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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「古い調子は歌い終わった」

「古い調子は歌い終わった」
   1927年2月19日香港青年会の講演
 今日お話しする題は「古い調子は歌い終わった」です:初めは変に聞こえますが、全くおかしなことではありません。
 凡そ、老と旧は皆終わったのです!当然そうなるべきなのです。この言葉は実際、一般の老先輩には申し訳ありませんが、他に言い方が無いのです。
 中国人はある種の矛盾した思想があります。すなわち:子孫を生存させようとしたら、自分も長生きしたいと思い、永遠に不死になりたいと思うのです:だがそんなことは考えられぬと気付き、死ななければならないが、自分の屍は永遠に腐らないのを望みます。しかし考えてみてください。人類が誕生してからこれまで誰も死ななければ、地上はとっくに人間でいっぱいで、現在我々はとうに容れられるべき土地はありません:人類誕生以来屍が腐らねば、地上の死体は魚屋の魚よりずっと多く、井戸を掘るのも、家を建てる余地も無いでしょう。だから凡そ老と旧は実際喜んで死んでゆくのが一番良いと思う。
 文学も同じで、凡そ老と旧は皆もう歌い終わったか終わろうとしています。最近の例ではロシアです。彼等は皇帝の専制時代、多くの作家が民衆に同情し、沢山の悲惨痛切な声で叫んだが、後に民衆にも欠点があることを知り、失望しだした。うまく歌えなくなり、革命後は文学で何ら大作を出せなくなった。只、旧文学家が国外に逃れ、数篇書いたが、良い作品は無かった。なぜなら、彼等はすでに以前の環境を失っていて、以前のような話をできなくなったからだ。
 この時、彼らの本国で新しい声が現れてくるべきだったが、我々はまだそれを聞いていない。彼等は将来きっと声を出すと思う。ロシアはいま活動しており暫時何の声もないが、畢竟、環境改善の能力は持っているから、将来きっと新しい声が現れるだろう。
 欧米の数カ国についても話そう。彼らの文芸はとうに老旧していた。世界大戦時にやっとある種の戦争文学が生まれた。戦争が終わり、環境も変わり、老調子はもはや歌うすべを失くしたがから、現在の文学は少しさびしい。将来はどうか?実際予測はできない。但し彼等はきっと新しい声を出すと信じている。中国の文章は最も変化がないし、調子も最も老で、中身の思想も最も旧だ。但大変奇怪なことは、ほかの国とは異なる点だ。それらの老調子は歌い終わっていないのだ。
 これはどうしてか?我々中国には「特殊な国情」があるからという人もいる。――中国人は本当にこのように「特別」かどうか、私は知らない。が、中国人はこうなのだというのを耳にする――それが本当なら、この特別な理由は2つあると思う。
 第一、中国人は記憶力が悪く、記憶が無いから、昨日聞いた話を今日は忘れ、明日また聞いても大変新鮮に感じる。物事をするのも同じで、昨日悪いことをしても、今日はそれを忘れ、明日またそれをやり、やはり「旧習慣通り」の老調子なのである。
 第2、個人の老調子が歌い終わらないのに、国はすでに何回も滅びた。なぜか?
凡そ老旧の調子はある時になると、皆歌い終わるべきだが、凡そ良心と覚悟のある人は、ある時になると、当然、老調子はもう歌うべきではないと悟り、それを抛棄する。だが一般に、自己を中心と考える人は、民衆を主と考えることを肯んじず、専ら自分の便利を図り、どういう訳か3回も4回も歌って、終わらないのだ。
 宋朝の読書人は道学を講じ理学を講じ孔子を尊び、千篇一律だった。王安石のような革新的な人も何人かいて、新法を行ったが、皆の賛同を得られず失敗した。この時から皆はまた老調子を歌い、社会と関係のない老調子で、宋朝が滅びるまでずっと同じだった。
 宋朝が歌い終わって、侵入してきて皇帝になったのは蒙古人――元朝。では宋朝の老調子は宋朝とともに終わったか?否、元朝人は、初めは中国人を見下していたが、後に我々の老調子も結構新奇に感じるようになり、徐々に羨ましく思うようになり、そのために元人も我々の老調子を一緒に歌いだし、元が滅びるまで続いた。
 この時起こったのが明太祖だ。元朝の老調子はこの時点で歌い終わるべきだったが、終わらなかった。明太祖もまたまだ意趣があると感じ、皆に歌い続けさせた。八股文とか道学とか、社会や民衆とは全く関係ないもので、只過去の旧路をひたすら明の滅ぶまで走り続けた。
 清朝もまた外国人だ。中国の老調子は新しい外国人の主の目にも新鮮に映り、また歌い続けた。やはり八股や試験、古文の作文、古書を読むことだった。しかし、清朝が完結してすでに16年経ったが、これは皆が知っている。彼等は後に少し覚醒して、かつて外国から少し新法を学んで補おうとしたが、もはや遅すぎて間に合わなかった。
 老調子は中国を歌い終わり、何回も歌い終わったが、依然として歌い続けられ、その結果小さな議論が起こった。ある人曰く:「中国の老調子は良いものだから、歌い続けて一向に構わない。元の蒙古人や清の満州人を見よ。皆我々に同化されたではないか?この事から見れば、将来どんな国がきてもこれと同様、同化させられる」元来我々中国は、伝染病の病人のように自分が病気になり、その病を人の体に伝染させたが、これは一種の特別な本領である、と。
 こういった意見が現在では大きな間違いであることを知らない。我々はどうして蒙古人と満州人を同化できたか?彼らの文化が我々よりずっと低かったからだ。他の文化が我々と匹敵或いは進んでいたら、結果は大きく異なっていただろう。彼らが我々より聡明なら、その時我々は彼らに同化するしかないだけでなく、彼らに我々の腐敗した文化を利用して、我々の腐敗した民族を統治させるようになる。彼等は中国人に対し、何の愛情もないから当然中国人を腐敗したままにさせる。現在、外国人で中国の旧文化を尊重する人が大変多いというが、一体どの点を本当に尊重しているだろうか。利用しようとしているに過ぎない。
 以前西洋にある国があった。国名は忘れたがアフリカで鉄道を敷こうとした。頑固なアフリカ人は大反対した。彼等は彼らの神話で彼らを騙して曰く:「君らの古代にある神仙がいて、地上から天に向かって橋を造った。今我々が敷こうとしている鉄道は正しく君らの古代聖人の考えと同じだ」アフリカ人は感服し喜んで鉄道をすぐ作りだした。――中国人はこれまで外人排斥をしてきたが、現在では徐々に彼らの所へ行って老調子を歌い、更に曰く:「孔子は言った<道が行われなければ、桴(いかだ)に乗って海に浮かぼう>それゆえ、外国人は良いのだ」と。外国人も言った:「君のところの聖人は全く正しい」と。
 こうやって行くと、中国の前途はどうなるだろう?他のところは知らぬ。只上海から類推するしかない。上海:権勢の一番大きいのは外国人たち、その圏に近いのは、中国商人と所謂読書人で、その圏外に多くの中国人の苦しんでいる人、すなわち下等の奴隷。将来もやはり老調子を歌い続けるなら上海の惨状は全国に拡大し、苦しむ人が増えるのです。今は元や清時代のように老調子を歌い続けられる状況ではないからです。我々は自分を歌い終わらせるしかないのです。これは今の外国人は蒙古満州人と違い、彼らの文化は我々の下ではないからです。
 ではどうすればよいか?唯一の方法はまず老調子を捨てることです。旧文章、旧思想は皆すでに現社会とは関係ないのです。以前孔子の時代は列国周遊時に、牛車に乗っていた。以前堯舜の時代は、泥碗で物を食べていた。今使っているのは何でしょう?だから、現在に生きるには、古書を大事にしても全く役に立ちません。
 しかし一部の読書人は言うでしょう。我々の読む一部の古書は中国に大きな害を及ぼすとは思わぬし、なぜそれを断固として捨てるのか?それはそうだ。しかし古いものの恐ろしさは正にここにある。我々が有害と思うなら、すぐに警戒できる。たいして有害だと思わないから、これが死に至る病だと感じないのだ。これは「軟刀子」だからだ。この「軟刀子」というのは私の発明ではない。明の読書人、賈鳧西のだ。鼓詞の中で紂王のことについて曰く:「何年も家の軟刀子で頭を切っても死んだ感じはせず、只太白旗が懸ってはじめて命がおかしいと分かる」我々の老調子は正にこの軟刀子なのである。
 中国人は鋼刀で切られたら痛いと感じ、何か方法はないか考える:軟刀子だと「切られても死んだ感じがなく」それでおしまいとなる。
 我々中国人は兵器で攻められたことは何回もある。たとえば蒙古人や満州人が弓矢で、更には他の外国人が銃砲で、それで何回も攻められた後に私は生まれたが、まだ若かった。当時皆はまだ余り痛苦を感じていないようだったと思う。抵抗しようとか改革しようと思わなかったようだ。銃砲で我々を攻めた時、我々は野蛮だったからだと聞いた:今あまり銃砲で攻められないのは、我々が文明的になったためだ。今もよく人々は言う。中国の文化はたいへん素晴らしいから、保存すべきだ、と。その証拠に外国人も常にこれを賛美するという。我々が自分の老調子で自分を歌って終わらせるのはもうすぐだと思う。
 中国の文化が実際どこにあるのか、私は知らない。所謂文化の類とは現在の民衆といかなる関係にあるのか、どんな有益な点があるのか?近来外国人も常に言う。中国の礼儀は良い。中国のごちそうもすばらしい、と。中国人もそれに付和しそうだそうだと言っている。
 しかし、そんなことは民衆と何の関係があるのか?車引きは先立つお金もないから礼服など作れぬし、南北の大多数の農民の最高の食べ物は雑穀だ。だから一体どんな関係があるのか?
 中国の文化は皆、主人に奉仕する文化で、たいへん多くの人の苦しみと交換されたものだ。中国人であれ外国人であれ、凡そ中国文化を称賛するのは皆、ただ自分を主だと思っている一部の人のみだ。
 以前外国人が書いた本の多くは、中国の腐敗を嘲罵していた:今は余り嘲罵しなくなった。逆に中国の文化を称賛している。彼らがこういうのを常に聞く:「中国にすむのはとても気分がいいよ!」これは正しく中国人が徐々に自身の幸福を外国人に享受させている証だ。だから彼らが賛美すればするほど、我々中国の将来の苦痛は深まるのだ!
 言うなれば、旧文化の保存は中国人を永遠に主に奉仕する材料となり、それで苦しみ続けることになるのだ。現在の金持ち・富翁、彼らの子孫といえども逃れることはできない。かつてひとつの雑感を書いたが、大意は;「凡そ中国の旧文化を称賛するのは、多くは租界に住むか、安穏な場所に住む金持ちで、彼等は金があるから、国内の戦争の苦痛を受けないから称賛するのだ。実際には彼らの子孫は将来、業を営むのに現在苦しんでいる人より更にひどい状態になり、鉱山を開発するのにも、現在苦しんでいる人より更に深いところまで掘ることになる」と。これは将来更に窮乏することになるが、少し遅くなるに過ぎぬ。だが先に苦しんでいる人は浅い鉱山を開くので、後の人は更に深いところを掘らねばならなくなる訳だ。私がこういうのを誰もほとんど注意しなかった。彼等はやはり老調子を歌い続け、租界で歌い、外国へ行って歌った。ただこの後は、元や清のように、他の人を終わらせることはできず、自分自身を歌い終わらせるのだ。
 ではどうすれば良いか?第一に、彼らに洋館や寝室書斎から外に出て、身辺がどうなっているのか、よく見てもらい、又社会が、世界がどうなっているかをよく見てもらうべきだと思う。それから自分でよく考えて、よい方法が思いついたら、やってみることだ。「部屋から外に出ると危険だ」と老調子を歌っている人たちは言う。しかし人たるには何らかの危険は付いて回り、部屋にばかりいたら確かに長寿で、白いひげの老先生は非常に多いはずだ:だが我々が目にするのはどれくらいいるだろう?彼等もやはり早死にし、危険がないとはいえ、阿呆みたいに死んでゆく。
 危険のない所というなら、とてもいい所を見つけた。それは:牢獄だ。人は牢に入れば再び騒ぎ、再犯の恐れなく:消火設備も完全で失火の心配もない。泥棒もいないし、牢の中で物を盗む強盗もいない。牢は実に一番安全な所だ。
 但し、牢には足りないものが一つある:自由だ。だから安穏はむさぼれるが、自由はなく、自由が欲しければ、どうしても危険を覚悟するのだ。この2本の道だけだ。どちらが良いかは明明白白。私が言うまでもない。
 本日は諸兄のご静聴、感謝します。
   1927年3月に広州の「国民新聞」に掲載。

訳者雑感:
魯迅の下記の文章は物事をずばり突いている。
『国人が以前は中国の腐敗を嘲罵していた:今は余り嘲罵しなくなった。逆に中国の文化を称賛している。彼らがこういうのを常に聞く:「中国にすむのはとても気分がいいよ!」これは正しく中国人が徐々に自身の幸福を外国人に享受させている証だ。だから彼らが賛美すればするほど、我々中国の将来の苦痛は深まるのだ!』
 今は中国国内の中国人と香港などの中国人が共産党幹部の腐敗を嘲罵しているが、罵られている何万人の汚職役人は逮捕されたが、逮捕される前に国外に大金を持ち出して逃亡している連中が「ごまん」といる。
 魯迅の言葉を借りて言えば、「ごまん」といる連中は、中国は金を貯めるのには最適の所だよ、だが住むには気分が良くない。いつ牢獄に入れられるかもしれない。PM2.5で空気も悪いし。やはり三十六計逃げるに如かず、と。
       2016/01/25記
 
 

 

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