魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
雑語
神と称す者と悪魔と称す者が戦った。天国争奪のためでなく地獄の支配権を得ようとした。だからどちらが勝っても、地獄は今に至るも元のままの地獄だ。
二大古代文明国の芸術家が握手したのは、両国文明の交流を図るためだった。交流はしたことはしたが、惜しいかな「詩の哲人(タゴール)」はイタリアに去ってしまった。
「文士」と老名士が戦った。……のためだ。――どうしようとしたのか私は知らない。だが以前「之乎者也(文語文)」しか許さなかった名公が役者を褒めたが、今やABCD(外国語)を認める「文士」が現れた。このとき、芸人が遂に芸術家になり、彼等を認めるようになった。
新しい批評家となろうとしているのですか?やはり一番良いのはなるべく少ししか話さず、少ししか文章を書かず、やむを得ぬ時も短いのが良い。だがどうしても何名かの人に貴方が被評家だと言わせるようにしなければならない。そうなれば、貴方の少ない言葉は高く深いものになり、貴方の短い文章の評判が上がり、高貴になり、永遠に失敗することは無い。
新しい創作家になろうとしているのですか?やはり作品発表後、一番良いのは、別の名で称賛の文を書き:もし人が攻撃してきたら、弁護する。またその名も艶麗なものにし、女性と思わせるのがよい。もし本当にこの様な人が出て来るならもっと素晴らしい:もしその人が愛人なら、ならさおである。「愛人よ!」この三字はなんと美しく詩情豊かなことよ。第四番目の字はまったく要らない。それでこそ奮闘の成功を望める。
(1925年4月「莽原」に掲載)
訳者雑感:神と悪魔が争ったのは地獄の支配権を得るためだ、というのは面白い比喩だ。人は天国に行きたいとは思うが、地獄に落ちるのを一番怖がるから。
二大古代文明国の芸術家とは出版社注にタゴールと梅蘭芳が握手したことを指すとある。
この頃、作家が偽名で自分の作品への賛辞を書いたり、攻撃に対する弁護がよく起こった由。中で面白いのは「愛人」で本当に「愛人」にそうしたものを書かせたか、愛人が自ら書いたのか?今中国では正夫人を愛人と呼ぶが、これは毛沢東が延安の横穴式の洞室で暮らしていたころ、一緒にいた江青をどう呼ぶのが良いか、迷った末に採用した言葉だそうだ。正室が他にいる時は、妾とか姨太々(2号さん)と言うのが封建時代の呼び方だったが、魯迅の頃から多分日本語の術語を取り入れたものだろうか?
2015/03/16記
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