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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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英訳版「短編小説選集」自序

英訳版「短編小説選集」自序
 中国詩歌は、時に下層社会の苦しさを取り上げたのもある。但、絵画と小説は相反していて、大抵は彼らを十分幸せにかき、「知らずしらず、帝の則(のり)に順ずる」平和な花や鳥のようにかく。確かに、中国の労多き大衆は知識階級からすると、花や鳥と同類なのだ。
 私は都市の大家庭で育ち、幼少から古書と先生の教育を受けたから、労多き大衆は知識階級からすると、花や鳥と一緒だと思った。時に所謂上流社会の虚偽と腐敗を感じたが、私はまだ彼らの安楽を羨慕していた。だが、私の母の実家は農村で、私を多くの農民と近しく親しくさせてくれたが、だんだん彼等は一生圧迫を受け、沢山の苦しみを受け、花や鳥と同じではないと知った。だが、私は皆にそれを知ってもらう方法を持っていなかった。
 後に外国の小説を読み、とりわけロシア・ポーランドバルカン諸小国の物を読んで、初めて世界にこんなに多くの我々と同じ労の多い大衆と同じ運命の人たちがいることを知った。何人かの作家がまさにこの為に叫び声をあげ戦っていることを知った。そしてこれまで見てみた農村などの景況もずっと明確に私の眼前に再現した。偶然文章を書く機会を得て、所謂上流階級の堕落と、下層階級の不幸を、つぎつぎに短編小説の形で発表した。原案の意とするところは、その実これを読者に示し、いささかの問題を提起しようとしたに過ぎない。当時の文学家の所謂芸術のためなどでは全くなかった。
但、これ等の物がやっと一部の読者の注意を引くことになり、一部の批評家からは排斥されたが、今に至るも消滅せず、更には英文に訳され、新大陸の読者の目に触れることになり、これは私が以前、夢想すらしなかったことだ。
 だが私ももう長いこと短編小説を書いていない。今の人々は更に困苦が増え、私の意思は以前とは異なり、また新しい文学の潮流を見ても、この景況の中で新しいことを書くことができず、古いことを書くのも願わない。中国の古書に比喩あり、曰く:邯鄲の歩法は天下に有名で、ある人が学びに行ったが、うまく学べなかった。だが自分の元来の歩法も忘れてしまったので、這って戻るしかなかった。
 私はまさに這っている。しかし私はもう一度学んで立ち上がろうと思う。
  1932年3月22日 魯迅 上海にて記す。
 (出版社注:米国作家エドガースノーとの約束に応じて編送したもの)

訳者雑感:
 魯迅は狂人日記などで小説を立て続けに発表した後、ぷつりと書かなくなってしまった。この文章から推測できるのは、作家生活を始めたころに彼の眼前に再現したものが、彼に書くことを命じ、促したのは間違いないだろう。阿Q正伝の前段でもそのような趣旨を書いている。それがある時から、もう以前彼が目にしたもの「上流階級の腐敗と下層階級の困苦」だけでは書ききれなくなっていて、一方新しい時代の新しい困苦を書くこともできず、古いものを再び書くのも願わない。 これが、彼が小説を書けなくなった背景だろう。
 しかしもう一度学んで立ち上がろう、とは思っていたが…。
   2016/02/09記

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