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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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言論の自由の限界

言論の自由の限界
「紅楼夢」を読んで賈府(賈家のお屋敷)では言論が頗る不自由と感じだ。
焦大(召し使い)は使用人の分際で、酔いに任せ、主人はじめ他の使用人を、
片端から罵り、ここで穢れてないのは、2頭の石の狛犬だけだとわめいた。
 結果はどうか?主人からはすごく憎まれ、他の連中から痛烈に恨まれた結果、
彼の口を馬糞で塞がれてしまった。
 だが焦大の罵りは、賈府を潰そうとしているのではなく、なんとか良くしなければ、
との思いから、主人も他の連中もこんな状態では、やって行けないと言ったまでだ。
しかし、それに対する報酬は馬糞であった。だから焦大は賈府における屈原で、
もし彼が文章を書けたなら、「離騒」の類を書いたことだろう。
 3年前、新月社の諸君は、不幸にも焦大と似た境遇であった。
西洋の経典を引用し、(国民)党と国家に苦言を呈した。
彼らが用いたのは主に英国の物だが、党と国家にどうして悪意など持っていようか?
「他の人の服はとても清潔なのに、ご主人様のは、少し汚れていますから洗いましょう」
と言ったにすぎない。
所が、「荃(セン、君主)は余(私)の心を分かってくれず」馬糞を食わされてしまった:
国(民党)機関紙で一斉に叩かれ(彼らの)雑誌「新月」も災難にあった。
だが新月社は畢竟、文人学士の団体だから、この時は声を大にして三民主義に基づき、
胸中の「離騒経」で弁明した。
今では大分よくない、馬糞も吐き出して、うまい汁を吸えるようになった。
ある者は顧問や教授、秘書、大学院長などになり、言論は自由となった。
「新月」もすべて所謂「文芸のための文芸」となった。
 これは文人学士は、目に一丁字もない奴才より利口な所で、党と国もつまるところ、
賈府よりは高明であり、現在は乾隆時代より明るい:三明主義なのだ。(三民のもじり)
 しかし、言論の自由を叫ぶ人はまだまだいる。
世の中、そんなにうまい汁が多くないのは明らかな事だと思う。
今の言論の自由は、主人が寛大さを示せるのは、「ご主人様の服は、少し汚れて…」
という辺りまでであることを悟っていないからで、それ以上何かを言おうとするからだ。
 これはけっして許されない。以前の場合は「新月」の受難時代とは違い、
もうすでにあるようで、この「自由談」もその一つの証拠で、時として数名の英雄が、
馬糞を手にそういう者がいないか探している。限界を越えて何か言おうとすると、
言論の自由の保障を破壊してしまう。
 今は昔より光明だが、より大変で、何か言えば、命を落とすことになることも、
知らねばならぬ。たとえ言論の自由が明文化されても、いい加減に考えてはならぬ。
これは私が何回も目にしてきたことで、「年寄りの自慢」じゃないが、自覚も無しに、
実は奴才になっている君子諸君が少し考えてくれれば幸いである。4月17日
訳者雑感:
「荃(セン、君主)は余(私)の心を分かってくれず」馬糞を云々とは離騒の一節だ。
「朝に諌めると、夕べに棄てられた」という句とともに、国の為に苦心惨憺して、
何とか良くしようとしてきたのに、讒言によって足をすくわれた…。
「ご主人様、服が汚れています、洗いましょう」とは、汚職にまみれた現在の役人の
親玉たちに向かっても発することのできる言葉だ。
温首相はバンコクでの在タイ華僑に対して、NY Timesで報じられたような事はない。
身の潔白を示すために、真理を追究して、九死すといえども悔いはない…、と訴えた。
 実態はどうなのか、知るすべもない。今日1月3日、NY Timesの記者のVisaは
期限切れで、年末に出国させられた、と報じられている。
 NY Times以外のメディアはこの件をどうとらえているか、自社のコメントは出さない。
言論の自由の限界を悟っているのだろう。度を越えたら、自社のVisaも危うくなると。
 世界のメディアも1933年の魯迅の指摘したのと変わらない。
      2013/01/03記
 
 
 
 
 

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夷を以て夷を制す

夷を以て夷を制す
 去年中国の多くの人が、いちずに国際連盟に泣いて訴えた時、
日本の新聞は往々、これを嘲笑い、中国祖伝の「以夷制夷」の古い手だとした。
一見そうにも見えるが、実はさにあらず。当時、中国人の多くは確かに、
連盟を「清廉な調停人」と看做し、心の中に「夷」の字の影は微塵も無かった。
 だが「清廉な調停人」たちはいつも「華を以て華を制す」方法を使った。
例えば、彼らが強く憎む反帝国主義の「犯人」には、自分は悪役にならず、
ただ、軽い気持ちで華人の所に送り、彼らに殺させる。
彼らが大変憎んでいる根拠地の「共匪」についてが、自分の意見は明示せずに。
只飛行機と弾薬を華人に売り、彼らに爆撃させる。
下等華人には、黄帝の子孫の巡査とボーイに対応させ、インテリには「高等華人」
である学者と博士に対応させる。
 我々は長い間、我々の「大刀隊」(長い柄の刀を持った軍隊)を誇りに思い、
制圧されることはないと思って来たが、4月15日の「XXX」紙に1号活字で、
「我軍は敵2百を斬せり」の見出しが出た。ざっと見ると勝ったようだが、
本文を見てみると、――
「本紙本日北平電: 昨日喜峰口右翼の灤陽城以東各地で争奪戦が起こった。
敵は大刀隊千人をくり出して来、彼らは新着軍で、我が大刀隊が応戦した。
その刀は特に長く、使い方もさほどのものではなかった。
我軍は刀を揮い、斬り倒し、敵は抗戦及ばず、刀と腕が縦横に地に満ちた。
我軍の傷亡者も2百余に達した。…」
 これを見ると実は「敵が我軍2百を斬った」ことになり、中国の文字はまことに、
「国の前途・発展」と同じで、日に日に艱難さが増している。
 だが私が指摘したいのは、じつはこの事ではない。
 言いたいのは「大刀隊」がやはり中国人自身が長い間誇りにしてきた特技で、
日本人は銃剣があるとはいえ、大刀は素地がないことから、
今回「出現」したのは、満州の軍隊なのは、疑いの余地も無い。
 満州は明末来、毎年直隷・山東人が大量に移り、数代後に土着化した。
満州軍と雖も、大多数は実は華人であるのも疑いの余地はない。
今すでに特に長い大刀を使い、灤東で殺し合って「刀と腕とが縦横に地に満つ」
状態になりながら、一方では「傷亡また2百余に達した」というのは、
明らかに「以華制華」を演じたわけだ。
 中国の所謂手段は、私の見る所、有ることは有ると言うべきだが、
「以夷制夷」ではなく、「以夷制華」である。
しかし「夷」にもどうして、そんな愚鈍な者がいようか。
まず「華を以て華を制す」を諸君に見せるのだ。中国の歴史にはよくあることだ。
後に史官が新王朝の為に頌を作り、こうした輩の行為を:「王の前駆となる」と称す!
 近頃の戦争報道は極めていぶかしい。同日同紙には、冷口を失ったと記し:
「10日以後、冷口方面の戦闘は激烈をきわめ、華軍は… 頑強に抵抗をしてため、
未曾有の大激戦となった」とあるが、宮崎部隊は十余人の兵で、人梯子を作り、
前の兵が倒れても、後のが続き「ついに長城を越えたが、宮崎部隊の犠牲は、
23人の多きに達した」
 一つの険要を越すのに、日本軍は23人しか死ななかったのに、「多きに」と記し、
また一方では「未曾有の大激戦」と記すのも理解に苦しむ。
 それゆえ、大刀隊の戦闘は多分私の推測とは違うかも知れぬ。
だがすでに書いてしまったものは、一つの説として暫く留めて置くこととする。
    4月17日
 
訳者雑感:夷を以て夷を制すというのは中国人の専売特許でもない。
モンゴルは大量の南宋の軍人と朝鮮の軍隊を日本征服の為に派遣した。
これは、一つには南宋と朝鮮の軍事力を弱体化させる意図があった由。
魯迅が記すように、上海の租界の欧米人もインドからグルカ兵などを連れてきて、
租界の警備にあたらせた。両次世界大戦ではイギリスは大量のインド兵を投入した。
当初はインド(植民地)政府に軍費を払っていたが、払えなくなったそうだ。
 アメリカは1945年以後の朝鮮・ベトナム・イラク・アフガンでの戦争で、
アメリカ大陸に移民して国籍を得ようとする若者を募ったという。
 重慶で辣腕を揮った警察のトップ王立軍も、似たような手法を用いたそうだ。
「以黒打黒」 匪賊を使ってヤクザを叩く、あるいは逆も真なり。
普通の警官ではとても太刀打ちできない強力な相手には、競合するヤクザをぶつけた。
黒(悪)を以て黒を打つ、である。
      2012/12/27記

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来信

来信(「透底」に対して)   祝秀侠
家干様(魯迅の筆名)
 昨日、大作「透底」拝読。以前発表した「新八股を論ず」を引用いただき、
欣幸の至り。ただ、「譬え」については誤解があるようで、弊意の新八股は、
ある種の文を指しており、もともと大した内容も無いのに、ただ流行のスタイルで、
或いは古い皮袋を新しく包装しているのを指しています。
湯は換えても、薬は換えてないため、「この空虚な宇宙」「また其の天地の間」
と同じ八股なのです。羊頭を掲げて狗肉を売る為、「ダーウインは説く」や、
「プレハーノフの言う」と「この宇宙」本体は(その実、「子曰く」、「詩に云う」
で中国文学史をものするには、やはり引用するわけで、決して所謂八股ではないが)
こういう書き方だと、新八股の形式になるのです。
先生の挙げられた「地球」「機器」の例、「透底」、「道を守る」の理は、子供でも、
その非を知っていることで、これで以て比するのは曲解のように感じます。
 今日の文壇は、新しい気分に満ちているが、すべて魑魅魍魎で、
頭を換え、面を換え、錦を着て逍遥する、鴛鶯胡蝶派などが旧貨を新装して、
登場しており、この種新しい毛皮で古い骨髄のままの八股について、
先生のお考えでは排撃すべきか否か、未審査の状態でしょうか?
 また、時代の看板を借り、革命学説を歪曲し、口で南無阿弥陀仏と念じながら、
心では妄想している者は、人の衣装を借りて、自分の臭い脚を隠す新八股なども、
先生は又排除すべきかどうかも未審査でしょうか?
 これを透底して云えば、「譬えば」昔の皇帝と今の主席の関係のように、
実質は大きな差があることは固より知っていますが、やはり今の主席と、
昔の皇帝はそっくり同じ道理で、ある意味、主席を非難するのはその意は自明で、
その志が虱を捉える(つまらぬことか)のでなければ、一目瞭然とは限りません。
 私は生まれたのが晩く、学も浅く、術も無く、「透底」の聡明さも無いとはいえ、
「透底」の愚鈍には至っておらず、或いはまだ「透」にも至っておらず、
誤解を招いただけかもしれません。やはり「底」に到達できるよう教えを賜れば、
感謝の「透」(極み)です!    祝秀侠 拝
   
「返信」  (魯迅より)
秀侠様:
 貴信拝受。貴方の所謂新八股は鴛鶯胡蝶派などの事を指すこと分かりました。
しかし鴛鶯胡蝶派の病根がすべて彼らの八股性にあるのではありません。
八股は新旧問わず、すべて掃討すべきこと、既に述べた通りです:
鴛鶯胡蝶派も新八股性を持ち、他の人も持っています。
例えば、只「罵り、侮辱し」「恐喝」甚だしきは「判決」を下すだけで、
具体的科学的に求めるべき公式を適切に使って、毎日起こる新事実・新現象を、
理解しようとせず、一通の公式をただ写すだけで、すべての事実を無秩序に集めて、
文章にするのも八股の一種です。
 たとえ明らかに貴方に理があるとしても、読者が貴方の理が空虚だと疑わせ、
貴方が答弁できぬと、「国罵」(国挙げての罵り)だけが残る。
 革命学説を歪曲する人が、「プレハーノフ曰く」等で、自分の臭い脚を覆うのは、
彼らの間違いは、「プ…曰く」等等を書いたためだろうか?
我々は彼らがどのような間違いをしたのか、具体的に証明せねばならない。
もし単純に「プ…曰く」等と「詩云う、子曰く」とを同一視したら、
きっと誤解を引き起こすだろう。貴方の手紙もこの点は認められているようです。
これが即ち、私のあの「透底」で指摘した点です。
 最後に、私のあの文はある種の虚無主義的一般傾向に反対するもので、
貴方の「新八股を論ず」の中のあの一句は、多くの例の内n一つに過ぎず、
これは除去せねばならぬ「誤解」です。
あの文はその一つの例の為だけに書いたものではありません。   家干。
 
訳者雑感:
 中国語は発音すると耳に残って、暗誦し易い面があると言われている。
暗誦し易いことの反面は、それが次に自分の文章を書く時に頭をもたげてきて、
それをそのまま使う事、多少換骨すること、或いは「薬はそのままで湯を換える」
だけで、立派な文章になってしまうことだ。
 それを昨日使った人がいて、「粉骨砕身全此生」という句を披露した。
粉骨砕身は手垢に汚れている感じがしないでもない。八股でないことを願う。
この生をまっとうする、といわれるが、中国人はこの3文字をどう理解するだろうか。
蘇軾は「八月七日初入…と題する詩に「此生何止略知津」と言う句を残している。
この生何ぞ、ただに略(ほぼ)津(渡し場)を知るのみならんや。
 左遷された時の詩だが、とても陽性で明るく生きようとしている。
新党首もあの涙を忘れず、余生を全うしてもらいたいものである。
   2012/12/26記
 

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透底

透底(底に突き抜けるほど徹底してやる)
 物事は徹底するのが良いに違いないが、「透底」はそうとも限らない。
左回転ばかりをしていると、右回転してばかりいる人と、ごつんとぶつかる。
その時は互いに頭を下げて詫びるが、気まずいことだ。
 自由を求める人が、忽然王位復帰を保障する自由や、
群衆を殺す自由まで求めたりする―――透底は透底に違いないが、
本来の自由そのものが抜け落ちて、底の無い洞穴だけが残る。
 例えば、八股文に反対するのはごく当たり前のことだ。八股は元々愚の骨頂だ。
一つには、試験官が面倒くさいので――彼らの頭脳の大半はコチコチで――
聖賢に代わって立言するとか、起承転合、文章の気品など確たる基準も無いし、
今一つ捉えがたいので、一つずつ定まって来たものを、法令文の格式とし、
これを用いて「文の重量を判定し」ひと目見るだけでその軽重を量れるから。
二つには、受験者も省力でき、かつ面倒くさく無いと感じたためだ。
 このような八股は新旧に拘わらず、すべて掃討すべしである。
しかしこれは聡明になる為であって、愚鈍になる為ではない。
 だが愚鈍を保存したい者には、ある策略がある。
彼らはこう言う。「私はそれに反対で、彼も同じだ」皆がやって行けなくなる。
取り消した方が良い!
そして「彼」がやめるのを待って、古くて愚鈍な「私」こっそりと立ちあがり、
実恵は愚鈍な者が手に入れる。
丁度、偶像を打倒しようとする時に比せられる。偶像はあわてふためいて、
生きている人全員に対して「彼らは全て私にそっくりだ」と言いだす。
そうなると諸君は偶像にそっくりな人たちの所へ殺到し、全員を打倒する:
戻ると、偶像は大変称賛し、偶像を打倒せよという連中を「打倒」した、と。
確かに透底の至りだ。だがこうなると更に大きな愚鈍が全世界を覆うことになる。
 口を開けば、詩に云う、子、曰くは古い八股で:
「ダーウインは説く、プレハーノフ曰く」は新しい八股だと言う人がいる。
そうなると、地球が丸いことを知る為には、自から地球を一周せねばならず:
蒸気機関を作るには、先ず薬缶の前に坐って調べねばならぬ。…
これも誠に透底の極みだ。
 だが、かつて道を守る文学に反対したのは、元々あの様な人を食う「道」を、
守るべきではないのだが、ある人たちは透底して、如何なる道も守らぬという:
この「如何なる道も守らぬ」というのも一種の「道」ではなかろうか?
だから本当に最も透底しているのは次のような故事だ。
 昔ある国で革命が起こり、旧政府は倒れ、新政府ができた。
隣人が、お前のような革命党は元々(有)政府主義に反対していたくせに、
どうして又自ら政府を作るのか?」と言った。
その革命党は、即刻剣を抜き、自らの頭を刎ねた:
だが彼の体は倒れず、硬い屍となり、直立したまま、喉の管からぶつぶつ言いだした:
この主義を実現するには、本来3千年後を待たねばならぬ、と。  4月11日
 
訳者雑感:
 八股ができた背景が、試験官と受験者双方から「手間が省ける」「面倒くさくない」
ということからだったとは驚いた。
確かに四六駢儷体など、対句がどれほど散りばめられ、麗しい字句が使われているか、
こうしたひと目でその重さを量れる文章は、双方にとって「公平」な判定が下せたかも。
 最近、習主席は「党八股」を禁じた。決まり切った常套句を連ねた報告書を読み上げるだけの「会議」を止めた。報告者には自分の言葉で実態を報告するように求めた。
王岐山氏はさっそく、最近の会議で常套句を使う相手にその場で注意を促した。
 これは大変よいことだ。下から上がって来た「党八股」の報告書を読み上げるほか、
能の無い連中は淘汰されるだろう。そういう連中が「愚鈍」なのを自覚しながら、
そういうポストに就いて、貪欲に「財を蓄える」ことに邁進してきたのが現実だった。
 国を憂えて、国の為に力を尽くす、ということから最も遠い所にいる連中が、
中国の富を透底して偸んできた。
 だが、自分の言葉で自分の理想や夢を語れる官僚がどれくらいいるだろう?
    2012/12/24記
 
 
 
 
  

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内外

内外
 
(いにしえ)の人は内外の別をわきまえていて、道理も夫々違うと言った。
夫を「
外子(ワイズ)」と呼び、妻を「賤内(ジエンネイ)」と呼んだ。
傷病兵は病院内におり、慰労品は病院の外にあり、検査を通らねば受け取れない。
外国とは妥協し、国内では排除するか、わめき散らさねばならぬ。
 何香凝さん(
廖承志(リョウショウシ)の母)は嘆息し:
「当時は立ち上がらぬ人だけを怖れたが、今はそれが死なないのだけを怖れる」
しかし、死の道理も内外で異なる。
 荘子曰く:「哀は心が死ぬより大なるはなく、体の死はこれに次ぐ」
これに次ぐものは、両の害の中から軽いのをとる。それ故、外面的な体を死なせ、
内なる心は活かそうとする:或いは正にその心を活かす為、体は死を治める。
これを指して心を治めるという。
 治心の道理はたいへん玄妙で:心は活きるのだが、活き過ぎてはいけない。
 心が死ねば、もう抵抗はしないから、その結果、人々の心は落ち着かない。
心が活き活きしすぎると、色々考え、真剣に抵抗しようと思う:
こう言う人は「絶対抗日とは言えない」(先ずは匪を倒してからとなる)
 人々を落ち着かせるため、心が死んだ人は外遊すべきで、留学は外国に行って、
心を治める方法である。
 だが心が活き活きしすぎると、罪を得て厳罰に処すべしとなり、これこそが国内で
心を治める方法である。
何香凝さんは「誰が罪を犯したかが大問題」と思った――
これは彼女が内外に別ありという道理を知らぬ為である。   4月11日
 
訳者雑感:これは当時の国民党と張学良や共産党との三つ巴の関係を認識しないと、
理解困難な文章である。出版社注では、心が死んだ者は張学良を指すとの由。
 蒋介石は、国内の匪を平らげるのが先で、それから外(日本)に抵抗すると唱えた。
これは当時の国民党の武力から考えて、日本の軍官学校卒業生たる蒋介石が採った、
最も現実的な方法だったかもしれない。毛沢東が「持久戦」を唱えたが、
敵が味方より強大な武力を持っていると考えたら、敵が苦しくなるまで、
忍の一字で、持久戦に持ち込むしかないだろう。
毛沢東は蒋介石軍に対して、そして蒋介石は日本軍に対して。
その当時、張学良は心が死んでしまっていた。が忽然、西安で蒋介石を捕えた。
世に言う1936年12月の西安事件である。ここから変化が始まった。
しかし魯迅はその年10月に他界した。これを目にしたら何を書いただろう。
     2012/12/21記 (マヤ暦で末日とされた日に)
 
 
 
 

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中国人の生命圏

中国人の生命圏
 「虫けら尚、生を貪るを知る」
(出版社注:元代の言葉:この後に人はなぜ命を惜しまないのか、と続く)
中国の民はこれまで「蟻民」と自称してきたが、私は暫時、生命保全のため、
常により安全な所に居る様にしてきた。これに対して英雄豪傑でない人は、
私を嘲笑ったりしないと思う。
 しかし私は公表された文面を余り信じない。往々違った見方をする。
例えば、新聞に北平(北京)で今防空設備を整備中という記事を見ると、
それはあてにならないと思う:だが、古物が南に運ばれるという記事を見ると、
古都も危険だと思い、古物の行く先から、中国の楽土の所在を推測する。
 今、ロットごとの古物が全て上海に集っており、最も安全な所は上海租界と知る。
 しかし家賃はきっと高くなるだろう。
 そうなると蟻民には大打撃だから、別の場所を探さねばならない。
 いろいろ考え、ある「生命圏」を思いついた。
それは「根拠地」でもなく、「辺境(日本軍に占領された後の熱河一帯)」でもない。
その両方に挟まれた中間、まさしく環状の一つの圏のある所で、そこなら、或いは、
「まあ何とか命をX世」か、ながらえることができるかもしれない。
 「辺境」は空爆がある。日本の新聞は「兵匪」剿滅と言い:
中国紙は民を殺戮、村落・市街地は瓦礫と化した、と言う。
「根拠地」も空爆あり。上海紙は「共匪」剿滅で、滅茶苦茶に破壊されたという。
「共匪」の新聞がどう伝えているか知る由も無い。
要するに、「辺境」も爆撃を受け、「根拠地」もバンバンやられている。
ただ両者の中間地帯は爆撃されなければ、「血肉が吹き飛ぶ」ことから免れそうな
望みがあるから、私はそこを「中国人の生命圏」と名付ける。
 再度外部からの爆撃が来たら、この「生命圏」は「生命線」に縮小され:
更に爆撃されたら、人々は皆あのすっかり爆撃を受けた「根拠地」に逃れ、
この「生命圏」は完結し、「生命○」となる。
 実はこういう予感は皆持っており、この一年を見るだけで分かるが、
もう「我中国は地大物博、人口衆多」等の決まり文句を見なくなったのが証だ。
ある人などは、演説で自ら中国人は「弱小民族」だと言った。
しかし金持ちたちはそうは思わない。彼らは飛行機を持っているだけでなく、
彼らたちの「外国」があるから!   4月10日
 
訳者雑感:
 中国人が生命の危険を脅かされずに生きてゆけるのは、日本軍の空爆を受ける
「辺境」地域と、国民党軍の空爆を受ける「共産党の根拠地」の中間である。
それが、時間と共に変化してゆく。熱河から南京、上海。武漢重慶へ。
然し、日本軍は点と線だけと言われた。広大な「生命圏」はなんとか1945年まで、
人々を生き延びさせて、惨勝できた。米ソ両軍が日本を降伏させたのであって、
国民党軍が45年の5-8月の間に、日本軍と激戦して「勝利」したということは、
余り目にしないのは何故だろう。
 国民党軍は相も変わらず対日「不抵抗」作戦をとり続けたのか?
     2012/12/18記
 
 
 

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殺す相手を間違えた

(備考) 殺す相手を間違えた  曹聚仁
 一昨日、某紙に某君が長春から帰った客の話として:
日本人は偽満州国で「アヘン専売」と「幣制統一」の二大政策に成功した。
この二つは張作霖親子の時代、とても手が付けられぬと考えられていたが、
今、連中はあっという間に完了した。某君は嘆息して言う:
「かつて東北の人と幣制紊乱の弊害を論じたとき、みんな「積習改め難し、
と言い逃れて」いたが、日本人はあっという間に成し遂げたのか。
「これは為さざるなり。能わざるに非ずなり」これが我国人の大病根だ!」と。
 あに「病根」のみならんや!中華民族の滅亡と中華民国の転覆もこの肺結核のためだ。一つの社会、一つの民族が老衰期に入ると、何でも「積習改め難し」となり、
それゆえ「革命」せずにはいられぬ。革命は突変の過程であり:その過程で、
善人と悪人が、また善人でもなく、悪人でもない者とが殺し合う。
何人か殺した結果、その対価が得られない訳ではない:
社会に隔離作用が起き、古い社会と新しい社会に明確に二分される。
悪い勢力が新しい組織に伝染しないようにする。だから革命での殺人は基準を定め、
中年以上の人間を多く殺すべきである。
フランス革命の成功は、大恐慌の間に旧勢力を掃討したおかげである。
 しかし中国の革命はいつもその反対である。
多くの青年は革命に参加して犠牲となった:革命の進行中、旧勢力は一時身を隠し、
少しも除かれず:革命成功後、またぞろ復活し、大量の青年を殺して犠牲にした。
孫中山先生が苦労して十数年も革命に身を投じ、辛亥革命が成功したら、
袁世凱が大権を掌握し、連日党人を殺し、15-6歳の少年まで殺そうとした:
 こんな革命は隔離作用を起こせぬばかりか、旧勢力の用心棒に成り下がった:
このため、民国になってから、無気力のみで、元気が失われ、いかなる事業も
改革を論じることなく、論じだしても「積習改め難くの言い逃れ」が落ちだ。
その悪い勢力が今もずうっと続いている。
 この異常な状態を私は「殺す相手を間違えた」と名付ける。
いつも友人と話すのは:
「流血しない革命は無いが、その<流血>の相手を間違えてはならぬ。
早く溥儀を殺し、鄭孝胥(満州国の幹部)流の輩を殺すのが我が国の幸いだ。
25歳以下の青年をみだりに殺すのは真逆であり、社会の元気を失くしてしまうと、
<亡国滅種>の<眼前の報い>を受ける羽目になる」 「自由談」4月10日
 
訳者雑感:張作霖親子が統治していた旧満州を、日本の支配であっという間に
「アヘン専売」「幣制統一」して「病根」を取り除いたという。
偽満州国を作って、半植民地支配を行った。それまでの軍閥が成しえなかったことを
清朝最後の皇帝を担ぎ出して、五族協和・王道楽土などと喧伝した。
 沢山の日本人を開拓団として送り出し、現地の農民から土地を取り上げた。
こうした民族間の植民は、それまでも満州族の故地には漢族を入植させない、
としてきた清朝政府の方針転換で漢族、特に飢饉に悩む農民が大量に押し寄せた。
その次に、やはり世界恐慌と不作に悩む日本の農民が大量に押し寄せたのだが、
今の中国では、開拓団が現地の農民から良い土地を取り上げたことを問題にしている。
 日本側の記述では、荒野を開拓してとても苦労したというのが多いのだが、
双方とも事実であったろう。しかし追い出された者の恨みは消えることは無い。
 
 話しを本題に戻すと、「殺す相手を間違えた」というのは、何を意味するか?
彼はフランス革命に譬えて、旧勢力を殺さずに、革命を担ってきた青年を殺した、
ということが、辛亥革命の「錯誤」であったというのだろう。
 孫文や黄興などは、溥儀や袁世凱以下の旧勢力をなぜ「殺さなかった」のか。
「殺せなかった」というべきだろう。軍隊も持たず、鉄砲すらろくに無い革命軍は、
袁世凱や段祺瑞などの軍隊に依存せざるを得なかったことに根源がある。
 そして袁世凱が清朝を倒して、革命に協力してくれると「錯覚」「夢想」したことに
その後の大混乱の30年を招いた根源がある。
   2012/12/14記
 
 
 
 
 
 

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「殺す相手を間違えた」に異議あり

「殺す相手を間違えた」に異議あり
 曹聚仁氏の「殺す相手を間違えた」は、とても痛快だったが、
思い返してみると、なにか憤激しているようだから、異議を唱えたい――
 袁世凱は辛亥革命後、(革命)党員を大量殺害したが、袁世凱側からみれば、
間違って殺したのではなく、それは彼がエセ革命・反革命だったからだ。
 問題は革命者がだまされ、彼が北洋大臣から本当の革命家に転じたと錯覚し、
同調者として引き入れ、多くの血を流して、彼を総統の地位に就かせたことだ。
二次革命の時、袁世凱はまた大変身し「国民の公僕」から吸血鬼になった。
 しかし実はそうでもない。彼は本性を顕したにすぎない。
それで次々に人を殺した。北京市内の、ホテルや旅館など、全てに密偵を潜ませ:
「軍政執法処」を置き、嫌疑者、逮捕した青年をそこへ連行していったが、
彼らが再び生きて出て来たのを見たことはない:
又「政府公報」には連日のように、党員の離党公告が出ていて、
以前、友人に誘われ、誤って入党したが、今間違いに気付いたので、離脱し、
心を洗いなおして善人になる、という。
 暫くして袁世凱が殺したのは、人違いでなく、皇帝になる為だと証明された。
 20年前のことで、今20歳の青年は当時は乳飲み子。時の経つのは実に速い。
 しかし、袁世凱は皇帝になろうとしたが、なぜ彼のほんとうの敵であったはずの
(清朝の溥儀)旧皇帝を殺さなかったのか?これは余り議論するまでもない。
ただ現在の軍閥の混戦を見れば明らかだ。
彼らは生死をかけて争い、不倶戴天の敵のように叩きあうが、後に相手が「下野」
するとなれば、すぐとても丁重に扱った。だが革命者に対しては、争っていなくても、
一人も容赦せずに殺した。彼らは良く分かっていた。
 私は中国革命がこんなになったのは、彼らが「相手を間違えて殺した」為ではなく、
我々が相手を見誤った為だと思う。
 最後に「中年以上の人間を沢山殺せ」という主張については、少し異議があるが、
私も「中年以上」だから、要らぬ嫌疑を受けぬよう、目をつぶっておく。4月10日
(これは次に引用する曹氏の本文参照:訳者注)
 
 原稿には「丁重に」の次に、「外遊するとなれば、盛大に歓送会をし」
と言う意味の文章を書いておいたが、後に削られた。  4月12日記
 
訳者雑感:
今北京には袁世凱の「軍政執法処」と同じような「黒監獄」というものができ、
中央政府に異議を申し立てるために、地方から上京してきた「嫌疑者」たちを、
有無を言わさずそこに連行している、と報じられている。
黒監獄は、法の手続きを踏まずに、勝手に連行できる所で、何か所もある由。
彼らは再び生きて社会に戻ってこられるだろうか?心配だ。
 袁世凱の時代から百年経っても、考え方は変わっていないようだ。
ただ、習主席は、8つの方針を打ち出し、党の腐敗を減らそう無くそうとしている。
深セン視察には、道路を封鎖させなかった。道路に歓迎の旗振りを配備させなかった。
今後は会議で原稿を読むのを禁じたし、海外訪問時にも華僑や留学生の動員を禁じた。
 元の木阿弥にならぬことを切に願う。
   2012/12/11記

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推背図(裏から読む)

推背図(裏から読む)
 この「裏から読む」というのは:裏から未来を推量する意。
 先月の「自由談」に「文面を裏から読む方法」という一篇があり、
これは身の毛のよだつものである。こういう結論を得るまでには、
それまでにきっと多くの苦しい経験をし、多くの犠牲を払ってきたのだから。
(出版社注:当時の「飛行機で救国」しようと募金を集め、購入した飛行機は
日本との戦にではなく、「匪」(紅軍)爆撃に使われた事を指す)
本草家(薬草の専門家)が:砒素は猛毒と書く。たった4文字だが、
彼は確かに、その毒がかつて何人もの命を奪ったことを知っているのだ。
 巷の笑い話に:甲某は銀30両を埋め、盗られないように、その上に板を立て、
「ここに銀30両は無い」と書いた。
隣の阿二がそれを掘り出したが、露見を怖れ、板の裏に一筆添えた。
「隣の阿二はこれまで盗みを働いたこと無し」と。
これが正しく「文面を裏から読む方法」だ。
 だが我々が日々目にするものは、そんな単純なものではない。
やります、と明言するのは、実はやりませんということ:
やりません、と明言するのは、実はやるということ:
こういう方法でします、と明言するのは、実は別のやり方でやること:
実は自分がそうしたいのに、他の人がそうしたいと言っているから、という:
ひと声も発さぬが、実はやってしまっている。
又こうすると言いつつ、本当にそうするのもあり、難しさはここにある。
 例えば最近新聞に載った重要ニュースで:
1.xx軍はxxで血戦、敵xxxx人を殺した。
2.xxの談話:日本と直接交渉は一切せず、初志貫徹、徹底抗戦する。
3.芳沢(日本の外相)の来華は、私的な訪問の由。
4.共産党は日本と連携し、偽の中央は既に幹部xxを日本に派して折衝中。
5.xxは……。
 これらすべてが逆の意味と考えると、なんとも驚かされることばかり。
しかし、紙面には「莫干山路地区のわら船百余隻大火」「xx大安売り4日限り」等、
大抵は「裏読み」する要の無い記事もあり、頭が混乱してしまう。
 「裏から読む」という本は、かつては大変霊験あらたかだったそうだが、
某朝廷の某帝が人心を惑わすのを怖れ、贋物を混入させたため、
予知不能となり、それ以降は、事実が証明してからやっと悟るようになった由。
 我々も事実が明確に顕れるのを待つしかないが、そう遠くはないだろうが、
今年中にということにはならないだろう。 4月2日
 
訳者雑感:
 文字の国中国では、牛骨や亀甲に字を書いて、火で炙って割れ目が出た後、
それを判読して将来を占った。そこに書かれたのが甲骨文字だ。
この「推背図」というのは一種の占い・予言の図冊だという。
 魯迅が新聞に載った重要ニュースの見出しを引用して、政府の公式発表が、
殆どはその逆であると判読すべきと喝破している。
 今日の中国でも「反腐敗・反汚職」運動を積極的に展開している云々と発表し、
具体的には六十万以上が逮捕されたとし、最近も重慶を始め、全国各地で、
地方高官が写真付きでテレビ報道されている。
 これは一般庶民へ如何に政府が本腰を入れて取り組んでいるかを
「正面からの文」として発表しているのだが、魯迅がこれを裏から読んだら、
どういうことになるだろう?
共産主義というのは、1920年代に中国に共産党ができたころには、
「財産を共有する」という意味に使われ、金持ちたちが自分たちの財産を
貧しい連中に持って行かれる、何人もいる妻妾(これも財産と看做され)も
共有される、と戦々兢々となった。
革命後、全ての地主の土地は取りあげられ、農奴はいなくなったと宣言された。
 それが今、財産は汚職や腐敗を専らとする幹部が占有するという意味に変じた。
「裏から読む」と共産党の上層部が財産を私するという意味に変じた。
    2012/12/09記
 
 
 

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最も芸術的な国家

最も芸術的な国家
我々中国の最も偉大で最も永遠かつ普遍的な「芸術」は、男が女を演じることだ。
これが尊ばれるのは、両面で光ることで、或いは「中庸」とも言えるが――
男は「女に扮する」のを観、女は「男が扮する」のを観ることにある。
みかけ上は中性だが、中身は無論男だ。しかしうまく扮しなければ芸術にならない。
例えば、中国の固有文化に科挙があり、それに官位を買うということもある。
当初、これは民権とはとても釣り合わぬものとみなされ、時代の潮流にあわぬとして、
中華民国というものを演じることになった。
しかしこの民国というものは長い間、修繕されず、看板もすでにはげ落ち、
まるで女形の顔の脂粉のようになってしまった。
そこで真面目な民衆は真剣に政権を取ろうとし、ついに科甲出身者と
買官出身者を追い出して、参政権を奪おうとした。
これは民族に対して忠ではなく、祖先に対しても孝ではなく、実際は反動である。
今すでに固有文化の「時代の潮流」に戻っており、こんな不忠不孝を放任できない。
だからもう一度新たに演じる他なく、草案は次の通り:
第一、国民を代表する資格のあるものは、須らく試験で決める。
第二、(選)挙人を選んだ後、その中から再度、挙人を選び、これを挙人を選ぶという:
選ばれた挙人は被選挙人だ。文法的に言えば、このような国民大会の選挙人は、
「挙人を選ぶ者」と称すべきで、被選挙人は「選ばれた挙人」と称すべきだ。
しかし、もしそれを演じなかったら、それでも芸術になるだろうか?
それで彼らは憲政国家の選挙人と被選挙人を演じなければならぬが、
実際にはやはり(科挙制の)秀才と挙人になるわけだ。
 この草案の深意はここにあり:
民衆に対して見せるのは民権で、民族の祖宗に対しては忠孝で――
科挙を固有してきた民族に忠で、科挙を制定した祖宗に孝なのである。
 この外、上海のようにすでに民権を実現し、納税者だけが選挙と被選挙権を有し、
この大上海にわずか4,465人の大市民をあますのみ。
これは買官とはいえ――主に金持ちで、彼らは必ず挙人になれ、補試を受けなくても
進士出身と同じ身分を賜り、西洋人の旦那の膝元での模範者だから、
当然それに見習うべきであり、況やこれも一面、固有文化に背いてなどいないし、
またもう一面では、さも憲政民権のように演じているではないか?これがその一。
 その二、一面で交渉し、一面で抵抗するで:
こちら側から見ると抵抗だが、あちら側からは実は交渉となる。
その三、一面、実業家・バンカーだが、もう一面では「小民」に過ぎぬと自称する。
その四、一面では日本製品の売れ行きがまた盛んになっているのに、
もう一面では、人に対して「国産品愛用の年」と説いて回る…。
もろもろ、この類は枚挙に暇がなく、多くはとても巧妙に演じられ、
両面とも光って、つやつやしている。
 ア―。中国は本当に最も芸術的な国であり、最も中庸な民族である。
 しかし民衆はそれに対してやはり不満であり、
嗚呼、君子は中庸(を保ち)、小人は中庸に反す也。(出版社注では、「礼記・中庸」に、
「仲尼曰く:君子中庸、小人反中庸」とあり、訳者は、君子とは中庸を保てる人で、
小人は中庸に反していると理解する)  3月30日
 
訳者雑感:
 この草案の挙人と被選挙人を「共産党員と全人代代表候補」と読み替えると
21世紀の中国共産党一党独裁の体制が、民衆に対しては「民権」を見せつつ
祖宗に対しては「科挙」の仕組みを堅持していることを見せて忠孝を保持しているということが良く分かる。13億人の民衆には選挙権は無く、8千万といわれる党員になることが
まず先である。それだけでなく、有名大学を卒業して役人になり、地方自治で腕をふるい、
成果を挙げて、資金も蓄えて「実力」を発揮して上昇気流に乗る。
この考え方は「不易」のようだ。
    2012/12/06記
   

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