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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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私が「持中」(中庸を取る)を説く真相

私が「持中」(中庸を取る)を説く真相
 古い同学の玄同さんは、往々私のいない時に、私を褒貶する由。褒されるのは固より問題無いが、貶されるのもあるとなると気分が害されないでいられようか?今日はその漏を調べてみる。私と関係ないとはいえ、一矢を報いてみるとしよう:仇に報い、恨みを雪ぐのは「春秋」の義也だ。
 彼は「語絲」2期に言う。某人は葉名琛の対聯「不戦、不和、不守:不死、不降、不走」を大概の中国人の「持中」の真相と説明できる。私はこれは違うと思う。
 それ「持中」の態度に近いものは大体二つあり:一は「彼にあらずば、即、此れ」二は「彼も可、此れも可」也。前者は主意無く、盲従せず、或いは別の独特の見解あり:但し境遇はたいへん危険だから、葉名琛はついに敗亡し、彼は主意無しということに過ぎなかった。後者は「壁の上に騎す」或いは極めて巧妙に「風になびく」で、中国では最も法を得るから、中国人の「持中」は大概これだ。もし旧対聯を改めて説明すると、こうなるはずだ:
 「戦に似、和に似、守に似:
  死に似、降に似、走(逃げる)に似る」
 それで玄同は即、精神文明の法律第93,894条により、「真相を誤解し、世を惑わし、民を誣せし」罪を以て懲罰す。
 但し、文中に「大概」の2字を使用しているから、それを斟酌して罪を軽減できる:この2字は私もたいへん好きでよく使う。
   (1924年12月15日「語絲」に発表)

訳者雑感:古い友人 銭玄同が葉名琛の対聯を引用したのに反論しているのは面白い。北洋軍閥と他の軍閥の戦争(内戦)を譬えて、中国人は大概これだ、とするのは、長い歴史で培われたものだろう。
 今、反腐敗をこの「持中」から一歩踏み出して、激烈な権力闘争にしている。
最近の写真で、毛沢東のハ―ト型の何枚もの肖像画(これは文化大革命中に永遠に毛主席に忠誠を誓うという主意)の前に、習近平主席の少し若かったころの丸い形の大きな肖像画が掲げられているのを見た。英語の説明で「Move Over Mao」とある。
    2015/03/11記

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