作」を見たからだ。しかし文(明)と野(蛮)の差は大きく、中国人は古い文明国人だから、たいてい、
敬服しても実際の行動には至らぬ。  自分で読んだ後、上記の如き感想をもったので、一部を読者に紹介し、長い時間をかけ、訳出した。 原文は元々大変簡潔だが、映画は門外漢の私ゆえ、一般的な術語も調査が要り、
他の人より煩雑で難しい点も多く、色々な問題も出てきて去年の古新聞を引っくり返しても、探し出せないのは「硬訳」にするしか無く、更に誤訳も免れまい。只、大体において読者には何らかの貢献ができると信じる。
 去年米国の「任侠スター」Douglas Fairbanksはお金が貯まったので、東洋に遊びに来た。 上海の団体が幾つか歓迎の準備をした。中国は元来「俳優を贔屓にする」クセがあり、加えて、唐宋来、生を偸む小市民は、自分に代わって鬱憤をはらしてくれる「剣侠」を崇拝し、「七侠五義」「七剣十八侠」「荒山怪侠」「荒林女侠」…など枚挙にいとまがない。映画を見ればすぐ外国の「七侠五義」即ち「三銃士」の類を敬服する。古い外国の侠客は すでに往き、今はただ外国の侠客を演じる外国の演劇を敬服するほかない。まあ「屠門を過ぎ、大いに嚼(しゃく)し肉を得られずとも叉快なり」(「文選」曹植の「与呉季重書 で、まさに梅蘭芳を贔屓にする者は、彼が演じる天女、黛玉などと関係ないとは断じて 言えないというが如く、怪しむに足りぬ。
 ただ、一部の人は反対し、彼が「バグダッドの盗賊」を演じた時、蒙古の太子を投げ殺したのは、中国を辱めた、と非難した。その実「バグダッドの盗賊」のヒーローは、密か
に、二階級昇進し、ついには王様の娘婿になり、まさに続く第7巻で詳細に説くように小市民或いは無産者をして「この飛翔する物語に激励され、有産階級に忠義を尽くすこと
を、誓おうとする気にさせる」娯楽映画であって、中国を辱めるものではない。いわんや、
物語は「千夜一夜」の物で、Fairbanksは作者でも監督でもないし、我々も蒙古の太子の
子孫や奴才でもないから、彼に対して、ドルの為に演じる一個人に対してかくも真剣に、
怒ることも無い。ただ、端無くも怒ったからには、これも中国によくある慣例で怪しむに
足りぬよくあることだ。
後に、 F氏が来華し、ある団体が歓迎会を開こうとしたが、大きな障害にぶつかり、「F氏
の代理人がF氏は公共の宴席には絶対に出ない、という」ので、外国の侠客の尊顔を拝す
る光栄に浴せなくなった。F氏は「日本到着後、全日程はすべて日本人によって手配され、
かつ東京に着くや映画館に行き、日本の民衆にまみえた」(民国18年12月19日「電報」)
我々当地の蒙古王の子孫は更に没落の感に堪えず、上海映画協会は丁寧に抑揚した手紙を
「大芸術家」宛てに出した。全文は極めて研究に値するところがあるが、紙幅の関係から、
一部のみ摘録すると――
『 「バグダッドの盗賊」で蒙古の太子の演技の状況が極めて劣悪だったことは、東方の
歴史を知らぬ観客に東方民族の性質を知らない人に、良くない印象を与えるのは人類相愛
の過程で、大変大きな障碍となる。東方中華民国人民の状態は、あの演じられたように、
劣悪ではない。弊教会一同は映画芸術の力をよく知っており、転輾と全世界の民情風俗、
知識学問を紹介してきており、言いかえれば全世界の人々の相互の愛と世界人類の憎しみ
も導き入れることができる。弊協会一同は先生を愛する故を以て、先生を大芸術家と考え
る故を以て、先生が改善に努められるよう願い、先生が他人のように、世界に真実でない
ことを紹介し、名誉に傷が付くのを願わない』
 文中に映画の観客への力が偉大と言っているのは正しいが、蒙古太子が「中華民国人民」
というのは、歓迎反対論者と同じように間違っている。中でも、大きな間違いはF氏に
「全世界の人々が相互に愛すように」と勧めるのは、彼がアメリカで大稼ぎしている映画
人だというのを忘れている。そのためこの小さな考えの差で、声を低くし意気地なくも、
彼に本当の「4千年以上の歴史文化に培われた精神」を世界に紹介して欲しいと託して
いるのだ――
 『幣会は更に4千年以上の歴史文化に培われた精神で、声を大にして先生に告ぐ。我中
華人民の美徳を尊重し、礼儀を重んじる点、貴国の人民にもともと劣ることは無い。更に
貴国政府が常に国際社会で公正な道を主持される故を以て、我中華人民の敬愛する所也。
先生は今回の東遊の短い間に、真実の証拠をすでに御覧になられたと思う。今日我中華の
政治状態は、まさに革命完成の経るべき過程の最中である国内戦争中であり、不穏な擾乱
の中にあるが、中華人民は外国から来られた先生の様な賓客に対し、持すべき礼節を忘れ
ることは無いし、人を愛するという気持ちを表明します。この状況は先生がご自分の耳目
で見聞され、真実を明らかにしてください。中には異なる意見を表明する者もいますが、
この種の言論はみな先生の代理人及び代理人から己の為に引用した参加者の礼にもとり、
人情にもとる者の発言が引き起こしたのです…』
 『先生が東遊の後、得られた真実の状況を貴国の同業に紹介し、更には世界に紹介し、
世界の人類を中華の全4億余の人民と相愛の親近感を持てるようにさせ、相憎み背馳の
状態にならぬことを希望し、以て世界の良くない状況を発生させぬようにし、我中華人民
として、先生を敬愛すること、米国を敬愛するが如くにさせてください』
 だが、説明した精神を一言でいえば、我々蒙古王の子孫がたとえ国内でどんなに内戦で
擾乱していようが、西洋人に対しては極めて礼儀正しいという点だけだ。
 これはまさに圧服された古い国の人民の精神で、特に租界においてその通りである。
圧服されているため、ただ人に託して世界に宣伝してもらうしか方法が無く、へつらう
ことは免れぬ。但、自分はまた「4千年以上の歴史文化に培われた」と思っているので、
人に託して世界に宣伝してもらえると考えているのは、少し驕ってもいる。
驕りとへつらいが糾結するのは没落した古い国の人民の精神の特色だ。
欧米帝国主義者は、廃物の銃を使って中国を内戦の擾乱に陥れた上に、古い映画を使って
中国人を驚かせ、ごまかしている。
 旧いものを更新した後、更に内地に運び、ごまかしの教化をしている。それで私はこの
「映画と資本主義」という本は現在、ほんとうに無くてはならぬ物だと思う。
    1930年1月16日 L(魯迅の署名の一つ、これを発表時は伏せたもの:訳者)
 
訳者雑感:岩崎が宗教と戦争を映画で結合して、観客から膨大な「お布施」を巻き上げ、
大稼ぎした、と資本主義社会の映画製作の実態をさらけ出した筆法を使って、この付記で
魯迅は、1930年前後の中国の国共及び各地の軍閥が、欧米の兵器会社から(欧州大戦で)
使い古された「廃物」同然の銃砲を大金で買わされて内戦の擾乱の最中に、これまた
欧米で公開後古くなった映画をどんどん売りつけてきて、小市民、無産階級の人々を
アメリカがアメリカ国民の思想を支配階級に都合のよいように宣伝扇動したごとく、
同じようにしようとしていることを、この岩崎の文章を紹介することによって、何とか
一部のめざめた中国人に紹介しようとしたことが良く伝わってくる。
岩崎の著書は余りないが日比谷図書館の書庫に白楊社刊昭和26年版「世界映画史」を
見つけ、この文章と比べて参考にした。彼はドイツ映画の輸入を手掛け、戦後は東宝で
活躍したが、これを書いた後で官憲ににらまれ、日本にいられなくなって上海に渡って、
魯迅とも交際があった由。
        2011/11/26訳
 
 
 
 
 
 
 
 

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